解✦談

解りやすく、解きほぐします。

株価の割安さを判断する

株価という評価がいつも正しいとは限らない

 

株式投資をやるとき、私たちがどうしても自分で決めなければならない
「3W1H」があります。

●When=いつ買うか
●Where=どの証券会社を使うか
●What=どの銘柄を選ぶか
●How much=いくら買うか

このうち最も重要かつ、最も難しいのが「What」、つまりはどの銘柄を
選ぶかということです。

たとえば初心者なら、まず自分にとって馴染みのある企業を選ぶという
方法があります。

ふだん、よく買う商品や、よく使うサービス、あるいは憧れのブランドなど、
日常生活を振り返ってみて思い浮かぶ企業があれば、その株式を買ってみる。

それから、日常でこれといった接点はなくても、とりあえず知っている
企業を選ぶという方法もあります。

名前を聞いたことがない企業に比べれば、知っている企業のニュースは
頭に入ってきやすいし、事業内容もイメージしやすいのではないでしょうか。

いずれにしても、私たちは株式の銘柄を選ぶとき、そこに何らかの基準を
設けたいと考えるわけです。

馴染みがある、知っている、というだけでは投資の基準として心もとないし、
いまいち納得できないと思う人もいるでしょう。

そんな人は、いまいちど以下のことを思い出してみるといいかもしれません。

●投資の基本的な意味=金融商品を安く買って高く売ることで、
  差額分の利益を狙うこと

安く買えることは、きわめて重要な、銘柄選びの基準のひとつです。

さて、それでは「株式銘柄を安く買う」ためには、どうすればいいのでしょうか。

たとえば、ある銘柄の株価が800円だったとします。

この800円という数字は、たくさんの投資家が総意として、その企業に対して
くだした採点(評価)と考えることができます。

投資家が何をもって採点をくだしているかといえば、企業の収益性や競争力、
ビジネスモデルなどを自分なりに分析して、その経済的な価値(企業価値)を
割り出しているわけです。

しかし、株価がいつも企業価値を正確に反映しているかといえば、
そうとも限りません。

技術力が高くて、業績が安定している企業でも、認知度が低いといった
理由で過小評価されていることがあります。

逆に、業績が不安定でも、新しい技術が投資家の大きな期待を集めて
過大評価される場合もあります。

つまり、前述した800円という株価が、本来は1000円ぐらいでもいいのに
過小評価されていたり、500円ぐらいが妥当なのに過大評価されている
ケースがあるということです。


株価が一時的に安すぎたり高すぎる水準にあっても、中長期的にみると、
本来的な企業価値に見合った株価(適正な株価)に収束していく例も
少なくありません。

ある銘柄の株価が現時点で適正な株価より安いと考えられるならば、
その銘柄は「割安」の状態にあり、本来よりも安い株価で買うチャンスと
言うことができます。

そんな銘柄を見つけて投資することができれば、それが将来的に
適正な株価まで戻る(値上がりする)可能性は高く、収益につながる
期待が大きいわけです。

 

株価指標という客観性を持ち込むことの意義


ただし、ある銘柄の適正な株価を割り出すことは非常に難しいのが現実です。

そのため、株価が割安かどうかを判断する場合には、企業の利益や
自己資本などに対して現在の株価がどのような水準にあるかを示す
「株価指標」を使うのが一般的です。


代表的な株価指標として、PER(株価収益率)とPBR(株価純資産倍率)があります。

●PER(単位:倍)=株価÷EPS(1株あたり純利益)

         ※EPS=予想連結純利益÷発行済み株式数

●PBR(単位:倍)=株価÷1株あたり自己資本

         ※1株あたり自己資本自己資本÷発行済み株式数

PERとPBRについて、それぞれ突きつめて考えると、けっこう奥が深くて
難しいので、ここでは大まかな意味だけにとどめておきます。

株価を利益で割って求めるPERは、企業が稼ぎ出す1年間の利益の何倍まで、
その株式銘柄が買われているかを表します。

企業が急速に利益成長を遂げているような場合には、さらなる成長に対する
期待感から、投資家が先回りしてその株式を買うため、PERが高くなりがちです。

反対にPERが低ければ、その銘柄には投資家の買いがそれほど入っていない、
すなわちお買い得(割安)な可能性があると考えられます。

 

PBRの計算式に出てくる1株あたり自己資本は、企業の解散時に株主へ返還される
1株あたりの金額に相当します。

PBRが1倍を下回っている場合、その銘柄は「投資家がいま買って企業が解散すると、
それだけで儲かる」ことになります。

投資家にとって企業の利益成長を待つよりも、解散した方が手っ取り早く
儲かるというのは本来的には異常なので、PBRは1倍を十分に超えているのが
自然な姿といえます。

そのため、PBRが1倍を下回っているような銘柄は、いずれ通常の状態まで
株価が戻る(上がる)可能性が高く、お買い得(割安)と見なすことができます。

このように、PERもPBRも基本的には倍率が低い方が割安と考えられますが、
それぞれ注意点もあります。

PERが低い銘柄は、投資家が企業の成長を期待していないことの表れと
見ることもできます。

実際にPERは、成長産業の方が成熟産業よりも高くなりがちなため、
「成長産業に属する銘柄」と「成熟産業に属する銘柄」の間でPERを
比較しても、それほど意味はありません。

PBRが低い銘柄は、企業が投資家から過小評価されている場合もあれば、
資本効率が悪いなどの理由で、投資家から見放されている場合もあります。

ある銘柄の株価が割安かどうかを判断する場合には、PERやPBRを同業他社と
比較したり、業種ごとの平均値と比較するなど、多角的に「倍率の理由」を
探ることが大切です。

