解✦談

解りやすく、解きほぐします。

中日のベテランよ、外野をめざせ

もうすぐプロ野球のキャンプインですね。

 

中日は他球団の戦力外選手などをゴチャゴチャとかき集めて、

自前で野手を育てられない未熟さをさらけ出しています。

 

でも、そんなことはどうでもいいでしょう。

この球団の「組織としての未熟さ」は、

落合監督の8年間を除いて、ずっと以前からのことであり、

それでも優勝するときは優勝してしまうところが痛快なのですから。

 

中田がファーストに入ってビシエドがどうなるとか、

石川がサードで固定されると高橋周がどうなるとか、

相変わらず「ぬるい議論」が目立ちます。

 

今年の中日が優勝争いに加われるかどうかは、

まさにビシエドと高橋周の動きにかかっていると私は思います。

2人が中田や石川のサブに甘んじているようでは、

まずダメでしょうね。

 

たとえばビシエドは、レフトに挑戦すればいい。

高橋周も、レフトやセカンドに挑戦すればいい。

そのうえで、中田や石川のサブもできるという

立ち位置を確立するべきでしょう。

 

昔は内野手が外野に挑戦する、

あるいは強引にコンバートされるという事例が

たくさんありました。

 

宇野、立浪、福留、イ・ジョンボム、荒木、森野…。

捕手の中尾も外野へ回されています。

 

ベテランだから、などという言い訳はいりません。

本当に野球がやりたくて、試合に出たいのなら、

なりふり構わず何でもやったらいいのです。

 

今年のキャンプで、ビシエドと高橋周が

外野のノックを受けたら盛り上がるだろうし、

若手に与える影響も大きいのではないでしょうか。

 

もちろん、木下がレフトに挑戦するのもありです。

 

間違って優勝してこそ中日

中日が開幕から5戦で、早くも3回目の完封負けを喫しました。
これで1勝4敗。ネット上では多くのファンが怒りの声を浴びせています。

この時点で騒ぐのは、ちょっと気が早いようにも思いますが、
球団として最弱の期間がすでに10年も続いているので、
「今年もまたダメなのか」という落胆が怒りを呼ぶのでしょう。

私はいま怒ってもいないし、呆れてもいません。
その理由は、中日の現状に対する世間の評価があまりに低いからです。

ちまたで言われているのは、たとえば、こんな指摘です。

--球団には相変わらず、本気で優勝を狙えるチームづくりをする気がない。
--監督およびコーチ陣には、確固たる戦略も戦術もないから、1試合ごとに
  場当たりで成り行き任せの選手起用になる。
--自前で打てる野手を育てられないから、外国人に頼ろうとしている。

どの指摘もおおむね、その通りだと思います。
しかし、だとしたら開幕から1勝4敗ぐらいの戦績は、普通にあり得ることです。

私はなにも、最初から今シーズンを諦めているわけではありません。
世間の評価がメチャクチャ低いなかで、それでも間違って優勝してしまうのが、
私の望む中日ドラゴンズの姿だからです。

優秀な指導者やスカウトが揃い、球団としてのバックアップ体制も強固で、
最近流行りのデータ活用にも積極的に取り組み、実際に有望な若手が次々と
育っていて、誰が見ても戦力的に層が厚いと思えるようなチームなら、
優勝を期待するのは当然です。

でも、そんな完全主義のチームに、私はそれほどの魅力は感じません。

中日の歴史上、唯一といえる黄金時代を築いた落合監督の8年間が、
常勝チームだったにもかかわらず退屈だったのは、そのせいです。

さすがに幼稚園野球やサラリーマン野球は勘弁してほしいけれど、
せめてハチャメチャ野球で世間の低評価の鼻を明かしてほしい。
そのための起爆剤として、細川とブライト、龍空に期待しています。

 

