解✦談

解りやすく、解きほぐします。

中日の開幕オーダー

プロ野球の開幕が迫ってきました。
今年の中日はどうでしょうか。

順位にはそれほど期待していないけれど、
「ヘタレ」の首脳陣が一新されたので、
過去3年間より面白い試合が増えることだけは確かでしょう。

ここにきて、岡林と大島が開幕に間に合うかどうか、
微妙との情報が流れています。
そこで、2人がいる場合と、いない場合のそれぞれについて、
開幕オーダーを考えてみました。

立浪新監督は巨人の開幕投手・菅野との相性を考えて、
福留を使うと公言しているので、とりあえず福留は
スターティングメンバーに入れておきます。

《2人がいる場合》

1番⑨岡林
2番⑧大島
3番④高橋
4番③ビシエド
5番⑦福留
6番⑤石川
7番②木下
8番⑥京田
9番①大野

《2人がいない場合》

1番⑧根尾
2番⑤石川
3番④高橋
4番③ビシエド
5番⑨福留
6番⑦鵜飼
7番②木下
8番⑥京田
9番①大野

個人的には、2人がいない場合でも、
なかなか楽しみな打線だと思います。

 

漫画&アニメのベスト10

漫画とアニメのベスト10も考えてみました。

《漫画(コミックス)・ベスト10》

①硬派銀次郎(本宮ひろ志
②男どアホウ甲子園(水島新司/原作:佐々木守)or
 野球狂の詩水島新司
ブラック・ジャック手塚治虫
修羅の刻川原正敏
ど根性ガエル吉沢やすみ
エースをねらえ!山本鈴美香
デビルマン永井豪
恐怖新聞つのだじろう
がきデカ山上たつひこ
漂流教室楳図かずお

※作家ひとりにつき1作品限定としました。
※②は原作がないものならば『野球狂の詩』とします。

《アニメ(テレビ放映)・ベスト10》

ルパン三世(第1シリーズ)
デビルマン
タイガーマスク
バビル2世
ドロロンえん魔くん
ど根性ガエル
ふしぎなメルモ
妖怪人間ベム
ハクション大魔王
ラ・セーヌの星

※『デビルマン』と『ど根性ガエル』は、コミックスとテレビアニメの
   両方ともベスト10に入りました。
※『デビルマン』の牧村美樹、『ドロロンえん魔くん』の雪子姫、
 『ど根性ガエル』の京子ちゃんは、私の3大アイドルです。

 

現在のベスト曲

楽曲を好きになる理由については、いろいろなパターンが挙げられます。

基本中の基本は、いまこの瞬間に聴いてみて、曲も詞もピンとくるかということ。

昔はそうでもなかったのに、いまではアレンジがとても気に入っている、
という曲もあります。

かつてその曲を頻繁に聴いていた時代の印象、つまりは覚えている風景とか、
一緒に聴いていた仲間の様子とか、そういう諸々が強烈に残っているため、
どうしても折に触れて聴きたくなってしまうパターンもあります。

こうした理由のうち、どれがどのように作用しているのか解らないけれど、
不思議なことに、好きな楽曲は時代とともに変わっていきます。

私の「アーティスト別・ベスト曲」も、現在と20歳代の頃を比べると、
微妙に変わっている。

それに気づくことが、けっこう面白いのです。

以下は現在のベスト10です。

吉田拓郎

①赤い燈台 ②春になれば ③おやじの唄 ④シンシア
⑤春だったね ⑥午前0時の街 ⑦おきざりにした悲しみは
⑧旅の宿 ⑨白い部屋 ⑩花嫁になる君に

ユーミン

①潮風にちぎれて ②ナビゲイター ③わき役でいいから
④気ままな朝帰り ⑤真冬のサーファー ⑥ためらい
⑦埠頭を渡る風 ⑧水の影 ⑨よそゆき顔で ⑩航海日誌

甲斐バンド

①ブラッディ・マリー ②シネマクラブ ③あの日からの便り
④かりそめのスウィング ⑤男と女のいる舗道 ⑥バス通り
⑦吟遊詩人の唄 ⑧東京の一夜 ⑨最後の夜汽車 ⑩絵日記