また、割安さという基準を使うことで、株式投資の納得度は大なり小なり
高まりますが、それがそのまま株式投資の成功につながるわけではありません。

投資が上手くいっても、いかなくても、そこに自分の好みや勘という主観だけでなく、
「数字という客観性」を持ち込むことに意義があるのだと思います。

それによって、私たちが株式投資の結果や途中経過を考える際に、ある程度の
根拠にもとづく冷静な分析や検証が可能になるからです。

 

アコギが良い感じの洋楽

ふと思い立って昨年から、自分の好きな洋楽をリストアップする作業を
始めました。

そのリストを見ていたら、ロックやポップスにジャンル分けされる
アーティストの作品で、とくにアコースティック・ギターが効いているな、
良い味を出しているなと感じる楽曲がいくつかありました。

たとえば、女性ボーカルの楽曲

Animal Instinctクランベリーズ/99年)

クランベリーズはジャンルとしては、オルタナティブ・ロックに分類されて
いるようです。90年代の前半には、《Dreams》や《Ode To My Family》が
ヒットして、ラジオでよく流れていました。

What’s Up(4ノン・ブロンズ/93年)

4ノン・ブロンズもジャンルはオルタナティブ・ロックだそうです。
バンド名は長い間、知らないままでしたが、曲は耳にこびりついていました。
CMで使われたらしいので、恐らくその影響だと思います。

The Last Chance Texacoリッキー・リー・ジョーンズ/79年)

デビュー・アルバム『浪漫』に収められた1曲。勝手なイメージですが、
この曲を聴くと、星空の下、どこまでも続くまっすぐな長い道を車で
走っているような気分になります。

Dreamboat Annie(ハート/76年)

デビューアルバム『Dreamboat Annie』に、3種類の異なるバージョンが
収められています。この後、いわゆる産業ロックに走ったことが信じられない、
可憐で爽やかな曲。ギターは妹のナンシー・ウィルソン。

 

      ✻      ✻      ✻      ✻

 

以下は男性ボーカルの楽曲です。


Sweetheart Like Youボブ・ディラン/83年)

アルバム『インフィデル』の1曲。プロデュースにダイアー・ストレイツ
マーク・ノップラーが関わっていたと後で知って、なるほど自分の好みに
合うわけだと納得しました。

I Was Only Jokingロッド・スチュワート/77年)

アルバム『明日へのキックオフ』のラストに収められた曲。これぞ「静と動」の、
コントラストの妙とでも言うのでしょうか。とくに間奏の途中で、アコギに
エレキギターが絡んでくるところが好きです。

If You Really Want To Be My Friendローリング・ストーンズ/74年)

アルバム『イッツ・オンリー・ロックン・ロール』の1曲。ニッキー・ホプキンスの
ピアノが素晴らしく、間奏の「泣きのエレキギター」はミック・テイラーのものと
思われます。(ミック・テイラーはこのアルバムを最後に脱退)

Tequila Sunriseイーグルス/73年)

アルバム『ならず者』の1曲。後に『ホテル・カリフォルニア』に収められた
《New Kid In Town》にも通じる、のどかなイメージがあります。個人的には
こういう曲をもっと演ってほしかったのですが…。

Rock’N’Roll Suicideデヴィッド・ボウイ/72年)

アルバム『ジギー・スターダスト』のラストに収められた曲。邦楽でいうならば、
吉田拓郎が「シャウト系」の曲を歌うときの雰囲気に似ているような気がします。
雑だけれど、気合満点。マイナー調だけれど、高揚感満点。

 

      ✻      ✻      ✻      ✻

 

以下の2曲は定番中の定番なので、とくにコメントはありません。

The Boxerサイモン&ガーファンクル/69年)

And I Love Herビートルズ/64年)

番外編として、映画音楽から1曲。

Laetitiaアラン・ドロン/67年)

映画『冒険者たち』のオリジナル・サウンド・トラックに収録。
悲劇のヒロインである、レティシアがタイトルになっています。
評価はB級だけれど、私の大好きな映画です。 

全体としてみると、どこか寂しいというか、もの哀しい雰囲気の曲が多いですね。

その意味でいうと、アコギが目立つわけではないのですが、次の曲も
同じような雰囲気で、私の好きなタイプに入ります。

Year Of The Cat(アル・スチュワート/76年)

傑作といわれているアルバム『Year Of The Cat』の表題作。
アコースティック・ポップスなどというジャンルがあることを、
この人で知りました。プロデュースはアラン・パーソンズ

 

書店に並ぶ作家と作品について

パロディの毒が、いま受けるという驚き

 

ひと頃に比べると書店の数が激減したので、仕方がないのかもしれませんが、
かつては書店の棚に置いてあるのが普通だった本を、見かけなくなるケースが
増えてきました。

私がさまざまな書店を頻繁にのぞいていたのは、90年代から2000年代の
初期にかけてです。

あくまでもその当時との比較ですが、たとえば棚から消えた作家として、
以下のような人たちが挙げられます。

川西蘭/『春一番が吹くまで』(代表作、以下同)
山川健一/『壜の中のガラスの船』
落合信彦/『石油戦争』
永倉万治/『ラストワルツ』
海老沢泰久/『監督』
景山民夫/『遠い海からきたCOO』

ノンフィクションでは、以下の人たち。

山崎浩一/『なぜなにキーワード図鑑』
栗本慎一郎/『パンツをはいたサル』


書店の棚に作家の名札は見かけるものの、本が見当たらない例としては

池澤夏樹の『マリコ/マリキータ』
久世光彦の『卑弥呼
五木寛之の『こがね虫たちの夜』『内灘夫人』『変奏曲』
川本三郎の『都市の感受性』
中島梓の『コミュニケーション不全症候群』