アンコの死

黒猫「アンコ」が亡くなったことを知って、もう10日が経ちましたが、
いまだにショックが尾を引いています。

『アンコの3年間』というタイトルの動画には、アンコの成長過程が
30分超にわたって記録されています。

すでに10回以上は観たと思いますが、毎回、その愛くるしい姿に
自然と笑みがこぼれ、目頭が熱くなってきます。

これまで定期的に動画で観ていたとはいえ、当然のことながら、
私はアンコに一度も会ったことがありません。
そもそも猫動画というのは、一度も会うことがないであろう猫に対して、
こちらが勝手に思い入れて観つづけるだけのものです。

それでも、こんなに心が揺れるものなのですね。

飼い主が「ずっとそばにいると思っていた」のと同じように、
私もこれからずっとアンコの姿を観ることができると勝手に思っていました。
だから、あまりに突然の死に、心が追いついていきません。

かしこくて一途で純粋で、他の猫の面倒見がよくて、しかも甘えんぼで
愛嬌のあるところが、アンコの魅力でした。

「どうしてアンコに与えられた時間が、たったの3年間だったのか」。
恐らく私の心の叫びは、この疑問に集約されると思うのですが、
他の数多くの死と同様に、答のない疑問なのでしょう。

 

 

幽霊に関する2つの新説

三木大雲という、俗に「怪談和尚」と呼ばれているお坊さんがいます。
彼がYouTubeで、「お経」に書かれている内容を丁寧に説明しているのですが、
それを観て、私はかなり驚きました。

お釈迦様がかつて、こんなことを言ったそうです。

--自分がこれまでいろいろな人の質問に答えたり、話してきた内容は、
すべて「方便」だった。

--いまから方便ではなく、本当に自分が思っていることを話す。

そう宣言したお釈迦様が、大勢の信者を前に話した内容を克明に記録したのが、
いまに伝わる「お経」だというわけです。

 

「方便」については、手元の辞書にこうあります。

①仏教で、衆生を真の教えに導くために用いる仮の手段。
②ある目的を達するために用いる便宜的な手段。

「うそも方便」といわれることから、方便には多少、「まやかし」的な
要素はあっても、決してネガティブな意味合いだけのもの(手段)では
ないことが分かります。

しかし、いずれにしても方便は方便であり、世の中には方便とは別に、
真実や真理(と思えるものや手段)がある、ということなのでしょう。

 

私は最近、いわゆる「幽霊」や「心霊現象」と呼ばれるものについて、
2つの新説を思いつきました。

それらが単なる方便なのか、はたまた真理に近いものなのか、
自分でもよく分かりませんが、どちらも人間の「心持ち」に関係しており、
私としては「そう考えると納得がいく」という類いの話です。

《第1説:幽霊はゴキブリである》

部屋の壁や天井に突然、ゴキブリが現れたら、多くの人は驚き、
おののくことでしょう。

私の場合は、まず「クソッ」と怒り、「なんでやねん」とつぶやきながら、
ゴキブリを叩き潰しにかかりますが、人によっては恐怖のあまり部屋を
飛び出すかもしれません。

多くの人にとってゴキブリは、そこに本来「いるはずがないもの」であり、
なおかつ、「いてはいけないもの」です。

そういう日常のなかの異物が突如として現れたから、人は驚き、
恐怖を感じるのだと思います。

幽霊や心霊現象に対しても、多くの人はゴキブリと同じ感覚を
抱いているのではないだろうか、というのが私の結論です。

それが人間の姿をして動き回る幽霊であろうと、まったく動かない
不気味な人形であろうと、そこに「いるはずがない」「あるはずがない」
「いてはいけない」「あってはいけない」ものが現れたとき、
多くの人は恐怖を感じます。