《風》

①夜汽車は南へ ②古都 ③君と歩いた青春 ④少しだけの荷物
⑤男は明日はくためだけの靴を磨く ⑥海岸通 ⑦時の流れ
⑧地平線の見える街 ⑨はずれくじ ⑩あいつ

 

積立投資の効果は、値動きによって変わる

心臓に悪い値動きこそが積み立て向き?

 

投資に関する考え方のなかには、どうしても数字を使って計算してみないと、
具体的なイメージが湧いてこないものがあります。

たとえば、積立投資の効果は、投資対象の値動きによって変わるというお話。

いま、株価指数に連動するインデックス型投信に毎月1万円ずつ、
10カ月にわたって積立投資をおこなうと仮定しましょう。

株価指数は「日経平均株価」でも米国の「S&P500種株価指数」でも、
何でも構いません。とりあえず何らかの株価指数を想定しておきます。

インデックス型投信の値動き(基準価額の動き)について、3種類のパターンを
考えてみます。話を分かりやすくするために、値動きはわざと極端な例を示します。

ひとつめの《事例A》は、基準価額が順調にずっと右肩上がりで動いたケースです。

ある月末(0カ月目)の基準価額がちょうど10000円だったとして、
その次の月末から1万円ずつ積み立てたとします。

各月の基準価額と、それに応じて購入できた口数は、以下のようになります。
ちなみに計算は、「1万円÷基準価額=購入口数」です。

《事例A》

0カ月目 10000円

1カ月目 11000円   0.9口  6カ月目 20000円   0.5口
2カ月目 13000円 0.76口  7カ月目 21000円 0.47口
3カ月目 15000円 0.66口  8カ月目 23000円 0.43口
4カ月目 16000円 0.62口  9カ月目 24000円 0.41口
5カ月目 18000円 0.55口  10カ月目 25937円 0.38口

 

このケースでは、10カ月間に10万円を使って合計5.68口を購入したことになります。

10カ月目の時点で投資の状況は「5.68口×25937円=14万7322円」なので、
この時点で得られたリターンは4万7322円。

「14万7322円÷10万円=1.473」なので、収益率はプラス47.3%です。

また、10カ月間で1口あたりの平均購入単価は「10万円÷5.68口=17605円」です。

2つ目の《事例B》は、基準価額が最初はぐずぐずと冴えない動きだったものの、
途中から順調に上昇したケースです。

《事例B》

0カ月目 10000円

1カ月目   9500円 1.05口  6カ月目 14000円 0.71口
2カ月目   9000円 1.11口  7カ月目 17000円 0.58口
3カ月目   9500円 1.05口  8カ月目 20000円   0.5口
4カ月目 10000円    1口  9カ月目 23000円 0.43口
5カ月目 10500円 0.95口  10カ月目 25937円 0.38口

このケースでは、10カ月間に10万円を使って合計7.76口を購入したことになります。

10カ月目の時点で投資の状況は「7.76口×25937円=20万1271円」なので、
得られたリターンは10万1271円。

「20万1271円÷10万円=2.012」なので、収益率はプラス101.2%です。

10カ月間で1口あたりの平均購入単価は「10万円÷7.76口=12886円」です。

3つ目の《事例C》は、いきなり基準価額が急落して半値まで落ち込んだものの、
その後は回復して順調に上昇したケースです。

《事例C》

0カ月目 10000円

1カ月目   8000円 1.25口  6カ月目 12000円 0.83口
2カ月目   6000円 1.66口  7カ月目 16000円 0.62口
3カ月目   5000円    2口  8カ月目 20000円   0.5口
4カ月目   7000円 1.42口  9カ月目 23000円 0.43口
5カ月目   9000円 1.11口  10カ月目 25937円 0.38口