などがあります。

これらは私の愛読書だったのですが、ある時期にすべて売ってしまいました。

いまではアマゾンなどで古本を買うしか手がないというのは、何だか
寂しい気がします。

また、一時は村上春樹とともに棚の大きな部分を占領していた村上龍の作品も、
一部を除いて書店での在庫が激減しています。

なかには宗教的な問題や盗作疑惑などで、出版業界から干されたと思われる
作家もいます。

内容の時事性が強すぎて、あまりに時代と合わなくなったため、
置かれなくなったノンフィクションもあるでしょう。

それにしても、当時の人気を知る身としては、まるで存在しないかのような
現在の扱いぶりには驚くとともに、呆れるばかりです。

清水義範も、そんな「書店から消えてしまった作家」のひとりでした。

ところがコロナ禍で巣ごもり需要が拡大するなか、なぜか彼の著作が
注目されるようになったようです。

たしか今年(21年)に入ってからのことだったと思います。

清水義範『国語入試問題必勝法』講談社文庫)が書店の棚に、
しかも本の表紙が見えるかたちで目立つように並べてあるのを、
何度も目撃するようになりました。

私にとって驚きは2つあります。

まず、この本が「いま受けるのか」という驚き。

それから、この本が「受けた」であろうにもかかわらず、
彼の他の著作がほとんど書店に並ばないという驚きです。

『国語入試問題必勝法』は、いわゆる毒の効いたパロディ小説集です。

7つの短編のなかで、あるときは丸谷才一(※)の文体を、
あるときはボケ老人の振る舞いを、あるときは長嶋茂雄
はじめとするプロ野球解説者の語調をパロッています。

(※)丸谷才一:小説家、文芸評論家。一部の期間を除いて、
   独自の歴史的仮名づかいを用いたことで有名。

パロられた当人である丸谷才一が解説を書いているというのが、
また面白いのですが、そこには「揶揄(やゆ)と嘲弄(ちょうろう)が
まず思い浮かぶパロディの機能である」と記されています。

『国語入試問題必勝法』は実際のところ、話によっては揶揄と
嘲弄があまりに痛烈であり、なおかつそれが的を射ています。

とくに、ひとつ目の短編《猿蟹合戦とは何か》と、2つ目の短編で
表題作でもある《国語入試問題必勝法》のなかでは、日本の国語教育に
携わる予備校教師や大学教授などに対して、以下のような内容の、
まことに痛快な批判が展開されます。


《猿蟹合戦とは何か》

どう考えてもこんなものは国語の問題ではない。
…この駄文の題名が「目玉」で正解なのだと
子供に教え込むことは、感受性豊かな子供に
馬鹿養成ギプスをはめるのと同じ行為である


《国語入試問題必勝法》

…世の中には神秘的気分や幻想的な美を描いた詩や散文は
存在するのだが、国語問題の出題者のレベルでは、そういう
高度なものは理解できない。だから、出題するはずがない…。
奴らが理解できて、喜んで出題するのは故郷への思い、…
…くらいが関の山で、どちらにしても人間の心情のことばかり…。


こういう過激な内容は、現代の草食的な生き方を好む人々にとって
受け入れがたく、だからこそ清水義範の著作は書店に置かれなくなったのかな、
と私は勝手に思っていました。

意外にもそれが、そうでもなかった。しかし、だとしたら、です。

なぜ他の著作が一緒に書店の棚に並ばないのか。

 

揶揄や嘲弄が満載のぶった切り批評

 

いま私の手元にある『国語入試問題必勝法』は、いつ買ったのか忘れましたが、
奥付をみると「2019年3月8日第43刷発行」と書いてあります。

ちなみに私はこの本を、過去に3回ほど買い直しています。

ブックカバーには、清水義範作品として30種類のタイトルが記してあるので、
講談社文庫として少なくともこの30冊は、いちどは世に出たということでしょう。

ところが、巻末にある2018年12月15日現在の「講談社文庫目録」をみると、
清水義範の作品は『国語入試問題必勝法』をはじめとして6タイトルしか
記載されていません。

ということは、それ以外のタイトルについては、文庫としてすでに廃刊に
なったということでしょうか。

そのなかには、恐らく多くの清水義範ファンが『国語入試問題必勝法』と双璧の
名著に挙げるであろう、『永遠のジャック&ベティ』も含まれています。

これが書店に並ばないという、その辺の経緯がよく分かりません。

『永遠のジャック&ベティ』はいま私の手元にもなく、読んだのは20年以上前の
ことなので、細かい内容は忘れましたが、とにかく《ワープロ爺さん》という話が
あまりに面白すぎて、涙を流しながら笑ったことは覚えています。

もしや、この《ワープロ爺さん》は、老人をバカにし過ぎているということで、
自主規制の対象にでもなっているのでしょうか。

      ✫      ✫      ✫      ✫

 

パロディではありませんが、揶揄や嘲弄が満載の1冊として私が好きな本に、
斎藤美奈子『文壇アイドル論』(文春文庫)があります。

村上春樹俵万智吉本ばなな林真理子上野千鶴子立花隆
村上龍田中康夫という、おもに80年代~90年代に一世を風靡した
作家や言論人を取り上げて、彼らがなぜアイドルになったかを考察した
ユニークな試みです。

たとえば、俵万智の章。

デビュー作の短歌集『サラダ記念日』(1987年)が大ヒットしたことで、
世の中に短文人気が広がり、それが90年代の各種「サラリーマン川柳」や
『日本一短い「母」への手紙』、相田みつをの『にんげんだもの』などの
ブームにつながったと、まずは解説しています。