でも、その幽霊や心霊現象が自分にとって馴染みの深いものだったり、
喜ばしいものだったとしたら、どうでしょう。

「いるはずがない」のだけれど、別に「いてくれてもいい」ものだったならば…。

たとえば、自分がかつて大好きで、すでに亡くなってしまった人や飼い猫が
突然現れたとき、私たちは恐怖を感じるものでしょうか。

実際にそういう経験がないので何ともいえませんが、私は恐らく
懐かしさを感じて、「しばらくここにいてほしい」と願うような気がします。

ゴキブリではなく、七色に光るタマムシが部屋に現れた場合には、
私なら歓喜します。

私にとってタマムシは、そこに「いるはずがない」としても、
全然「いてくれてもいい」ものだからです。

世の中には、ゴキブリだって部屋のなかにいてくれて全然構わない、
という人もいるかもしれません。

要するに、自分との関係性によって、あるいは自分の「心持ち」ひとつで、
幽霊や心霊現象は恐怖の対象にもなるし、懐かしさや愛しさの対象にもなる
ということでしょう。

《第2説:幽霊は先輩である》

最近は、いわゆる事故物件にからんだ幽霊話をよく耳にします。

これは当然のことながら、ごく普通の人びとが、たまたま事故物件に住むこととなり、
そこで心霊体験をしてしまったから怖い、という話です。

それでは、「普通ではない人」が事故物件に住んで、心霊体験をした場合は
どうなるでしょうか。

たとえば、病気で余命いくばくもない人や、何らかの理由で近々自殺しようと
考えている人が、たまたま事故物件に住んで幽霊に出会ったとしたら、
いったい何を思うでしょう。

もしも私がその立場だったら、「良き先輩に出会った」と感じるような気がします。
つまり、「もうすぐ私もあなたと同じ道をたどります」という、
シンパシーのようなものを感じるのではないかと思うのです。

死を覚悟したり、死期を悟った人にとって、幽霊や心霊現象はいわば
「近い将来の自分」です。

一方で、「自分はまだまだ生き続ける」と勝手に決めつけている人にとって、
幽霊はとんでもない異物として存在します。

しかし、実はそういう普通の人びとも、いずれは全員死んでいくのだから、
幽霊は誰にとっても先輩であると言えるわけです。

 

歌詞が「あ」で始まる曲

その昔、仲間たちとやっていた遊びを、ふと思い出しました。
歌詞が「あ」で始まる邦楽の出だしを、交替で順番に歌っていき、
どれだけたくさん歌えるか競うというものです。

当時は余裕で100曲以上は挙がっていたはずなのですが、
いま思い浮かべてみると、そう簡単には出てきません。

これからゆっくり考えていこうと思います。
今回はさわりだけ。

まず、「あ~」とか「ああ」などの感嘆詞?で始まる曲です。

 

心の旅(チューリップ) ♪あ~ だから今夜だけは君を抱いていたい
みずいろの雨八神純子) ♪あ~ みずいろの雨
半分少女小泉今日子) ♪あ~ 私のこころは悲しくしく泣いてるわ
私のハートはストップモーション桑江知子
      ♪ああ 私のハートはストップモーション
青い珊瑚礁松田聖子) ♪あ~ 私の恋は南の風にのって走るわ
大都会クリスタルキング) ♪あ~あ~ 果てしない夢を追い続け
渚のシンドバッドピンク・レディー) ♪アアアア、アアアア…アア渚のシンドバッド
トワイライト・アベニュースターダスト・レビュー
      ♪ああ あなたにときめく心のまま
わかれ道かぐや姫) ♪ああ 君の長い髪と胸のふくらみを
LADY甲斐バンド) ♪ああLADY 手のなかに