このケースでは、10カ月間に10万円を使って合計10.2口を購入したことになります。

10カ月目の時点で投資の状況は「10.2口×25937円=26万4557円」なので、
得られたリターンは16万4557円。

「26万4557円÷10万円=2.645」なので、収益率はプラス164.5%です。

10カ月間で1口あたりの平均購入単価は「10万円÷10.2口=9803円」です。

これら3つの事例では、いずれも基準価額が当初の10000円から、
10カ月後には25937円まで上昇しています。

ところが、その過程で基準価額がどのような動きをするかによって、
最終的な投資成績にはかなり大きな違いが出てくることが分かります。

《事例A》は基準価額がずっと右肩上がりなので、投資家は「下落の恐怖」に
おびえる必要がいっさいなく、精神衛生上は非常に良いと考えられます。

しかし積立投資に限っては、好ましいパターンではありません。

むしろ、途中で基準価額が半分まで下がって「心臓に悪い」ような
《事例C》こそが、積立投資にもってこいのパターンなのです。

逆に考えると、もしも今後、私たちが積み立てる投資対象の価格が
《事例C》のように急落したとしても、それについて「しまった」とか
「やばい」と思って焦る必要はないわけです。

もちろん、その後に価格が回復して、最終的に大きく上昇してくれなければ、
十分なリターンは得られません。

でも、「その後の価格がどのように動くか」についてなど、どっちみち誰にも
分からないのです。

せっかくなら投資対象の価格がいったん大きく下落して、積立投資の
平均購入単価が下がってくれた方が、将来的に大きなリターンにつながる--。

そんな風に考えた方が、よっぽど精神衛生上よろしいのではないか、
と思うのです。

 

積立投資の対象も分散が不可欠

 

ところで、上記の3つの事例を毎月の積み立てではなく、
「毎年の積み立て」と考えたらどうなるでしょうか。

つまり、基準価額の動きをそれぞれ1年間の平均値と考え、その平均値に対して
毎年1万円ずつ、10年間にわたって積み立てたと仮定するわけです。

3つの事例の最終的な基準価額は25937円という中途半端な数値になっていますが、
実はこれにはちょっとした意味があります。

当初の基準価額10000円が、10年間で25937円まで上昇した場合、この投信における
10年間のリターンは、ちょうど「年率10%」に相当することになります。

「10000円×(1.1の10乗)=25937円」という計算です。

年率10%というリターンは、株式投資では悪くない数字です。

私がこれまでに見聞きした専門家の話を総合すると、株式投資では長期的に
長期金利+5~7%程度」の年率リターンが期待できるようです。

長期金利は「10年物国債利回り」のことで、最近は日本が0.1%強、
米国が1.8%弱といった水準です。

専門家の意見が正しいならば、現状で日本株には5~7%程度、米国株には
7~9%程度の年率リターンをそれぞれ期待していいことになります。

もういちど、《事例A》を見てみましょう。

10カ月を10年間に置き換えて考えると、最終的な収益率47.3%というのは
年率換算で2%強にすぎません。

当初の基準価額10000円の時点で10万円を一括投資した場合には、
年率10%のリターンが得られるにもかかわらず、積立投資をやると
年率2%強まで下がってしまうわけです。

《事例B》でも、積立投資をやると年率7%強まで下がります。

《事例C》では逆に、積立投資をやることで、年率10.2%強まで
リターンが向上します。

このところ日本の個人の間では、米国株投資がブームの様相を呈しています。

2021年に、米国のS&P500種株価指数が26.8%の上昇を記録したのに対して、
日本では日経平均株価が4.9%、TOPIX東証株価指数)が10.3%の上昇に
とどまりました。