そのうえで、それら90年代にブームとなった3つの作品のなかから
一例ずつを取り上げ、以下のようにぶった切ります。

洗練もワザもなし。こんなものが90年代に入ってからベストセラーに
なったのかと思うと、めまいがします。

が、これらを「ええ詩やなあ」と思っているのは、『サラダ記念日』の
読者と同じ層。

相田みつを現象」をつくった人たちがその前にはおそらく
「サラダ現象」を
支えていたのです。

村上龍の章では、彼について書かれた吉本ばなな田口ランディの文章を
それぞれ紹介したうえで、またまた以下のようにぶった切ります。

ワタシは龍さんとお友だちなんでーす、と読者に自慢してるだけ。

ばななやランディはそれでもいちおう作家です。

中学生のファンではあるまいし、…ここにも村上龍の「人をバカにさせる力」が
働いています。

斎藤美奈子の著作は他にも何冊か読みましたが、『文壇アイドル論』をしのぐ
作品はないような気がします。

『文壇アイドル論』を含めて、彼女の文章は痛快な部分が多い一方で、
社会背景や広告・マーケティングの側面など、分析があまりに多角的なため、
読んでいて疲れてしまうところがあります。

現在のところ、書店には置かれていることが多いようなので、こういう種類の
文章に対して、たとえばいまの若者たちがどのような印象をもつのか、
ちょっと興味をそそられます。

 

昆虫の「変態」という変な性質

親と子が独立したライフステージを送る

 

小学校1年のとき、クラスの文集に将来の夢として「昆虫博士になりたい」と
書いた覚えがあります。

その当時、私たち男子にとって昆虫は、非常に身近な存在でした。

多くの子どもが『ファーブル昆虫記』を読んでいました。

セミやカマキリがいたら背後からつかんで持つ。

トンボは目を回させてから素手でつかまえる。

たまにカミキリやクワガタを見つけたら、わざと指をはさませてみる…。

これらは、ザリガニの手を引きちぎって、新たなザリガニを釣るための
エサにすることと同じように、仲間内では日常的におこなわれていた、
儀式とも遊びともつかない当然の作業でした。

夏休みの自由研究で、カブトムシが幼虫からサナギ、成虫へと変化していく
様子を観察し、写真付きのレポートにして先生に提出したこともありました。

あの頃は昆虫がそんな風に「変態」をすることを、なぜか当然のこととして
受け入れていたような気がします。

いま改めて考えてみると、昆虫に備わった変態という性質は、
なぜそんなことができるようになったのか、不思議でなりません。

かつて栗本慎一郎が著書のなかで、「変態などという不思議な性質を
もつところをみると、昆虫はもしかして宇宙から飛来したのではないか」と
書いていて、私もその説を半分信じているようなところがありました。

『起源図鑑』(2017年発行、ディスカヴァー・トゥエンティワン)によると、
昆虫の起源は約4億8000万年前にあり、約4億4000万年前に生命体として初めて、
海から陸地に完全に上がって生息するようになったと考えられるそうです。

陸地で生息するためには、脱水や重力、呼吸、日々の温度差などに対処するほか、
日光にされされるリスクとも向き合わなければなりません。

一方で、陸地は海中よりも食料が豊富で、捕食者も少ないというメリットが
あります。

約4億年前になると、昆虫は翅(はね)を使って飛行を始めます。

翅という大きな武器を身につけたことで、食料や住処(すみか)、つがいの相手を
見つけたり、捕食者から逃げたり、体温を調節することが可能になり、それらが
昆虫の繁栄に大きく貢献したと考えられます。

そして、さらに昆虫の繁栄を決定づけたのが、約3億5000万年前に変態という
性質を獲得したことです。

それまでの昆虫は、成虫に似た小型の体で脱皮を繰り返しながら、徐々に
大きくなるという方法で成長していました。

対して変態する昆虫では、幼虫と成虫の見た目が大きく変わります。

変態のなかでもサナギの期間があるものを完全変態といいます。

完全変態する昆虫では、生涯全体が以下のようにステージ分けされます。

●幼虫/ひたすらエサを食べることに専念する。
●サナギ/細胞分裂が起こり、幼虫の体をつくる細胞が減って、成虫の体に
  必要な細胞が増える。
●成虫/ひたすら生殖に専念する。

各ステージでは、食べるものも異なります。

たとえば完全変態するチョウは、幼虫の期間には栄養豊富な植物の葉を大量に
食べますが、成虫は花の蜜を少し飲むだけです。

サナギの期間中に幼虫から成虫へと、まったく違う姿に変化することで、
各ステージごとに違う環境や食料で生きていくことが可能になるわけです。

このようにして親と子が食料資源を奪い合うことなく、それぞれの
ライフステージを独立して送ることで、種としての生存には非常に
有利に働きます。

貴重な時間を生殖という子孫を残す行為に注力するため、ホタルなど
多くの昆虫は短い成虫の期間に何も食べず、なかには口や消化器官すら
持たない昆虫もいるようです。

 

変態という性質を獲得したことで、昆虫は絶滅に強い生き物になったとも
いわれています。

2億5000万年前のベルム紀に起きた大量絶滅では、生物種の90%が
絶滅しましたが、完全変態する昆虫にはほとんど影響がなかったようです。

サナギは凍結や乾燥など、あらゆる種類の環境激変に耐性があることから、
恐らくサナギという移行期間の存在が昆虫の環境適応力を高めていると
思われます。

 

大成功を収めた昆虫の生存戦略

 

昆虫にはサナギの期間がない「不完全変態」をするものや、幼虫と成虫の形態に
ほとんど変化がなく、成虫に翅がない「無変態」のものもいます。

完全変態をするものは、いわば最も進化したかたちの昆虫であり、いまでは
昆虫全体の8割を占めているそうです。

香川照之の昆虫すごいぜ!図鑑Vol.2』NHK出版)には、完全変態する
昆虫としてカブトムシやミヤマクワガタオオムラサキ(チョウ)などが
取り上げられています。

このほか、アリやカナブン、ミツバチなども完全変態する昆虫です。

昆虫の生存戦略は、地球上の動物全体としてみても大成功を収めたようです。

いまでは知られている全動物種のうち4分の3が昆虫であり、その数は100万種、
しかもまだ見つかっていない種が400万~500万はあると推測されています。

さて、昆虫が変態という性質を身につけた理由については、何となく
解ったような気がします。

しかし、なぜそんな性質を身につけることができたのか、具体的には
よく解りません。

進化に関する話はいつもそうなのですが、何億年もの間に遺伝子の
突然変異が起き、結果として環境変化に適応できたものが残ったのだと
いわれたら、「ふ~ん、そうですか」と応えるしかありません。