次に、「あなた」で始まる曲。

時の過ぎゆくままに沢田研二) ♪あなたはすっかり疲れてしまい
時をかける少女原田知世) ♪あなた私のもとから突然消えたりしないでね
鳥の詩杉田かおる) ♪あなたがいた頃は笑いさざめき
岬めぐり(ウィークエンド) ♪あなたがいつか話してくれた
冬の稲妻(アリス) ♪あなたは稲妻のように私の心を引き裂いた
北の宿から都はるみ) ♪あなた変わりはないですか
ロマンス岩崎宏美) ♪あなたお願いよ 席をたたないで
青い果実山口百恵) ♪あなたが望むなら私なにをされてもいいわ
海を見ていた午後荒井由実) ♪あなたを思い出す この店に来るたび
プレゼントジッタリンジン) ♪あなたが私にくれたもの
神田川かぐや姫) ♪あなたはもう忘れたかしら
22才の別れ(風) ♪あなたにさよならって言えるのは今日だけ
わかって下さい因幡晃) ♪あなたの愛した人の名前は
いつものより道もどり道長渕剛) ♪あなたの名前を呼ぶ
きんぽうげ甲斐バンド) ♪あなたに抱かれるのは今夜かぎりね
恋する夏の日天地真理) ♪あなたを待つのテニスコート
ひとりじゃないの(〃) ♪あなたが微笑みを少しわけてくれて
アン・ドゥ・トロワキャンディーズ) ♪あなたの胸に耳を当てれば
哀愁のシンフォニー(〃) ♪あなたの目が私を見て
あなたに夢中(〃) ♪あなたが好き とっても好き

 

中日ドラゴンズの幼稚園野球

中日の試合が本来とは違う意味で面白くなってきている、と思います。

きっかけは、6月24日(金)の阪神戦で
3番:石岡、4番:木下、5番:山下というクリーンアップを
組んだことでした。

この試合は4対6で負けましたが、実はその前後、
6月23日(木)のヤクルト戦と6月25日(土)の阪神戦は
ともに0対10で完封負けしています。

恐らくこのあたりで、立浪監督のなかの「何か」がプツンと切れたのでしょう。

7月7日(木)のDeNA戦では、3番に福元を抜擢。
ドラフト6位の新人で、なぜかこの1試合だけの起用でした。

7月17日(日)の阪神戦では、5番に育成出身2年目のワカマツを抜擢。
次の試合にも先発5番で起用しましたが、1打席だけで2軍行きとなっています。

ようやく1軍で活躍し始めた石岡を、いきなりオリックスの後藤とトレード。
その後藤を3番で使ったり、郡司を3番で使ったり…。

私は水島新司の漫画「ドカベン」を思い出しました。

うろ覚えなのですが、たしか山田たちが高校1年の秋、
神奈川県大会での出来事だったはずです。

明訓高校はエース里中が故障で出場できず、サードの岩鬼が先発しましたが、
途中でセカンドの殿馬や、外野兼控え捕手の微笑に交替し、
挙句の果てには山田までが登板することに。

それをスタンドで見ていた、ライバルの東海高校・雲竜が
「始まったぞ、明訓の幼稚園野球が!」と笑ったのです。

いまの中日にも、この「幼稚園野球」という言葉がよく似合います。

といっても、すべて否定的な意味ではありません。

根尾を投手に挑戦させたり、8番ショートで土田を起用するのは、
私としては評価しています。

あとは石橋(捕手)、石垣(内野手)、伊藤(外野手)などの
出場機会を増やしてくれれば、見どころは十分です。

木下は、控え捕手&代打の切り札でいいのでは?

山下、溝脇、平田、福田あたりは、みんな代打要員でしょう。

三ツ俣、後藤は当然のことながら、守備要員です。

どうせならシーズン終了後のドラフトやトレードなどでも、
幼稚園野球ぶりを徹底してほしいところです。

去年はドラフトで3人の外野手を獲ったのだから、
今年は内野手3人、投手3人で決まりでしょうね。

いまの中日を見ていると、サラリーマンみたいな選手ばかりが目立ちます。

あんまり野球が好きじゃないんでしょうね。

好きじゃないのなら、さっさと転職したらいいのに、と思ってしまいます。

水島新司流にいえば「男どアホウ」でも「野球狂」でもいいから、
もっと野球好きな選手が集まってくれないものですかね。

 