過去30年間のリターンを年率でみても、S&P500種株価指数の8.5%程度
(配当なし・米ドルベース)に対して、日経平均株価は0.7%程度、
TOPIXは0.4%程度(いずれも配当なし)となっています。

短期でみても長期でみても、日米株式の上昇率には大きな差があるわけで、
日本人が米国株の高い成長性に便乗したいと思う気持ちはよく分かります。

しかし、だからこそ積み立てによって米国株への投資を考えている人には、
前述した3つの事例を思い出してほしいのです。

見かけ上の収益率と、実際に積立投資をやった場合の収益率が、
投資対象の値動きによって大きく変わってくることを。

今年以降、米国株はいったいどのような値動きをするのでしょうか。

これまで10年以上にわたって、米国株はほぼ《事例A》のような値動きを
示してきたので、そろそろパターンが変わっても不思議ではありません。

FRB(米連邦準備理事会)が予定している利上げなどの影響で、
米国株が急落でもしてくれようものなら、それこそ積み立てを
始めるには絶好のチャンス到来です。

でも、実際に何が起こるのか、誰にも正確に予想することはできません。

ならば、他の国の株価指数で、これから《事例C》のような値動きを
しそうなものはないのか。

もちろんそれについても、誰も分かりません。

だとすれば、積立投資の対象も分散が不可欠ということになります。

つまらない結論かもしれませんが、「長期・分散・積み立て」という
投資3点セットの重要性は、なかなかに揺るぎないものなのです。

 

イントロに関する考察

最近はイントロが短い曲じゃないと、ヒットしないどころか、
聴かれもしないようですね。

ある調査データによると、サブスクリプションサービスで音楽を聴く人の25%は、
最初の5秒間で気に入らないと、次の曲へ移ってしまうとか。

カラオケでもイントロや間奏が長い曲は、同席者の手前、気まずかったり
手持ち無沙汰だったりするのが嫌なので、歌いたくても選ばない人が結構いる
みたいです。

スターダストレビューの《トワイライト・アベニュー》は、イントロが
7秒間なので、歌の始まりまで持つかどうか際どいところです。

ほんの3秒ほど我慢してくれれば、劇的かつ美しいサビのメロディで歌が
始まりますが、「イラチ」な人はこの名曲を知らずに終わる可能性もありますね。

原田知世の《時をかける少女》は、イントロで2つのコードの繰り返しが2回、
15秒間続きます。

その後に高低の音階をかけ巡る、ユーミンの荒業が展開されるわけですが、
まさか、この曲も最近は知らない人が多かったりして。

まあ、人それぞれなのだから、好きにすればいいでしょう。

レッド・ツェッペリンの《天国への階段》や、イーグルス
ホテル・カリフォルニア》は、イントロが1分弱あります。

ピンク・フロイドの《タイム》は2分以上。

これらロックの定番曲とかプログレなどは、そもそも若者や現代人の
興味から外れているので、最初から選択肢にも入らないか…。

ツェッペリンといえば、《When The Levee Breaks》のイントロは不穏な音が
1分20秒以上も続きますが、その不気味さがなんともいえず格好いい。

ローリング・ストーンズの《Gimme Shelter》(50秒程度)や、
キング・クリムゾンの《21st Century Schizoid Man》(これは短い)など、
不穏さゆえに魅力的なイントロもたくさんあります。

もちろん、これらはヘヴィメタを好む人にとっては、なんてことない
イントロでしょうけどね。

 

      ✤      ✤      ✤      ✤

 

私はイントロが長いか短いかを気にしたことはないけれど、
イントロについてひとつ、気付いていたことはあります。

ビートルズには、イントロのない曲が非常に多い。

年代順に代表曲を挙げてみます。

《All My Loving》《If I Fell》《Can’t Buy Me Love》《No Reply》
《I’m A Loser》《Help!》《Nowhere Man》《Girl》《Paperback Writer》
《Hello, Goodbye》《Hey Jude》《The Long And Winding Road