翅がはえる際に、あるいは子どもと親がまったく違う形になるために、
遺伝子の何がどう変わったのか。

そういう説明をしてくれる研究者というのは、どこかにいるのでしょうか。

もっと早く、その不思議さに気づいて研究者をめざしていれば、
私も念願の昆虫博士になれたかもしれませんが、もう遅いですね。

実は小学校4年のとき、「天文学者になりたい」とも思ったのですが、
高校で地学を選択してみて、そのあまりの難しさに諦めました。

自然科学は好きなのですが、いざ学問ということになると、
まったく歯が立たないというのが私の哀しい現実のようです。

 

経済・金融は「繰り返す」のがお好き?

バブルが発生して崩壊するパターン

 

経済や金融の世界には、過去に起きた出来事が似たようなパターンで
繰り返される「再現性」や、一定の年数を経た後に再び起こる「周期性」が
いくつか存在します。

一見すると、「ホンマかいな?」と言いたくなるような話もありますが、
これはよくよく考えてみれば、当たり前のことなのかもしれません。

要するに、経済や金融というのは、私たち人間の「思考」と「行動」が
集積した結果です。

しょせん人間の思考と行動など、愚かな部分を含めて何十年、何百年の間、
たいして変わらないということでしょう。

たとえばバブルの発生と崩壊は、だいたい以下のような流れに沿って起こるようです。

1. 景気の低迷期や停滞期に、経済対策として中央銀行の金融緩和や
   国による財政出動がおこなわれる。それが金融市場に「カネ余り」と
   呼ばれる状況を招く。

2. 市場に余ったカネが投資先(さまざまな金融商品)を物色する。
   そこに規制緩和や金融技術の進歩などが加わることで、投資対象が
   拡大する(新しい投資対象が生まれる)。

3. ひとつの、あるいは複数の金融商品において価格が著しく上昇する。
   それを見た個人などが市場に参入して、「投資の大衆化」が起こる。

4. 市場全体に「過度の楽観」が広がり、実態からかけ離れた水準まで
   価格が高騰する(バブルの発生)。

5. 中央銀行による利上げなど、何らかのショックが引き金になって、
   バブルが崩壊へ向かう。

1980年代の後半に発生した日本のバブルは、85年のプラザ合意後に進んだ
円高不況に対応するため、日銀が利下げをおこなったのがきっかけでした。

市場に余ったカネが株式や不動産へ過剰に投資され、投資対象としての
ワンルーム・マンション購入などが一般個人の間でもブームになりました。

最終的には金融当局が規制に乗り出し、なかば潰されるようなかたちで
バブルは崩壊します。

2008年に発生したリーマン・ショック世界金融危機は、05年ごろから
米国で不動産ブームが起こり、信用力の低い個人でも住宅ローンが組める
サブプライムローン」が広まったことがきっかけです。

世界的に金利が低下して資金運用が難しくなるなか、世界中の金融機関が
サブプライムローン証券化したハイリスクの金融商品に投資しました。

その後、米国で不動産価格が下落に転じたため、多くの金融機関が損失を
抱えることとなり、それが世界中に連鎖して金融危機となったのです。

実はこれと似たようなことが、現在も起きています。

《上記1.に類似》

日米欧の主要先進国では、リーマン・ショック後から金融緩和を続けてきたが、
昨年(2020年)からは新型コロナウイルスの感染拡大に対応して、さらに金融緩和と
財政出動を拡大している。

《上記2.に類似》

規制緩和によって誕生した「SPAC(特別買収目的会社)」や、金融当局の目が
十分に行き届かない「ファミリーオフィス」など、新手の投資先や運用委託先が
人気を呼んでいる。

《上記3.に類似》

コロナ禍への対策として国から支給された給付金などを元手に株式投資を始める
個人が増えており、とくに米国では個人による投機的な株式売買も目立っている。

現状の米国株や日本株をバブルとみなす専門家もいれば、実態からかけ離れて
いないのでバブルではないという専門家もいます。

そのため、現状が上記4.の段階まで来ているかどうかは定かではありません。

しかし、来年(22年)には米国が利上げを実施しそうなので、もしも現状が
バブルならば、上記5.の再来となる可能性はあることになります。

 

商品相場は長期の上昇サイクルに入った?

 

原油や金属、穀物など国際的に取引されている商品の相場には、それらがほぼ
いっせいに値上がりして、その後に下落するという長期の周期性があるそうです。

これは「スーパーサイクル」と呼ばれており、資源国であるカナダの中央銀行
統計局の分析によると、1900年代初め以降、4回のサイクルが確認されています。

スーパーサイクルが生じる要因としては、以下のような説明が一般的です。

何らかの理由によって資源などの需要が世界的に急増した際に、生産能力の
拡大にはある程度の時間がかかるため、供給が間に合わなくなる。

そうして一定期間、「需要超過」の状態が続くことで商品相場が上昇し、
供給が拡大するとともに値下がりに転じる。

前回の上昇局面は、中国やインドなど新興国の経済発展によって商品需要が
急増した、95年前後~2009年前後とされています。

2010年以降は商品相場の下落局面が続いていましたが、今年に入ってその傾向に
変化が見られるようになってきました。

19品目で構成され、国際商品の総合的な価格動向を表す「ロイター・
コアコモディティーCRB指数」は、直近の安値だった20年4月から、
この1年半で2倍以上に急上昇しています。