ユーミン・トップ20曲

今年(2022年)はユーミンのデビュー50周年にあたり、
それを記念して各種の企画が展開されています。

先日、7月18日(月・祝)にはラジオのNHK-FMで、
「今日は1日ユーミン三昧」という番組が放送されました。

私は聴きませんでしたが、番組内ではリスナーからの
リクエスト曲・トップ50が発表されたようです。

ネットで曲目リストを見て、いくつか感じたことがありました。

トップ20の楽曲は以下のとおりです。
( )内は、収録されたアルバム(もしくはシングル)と発表年を表します。

①守ってあげたい(昨晩お会いしましょう/1981年)
②カンナ8号線(昨晩お会いしましょう)
③海を見ていた午後(ミスリム/1974年)
やさしさに包まれたなら(ミスリム)
⑤中央フリーウェイ(14番目の月/1976年)
ルージュの伝言(コバルト・アワー/1975年)
⑦晩夏(14番目の月)
⑧DESTINY(悲しいほどお天気/1979年)
⑨まちぶせ(シングル/1996年)
⑩瞳を閉じて(ミスリム)
ノーサイドノーサイド1984年)
⑫卒業写真(コバルト・アワー)
⑬スラバヤ通りの妹へ(水の中のASIAへ/1981年)
⑭水の影(時のないホテル/1980年)
⑮消灯飛行(シングルB面/1977年)
⑯埠頭を渡る風(流線形’80/1978年)
⑰あの日にかえりたい(シングル/1975年)
青春のリグレット(DA・DI・DA/1985年)
⑲潮風にちぎれて(シングル/1977年)
⑳5cmの向う岸(時のないホテル)

一見して、リスナーには古くからのユーミンファン、
つまりはそこそこ年齢の高い人が多かったのだろうなと思いました。

まあ、NHK-FMなので、もともとリスナーの平均年齢は高めのはずです。

トップ20を発表年代で分けると、70年代が12曲、80年代が7曲、
90年代が1曲となっています。

ユーミンの楽曲は映画やドラマ、CMなどに使われることも多いため、
比較的若い世代が、発表から何年も後に聴いて好きになったという
ケースも少なくないでしょう。

それを考慮しても、70年代から80年代前半にかけての楽曲が
高い支持を得ている様子には、ちょっと驚きました。

なかでも2位のカンナ8号線や、3位の海を見ていた午後
7位の晩夏などは、ずいぶん順位が高い印象です。

また、消灯飛行潮風にちぎれてのシングル曲、
さらにはアルバム『時のないホテル』から水の影5cmの向う岸
トップ20に入ったというのは、本当に意外でした。

私はユーミンのファンではないので、勝手な解釈にすぎませんが、
これらの曲をリクエストするあたりに、古くからのユーミンファンの
思い入れが強く表れているような気がします。

私はユーミンのファンではありませんが、好きな曲はたくさんあります。
以前、ベスト10については書いたことがありましたが、さらに10曲を加えて
トップ20とするならば、以下のようになります。

①潮風にちぎれて
②ナビゲイター
③わき役でいいから
④気ままな朝帰り
⑤真冬のサーファー
⑥ためらい
⑦埠頭を渡る風
⑧水の影
⑨よそゆき顔で
⑩航海日誌
⑪悲しいほどお天気
⑫A HAPPY NEW YEAR
⑬グッドラック・アンド・グッドバイ
⑭ずっとそばに
⑮雨の街を
⑯海を見ていた午後
⑰雪だより
⑱VOYAGER~日付のない墓標
⑲晩夏
⑳最後の春休み

このうち発表年がいちばん新しいのはVOYAGER~日付のない墓標
1984年なので、いまから38年前ですか…。私が好きなユーミンの楽曲は、
ほとんどが40年以上前の作品ということになります。

古い曲しか興味がないのは、どこか異常なのかなとも思っていましたが、
それでもトップ20のうち5曲がNHK-FMのリクエストとダブっています。
私の2位であるナビゲイターは、NHK-FMでも30位に入っていました。
変な話ですが、なんだか少しほっと安心しました。