このほか、《Penny Lane》や《For No One》《Oh! Darling》など、
イントロが1音しかないような曲もあります。

ビートルズの楽曲は、とくに中期のアルバム『リボルバー』までは、
全体の長さが1分台や2分台のものがほとんどです。

だからイントロや間奏はなるべく省いて、ポールやジョンたちの声を
できるだけ多く聴いてもらおうという戦略だったんでしょうか。

これ、現代のサブスク・ユーザー向きですね。

でも、《While My Guitar Gently Weeps》はイントロが少し長いから
飛ばされてしまって、エリック・クラプトンの泣きのギターが聴いて
もらえないかもしれません。

日本でビートルズに影響を受けたミュージシャンは数知れず。

そのなかで、たとえばチューリップの財津和夫は、イントロについても
影響を受けたのではないかと思われます。

《心の旅》《夕陽を追いかけて》《Someday Somewhere》などの
ヒット曲、代表曲にはイントロがありません。

青春の影》《ぼくがつくった愛のうた》《ふたりがつくった風景》など、
そこそこヒットした曲も1音だけのイントロです。

《夏色のおもいで》《虹とスニーカーの頃》のヒット曲は、
ともにイントロが3秒程度。

青春の影》は初めて聴いたとき、曲名からプロコル・ハルムの《青い影》との
関連を想像しました。しかし、なんのことはない、イントロも含めて詞・曲ともに
ビートルズの《The Long And Winding Road》の影響でしょうね。

 

      ✤      ✤      ✤      ✤

 

邦楽でイントロが魅力的といえば、大瀧詠一が思い浮かびます。

とにかく、イントロの最初の1音からして「これしかない」という
感じの曲が多い。

私がいちばん好きなのは、ラッツ&スターに提供した
《Tシャツに口紅》(編曲は井上鑑)です。

17秒ぐらいのイントロですが、大袈裟にいえば、最初のピアノの音を
聴いた時点で、もはや名曲確定。

森進一に提供した《冬のリヴィエラ》(編曲は前田憲男)といい、
なんてキャッチーで美しいイントロでしょう。

本人歌唱の曲では、《オリーブの午后》《白い港》《雨のウェンズデイ》などは、
イントロだけでも繰り返し聴きたくなるほど。

なかでもドラムで始まる《ペパーミント・ブルー》は、
大瀧トロピカルサウンドの真骨頂かつ集大成のような存在では
ないでしょうか。夏には必ず聴きたくなるイントロです。

私が好きなイントロには、いくつかのパターンがあるようです。

たとえば邦楽で、ひたすら美しいと思うのが

ペドロ&カプリシャスの《ジョニーへの伝言》
ダカーポの《結婚するって本当ですか》
山口百恵の《夢先案内人》など。

なぜか心が熱くなるのが、

RCサクセションの《わかってもらえるさ》
五つの赤い風船の《遠い世界に》
ラブポーションの《胸いっぱいのフォトグラフ》など。

聴いていた当時を思い出してキュンとくるのが、

竹内まりやの《セプテンバー》
斉藤由貴の《卒業》などです。

洋楽では、ひたすら美しいと思うのが

ミッシェル・ポルナレフの《Holidays》《Love Me, Please Love Me》
アバの《Thank You For The Music》《The Winner Takes It All》など。

なぜか懐かしい感じがして胸が騒ぐのが、

ビージーズの《マサチューセッツ
J.D.サウザーの《You’re Only Lonely》など。

いつ聴いても心が温まるのが、

ドーンの《幸せの黄色いリボン》
フェアーグラウンド・アトラクションの《A Smile In A Whisper》などです。

 

ヒトは退化に向かっているのか

人びとの幼稚化、怠慢化、興味の均質化

 