大ざっぱにみると今年の前半は銅や銀、プラチナ、ニッケルなどの金属資源や、
木材の値上がりが目立ちました。

夏以降はそこに、原油天然ガスなど化石燃料の価格上昇が加わっています。

昨年来のコロナ禍による影響や、いま世界が「脱炭素」をめざしているという、
いわば特殊要因も関係しているので、これをもってスーパーサイクルの上昇期が
始まったと言い切れるわけではありません。

しかし、いずれにしても国際商品の価格上昇は、原材料や資源の調達を輸入に
頼っている日本にとって、国内物価に大きく影響する重要な問題なので、
しばらくは目が離せないところでしょう。

 

世界経済は今後20年程度、下降する可能性も


ロシアの経済学者ニコライ・コンドラチェフによると、世界全体の景気には
約50年周期で上昇と下降を繰り返す長期波動があるそうです。

コンドラチェフの死後、これはコンドラチェフの波」と名付けられ、
多くの経済学者がさらなる研究を進めています。

長期波動が生じる背景としては、経済活動やそれに影響を及ぼす技術革新は
もちろんのこと、政治や外交、軍事面などを含めた「国際秩序の変動」も
関係しているという考え方が有力です。

コンドラチェフの波について、たとえば技術革新をテーマに過去を振り返ると、
こんな感じになります。

●第1のサイクル:1780~1840年代/蒸気機関、紡績機
●第2のサイクル:1840~1890年代/鉄道、鉄鋼
●第3のサイクル:1890~1940年代/自動車、電気、化学
●第4のサイクル:第2次大戦後~1990年代/石油化学、電子、原子力、航空宇宙
●第5のサイクル:1990年代~現在/デジタル、ネットワーク、バイオテクノロジー

(左から過去のサイクル、景気が上昇して下降するまでの期間、おもな技術革新)

専門家のなかには、AI(人工知能)やロボット、ビッグデータなどの技術革新が
けん引する「第6のサイクル」の到来を意識している人もいるようです。

一方、ある専門家の分析では、1990年代以降に始まった世界全体の経済成長は、
2010年代の初頭までは大きな伸びを見せたものの、その後は停滞が明らかだと
いいます。

「第5のサイクル」が始まってすでに30年程度が経過していますが、もしも過去の
歴史が繰り返すのであれば、今後は20年程度にわたって世界経済が下降していく
可能性が高いのかもしれません。

コンドラチェフの波については、興味深いことが分かっています。

景気の上昇期と下降期に、それぞれ世界で以下のような構造変化が起きているのです。


《上昇期》

●技術革新によって産業構造が大きく変化する
●新しい産業形態が世界中に拡散して、世界経済の「同質化」が進む
●産業構造の変化に乗じるかたちで、経済活動の中心に新たな国(新興国)が
  参入してくる

「第5のサイクル」では、パソコンやインターネット、モバイル通信端末などが
普及して、経済・社会のデジタル化とネットワーク化がグローバルに進行しました。

その結果、ハイテク&デジタル産業の一大生産拠点として、中国が世界経済の
主流に躍り出たのです。

《下降期》

●世界経済の同質化は過剰生産につながりやすいため、各国で「保護主義」が
  広がるようになる
●やがて世界経済は停滞に向かう
●国家間の経済的な覇権争いが激化する

つまり、コンドラチェフの波の下降期には、上昇期の揺り戻しといえるような
現象が発生するわけです。

過去には実際にこうしたプロセスを経て、いくつかの国が世界経済の主流から
蹴落とされています。

たとえば「第3のサイクル」では、第1次世界大戦によってドイツが衰退。

「第4のサイクル」では、東西冷戦の終結によってソ連が解体、という具合です。

「第5のサイクル」では、今日の技術革新の主役であるデジタル化が、
構造変化の大きなカギになりそうです。

社会のデジタル化には、個人の人権や自由、安全といった民主主義の基本的な
価値観を揺るがしかねない負の側面もあります。

ところが、たとえば中国が採用している「国家資本主義」は、共産党
一党支配による強力な統制のもと、むしろデジタル化を推進しやすい
国家体制ということができます。

そうしたことから、米国と中国は単なる経済的な覇権争いにとどまらず、
「国家のあり方」をかけた、より根の深い生存闘争を繰り広げることになる。

その結果、「第5のサイクル」を通じて、従来の世界の枠組みが大きく
変わることになるのではないか、と一部の専門家たちは考えているようです。

世の中には気の長いシナリオを考えつく人がいるものだなあと、気の短い私などは、
ただただ関心するばかりです。

 

なぜ投資のような面倒くさいことをやるのか?

「預貯金+αのリターン」を追求する

 

投資は極端な話、お金さえあれば、誰でもできます。

しかし、誰でも投資をやって、うまくいくわけではありません。

多くの人にとって、投資は「非日常の世界」です。

投資について少しでも理解しようと思ったら、日常生活では必要ない
専門用語や数字、理論などの知識を、ある程度は身につける必要があります。

投資のゴールをいつに設定するかは人それぞれですが、そのゴールに
到達するまでに、いちども投資で失敗しない人は、恐らくいないはずです。

私たちは何度かの失敗も含めて、投資という非日常の経験を積み重ね、
そこからまた何かを学んでいく必要もあるのだと思います。

しかも、投資の知識や経験が十分にある人でも、必ずしも最終的にゴールが
満足いくものになるとは限りません。

投資とは、それほど不確実で、はっきりいって面倒くさいものです。

多くの人にとってはそんなこと、「やりたくない」というのが本音でしょう。

そもそも私たちは、どうして投資などという不確実で面倒なことを、
やろうと考えるのでしょうか。

その動機はほとんどの場合、将来の生活に向けて預貯金の利息だけでは
物足りないから、あるいは、心もとないからだと思われます。

大手都市銀行メガバンク)の定期預金の利率は現在、預入額が1000万円以上の
「大口定期10年物」でも年利がたったの0.002%です。

いくら元本保証で安全とはいっても、これではもはや「雀の涙」と呼ぶのも
むなしくなるレベルです。

つまり、私たちにとっての投資とは、安全資産である預貯金に何らかの
リスク資産を加えることで、「預貯金+αのリターン」を追求するという
意味があることになります。

「+αのリターン」をできるだけ大きくしたいならば、株式への投資比率を
増やせばよい、というのが一般的な考え方です。

ただし、それは同時に、投資した資金が一時的もしくは最終的に大きく
減ってしまう可能性が高まる、ということでもあります。

投資資金とは別に、生活資金が十分に確保されていて、たとえ投資資金が
大きく減ることになっても構わないと考えられる人ならば、株式への投資比率を
高めることができます。

結果として、そういう人ほど、より高い「+αのリターン」を追求することが
可能になるわけです。

反対に、生活資金は十分にあるけれど、投資資金が減るのはどうしても
許せないという人や、生活資金がまだ十分に確保されていないという人は、
より高い「+αのリターン」を追求するのはあきらめて、株式への投資比率を
低めにした安定志向の投資をめざすべきなのかもしれません。

安定志向の投資として、まず思い浮かぶのが、日本国債を買って満期償還まで
持ち切るという方法です。

たとえば「個人向け国債は、私たち一般の個人でも買える日本国債です。

満期3年の固定金利型、満期5年の固定金利型、満期10年の変動金利型という
3種類が用意されていて、多くの銀行や証券会社で取り扱っています。

いずれも毎月(年12回)発行されていて、1万円から購入が可能。
購入手数料はかかりません。購入から1年が経過すれば国が額面で
買い取ってくれる、事実上の元本保証商品です。

投資が初めての人は、どれを選ぶべきか迷うかもしれませんが、
基本的には満期10年の変動金利型を選んでおくのが無難です。

これは3種類のなかで唯一、利率が半年ごとに見直される仕組みになっていて、
将来的に世の中の金利が上昇すると、この国債の利率も連動して上昇します。

つまり、世の中のインフレ(物価上昇)に合わせて、国債から得られる利息も
増えることになるため、インフレによる購買力の低下を補う効果が期待できます。

さて、直近の利率は3種類とも年0.05%となっています。

前述した「大口定期10年物」と比べれば、25倍にあたる大きな数字ですが、
それでも100万円を購入して年に500円のリターンというレベルなので、
この利率で満足できるという人はほとんどいないと思われます。

資産が10億円とか100億円あるような人ならば、元本保証だから、
資産の保全を考えるうえでは最適の商品なのかもしれません。

しかし、私たち一般の個人にとって、現状の個人向け国債はリターンが
あまりに小さすぎるため、資産を増やすには向かない商品といえるのです。

ふつうの個人は、こんな風に考えるはずです。

「預貯金+αのリターン」を追求するのに、日本国債は向かない。

でも、株式への投資比率を高めるのは、価格下落のリスクが怖い。

ならば、日本国債と株式の「中間」に位置するような金融商品はないのだろうか。

そうして行き着くのが、海外の国債という選択肢です。

 

米国債も株式より安全とは言い切れない

 

海外の国債に投資する方法としては、いわゆる「外国債券ファンド」(投資信託)を
購入する手もありますが、証券会社などが扱っている既発債を利用すれば、
一般個人でも海外の国債を単体で買うことができます。

ある証券会社が販売している米国債をみてみると、今年10月29日現在、
残存期間(償還までの残り期間)が9年9カ月のもので利回りは年1.42%(複利)。

これをほぼ10年満期と考えて、日本の個人向け国債の変動金利型(満期10年)と
比べると、利回り水準は28倍以上も大きいことになります。

個人向け国債の変動金利型(満期10年)は、これから世の中の金利が上昇した場合、
連動して利率も上昇するため、現状の年0.05%という利率が今後10年間でどのように
変わっていくのか分かりません。

ただ、変動金利型(満期10年)の利率が年1.42%まで上昇するためには、
日本の長期金利が2%を超える水準まで高まる必要があり、そういう状況に
なることは当面の間、考えづらいのが実情です。

米国債の年1.42%という利回りは、やはり魅力的ということになります。

 

問題は、この米国債がドル建てであるために、為替変動の影響を受ける
いうことです。

私たちが外貨建ての金融商品に投資する場合、為替変動によって損益分岐点
どうなるかを、あらかじめ計算で求めることができます。

少しややこしいですが、計算式は

「現在の為替レート(円)÷{(1+利回り)の年数乗}」

なので、これに上記の米国債の数字をあてはめてみます。

米国債の購入時に為替が1ドル=113円だったとすると、10年後の損益分岐点
「113円÷{(1+0.0142)の10乗}=98.1円」となります。

この米国債に投資した場合、10年後に1ドル=98円程度まで円高が進むと
金利収入の蓄積分がなくなり、元本割れの恐れも出てくるわけです。

最近、円・ドル為替レートは円安の傾向が続いていて、専門家の間では、
今後もしばらくは円安傾向が続くという予想が多いようです。

円安が進めば、その分だけ米国債から得られるリターンは増えることになりますが、
10年後の円・ドル為替レートがどうなっているかについては、神のみぞ知る、です。

結局のところ、「預貯金+αのリターン」を追求するうえで、米国債
日本国債よりも高いリターンが期待できることは間違いないのですが、
一方で為替のリスクを負うことになるため、株式よりも安全で安定した
投資が
できるとは言い切れないことになります。

こんな風にして、人々の投資にまつわる悩みは募っていくのです。

 

投手の自責点はアテにならないのか?

7失点で自責点は0という不思議

 

10月25日(月)の千葉ロッテvsソフトバンク25回戦(ZOZOマリンスタジアム)で、
2回表にソフトバンクが一挙7点を奪いました。

千葉ロッテの先発投手・美馬は1回2/3を投げて、打者12人に6安打、
7失点でしたが、なぜか自責点は0となっていました。

驚いた私は、改めて失点と自責点の関係を知りたいと思い、いろいろと
調べてみたのですが、これがけっこう難しいのです。

ポイントはまず、投手の自責点の対象にならない得点というものが、
いくつかあること。

たとえば守備陣のエラー(ファウルフライの落球を含む)、捕手または野手の
打撃妨害や走塁妨害、捕手のパスボールなどが関係した得点です。

それから、守備側には「アウトにできる守備機会」というものが
設定されていて、そこには実際に打者や走者をアウトにした場合はもちろん、
「エラーなどによってアウトにできなかった場合」も含まれるそうです。

投手に自責点がつくのは、守備側が3つの「アウトにできる守備機会」を
つかむ前に、自責点の対象となる得点が記録された場合に限られます。

「アウトにできる守備機会」が3回あった後では、ひとりの投手がどれだけ
失点しても、その投手の自責点とはなりません。

ただし、イニングの途中で投手交替があった場合、それ以降のプレーについては
話が変わってくるようです。

なんだか分かったような、分からないような話なので、
千葉ロッテvsソフトバンク戦の「2回表」に照らし合わせて考えてみます。

先頭の4番・デスパイネがライトフライで、まず1アウト。

5番・中村晃のショートゴロを、千葉ロッテの遊撃手・エチェバリア
エラー(悪送球)して、1アウト1塁。

このエラーを「アウトにできる守備機会」に含めるならば、この時点で
「アウトにできる守備機会」は2回目ということになります。

6番・牧原のセンター前ヒットで、1アウト1・2塁。

7番・甲斐がライト前ヒットを打って1点が入り、なおも1アウト1・3塁。

ここで8番・リチャードがセンターへ犠牲フライを打って2点目が入り、
2アウト1塁。

これで「アウトにできる守備機会」は3回目です。

つまり、これ以降に入った得点については、美馬の自責点にはならないわけですね。

9番・柳町のツーベースでもう1点が入り、1番・三森のタイムリーでまた1点、
2番・釜元のヒットをはさんで、3番・栗原のツーベースでまた2点。

打者一巡の攻撃で、すでに6点が入っています。なおも2アウト2塁。

ここで千葉ロッテの投手は、美馬から岩下に交替しました。

その後、4番・デスパイネのタイムリーで、さらに1点が入ります。

5番・中村晃のフォアボールをはさんで、6番・牧原がファーストゴロ。

ようやくチェンジです。

全部で7点入りましたが、岩下が打たれて入った7点目は、もともとは
美馬が出したランナー(栗原)だから、岩下には失点も自責点もつきません。

 

想定外のピンチで粘れていない?

 

さて、ソフトバンクの7得点はすべて美馬が出したランナーが
生還したものなので、美馬の7失点というのは分かります。

分からないのは自責点です。

リチャードの犠牲フライが、千葉ロッテにとって3回目の
「アウトにできる守備機会」で、この時点でソフトバンクは2得点です。

その2得点は、1点目が甲斐のタイムリーで中村晃が生還したもの、
2点目がリチャードの犠牲フライで牧原が生還したものです。

このうち中村晃は、エチェバリアのエラーで出塁したのだから、
美馬の自責点ではない。これは分かります。

しかし牧原は、美馬がヒットを打たれて出したランナーであり、
その後にエラーなどは記録されていないので、この1点だけは
美馬の自責点になるのではないでしょうか。

それとも、本来はリチャードのセンターフライで3つ目のアウトとなる
はずだったから、現実には犠牲フライになって1点が入ってはいるものの、
この1点は自責点にカウントしないということでしょうか?

この辺がよく分かりません。


いずれにしても、その後に美馬は4連打を食らって、さらに5点を失っていますが、
それらはすべて自責点にカウントされないルールになっています。

こうしてみると、プロ野球投手の自責点防御率というのは、
意外とアテにならないものではないかと思ってしまいます。

失点が多いのに自責点は少ないというケースもありそうなので、
実際に今年の投手成績を確認してみました。

セ・パ両リーグで規定投球回数に達している投手の失点と自責点をみると、
たとえば広島の九里は失点72に対して自責点が62防御率3,88)、
ソフトバンクの石川は失点70に対して自責点が59防御率3.40)と、
その差が10点以上も開いています。

ちなみに前述の千葉ロッテ・美馬は、規定投球回数に達していませんが、
失点72に対して自責点が63防御率4.92)です。


こういう数字をどのように解釈すればいいのでしょうか。

私は現在、以前に比べてプロ野球の試合をほとんど観なくなったうえに、
ファンでもないチームの投手については普段から数字も確認しないので、
余計に分からないのですが、失点と自責点の差が大きい投手は、
野手のエラーなどで想定外のピンチに立たされたとき、そこから粘ることが
できていないと言えるのかもしれません。

そう考えると、昔のいわゆる「抑えピッチャー」はすごいと同時に、
可哀そうだったような気もします。

現代の「クローザー」とはちがって、7回や8回のノーアウト1・3塁とか
1アウト2・3塁などの大ピンチで登板し、そこから9回まで投げ切ることを
期待されるのが普通でした。

想定外のピンチどころか、最初から自分以外の投手がつくった
ピンチで登板することが「想定内」だったわけです。

もちろん、そこで打たれて得点されても、自分の失点や自責点には
ならないケースも多かったと思いますが、逆にきちんと0点で抑えた
場合には、通常より評価の高い特別な防御率を適用してあげても
よかったのではないかとさえ思います。