晦日から元日にかけて、養老孟司の新刊『ヒトの壁』(新潮新書)を読みました。

養老先生ご本人が数年前、どこかで書いていたように、著作がだんだんと人生の
まとめに近づいているようですが、その舌鋒は相変わらず鋭く、思わずページの
端に何カ所も折り目を付けてしまいます。

たとえば、こんな具合(各章より抜粋、以下同様)。

今は人間関係ばかり。相手の顔色をうかがい過ぎていないか。
たかがヒトの分際で調和をはかろうとしすぎていないか。

子どもたちの理想の職業がユーチューバーだというのは、
対人偏向を示していないか。なにか他人が気に入るものを
提供しようとする、対人の最たるものであろう。

人が人のことにだけ集中する。
これはほとんど社会の自家中毒というべきではないか。

ニーズ偏向は子どもに限った話ではないでしょう。

ビジネスの世界など、ある時点からほとんどニーズ先行になり果てた感があります。

どうしてなのか。お金ボケか、平和ボケか。

いずれにしても日本では80年代のバブルとその崩壊を経て、人びとの
幼稚化と怠慢化、さらには興味の均質化が進んだと私は思っています。

それが消費にも、商品やサービスの提供にも、さらには社会全体の空気にも
影響を及ぼしていると。

自分自身のことを含めて、常に戒めが必要です。

…コンピュータが作る世界は理屈の世界である。
理屈が通るように創られた世界だ、と言ってもいい。

…「ああすれば、こうなる。こうすれば、ああなる」。

現実の世界で、その理屈が昔から得意とするのは、経済と軍事である。
「富国強兵」が明治の標語だったのは、おそらく偶然ではない。

経済も軍事も「ああすれば、こうなる」、すなわち「予測と統御」が
中心だからである。

「ビジネスモデル」なんていうものも、恐らく同じ理屈の世界の標語でしょう。

ビジネスモデルが優れていれば、成功するに決まっている。だから、そこに
お金をつぎ込む価値がある--。

いつから人びとは、そんな未来予測ができる全能の神になったんでしょうか。

一方で、老後の生活も「予測と統御」によって管理できるという思い込みが、
逆に人びとの不安を煽る結果になったようにも思えます。

若い頃からコツコツと倹約や投資に励んでおかないと、将来たいへんなことになる…。

実際には、自分の寿命についてさえ、何も分からないはずなのに。

特定の目的に限定して意味あるいは機能を定める。
こうした思考は一世を風靡した、と言ってもいいであろう。

…私は軽度の肺気腫で糖尿病だけれども、病院に行かないから健康である。
病院に足を踏み入れなければ、そこで「意味がある」存在にはならないのだ。

しかし病院の検査基準値で私の健康度を測るなら、私は立派な病人であり、
医療の必要がある。

このような言説に対しては、頑固で自分勝手という感想をもつ人が現代では
多いと思います。

私も10年ほど健康診断を受けていないのですが、職場などでその話をすると、
たいてい「こいつアホか」といった顔をされます。

養老先生は最終的に心筋梗塞で入院することになったため、それをもって
「結局は病院のお世話になっているじゃないか」と毒づく人もいるでしょうが、
問題は病院の世話になるか、ならないかではありません。

本来は自然治癒力によって症状が治ったり、病気を抱えながらでも病院に行かず、
なんとか生きることができるのに、何でもかんでも病院の基準に合わせようとする
人がやたらと多いことが問題だと思うのです。

 

個体としての無秩序状態に陥った

 

病気だけではないですよね。

業界基準、欧米基準、世間の常識、現代の常識、科学的エビデンス

多様性の時代とかいいながら、誰かが勝手に決めた意味や機能に自分を合わせたがる
人が多いのは、いったいどうしてなのか。

その答らしきものが、『ヒトの壁』には書かれています。

…現代の社会状況ではいったん医師の手にかかったら、医療制度に完全に
巻き込まれる…。

自分がいわば野良猫から家猫に変化させられることになる。

そうなると甘いものがどうとか、タバコはやめろとか、日常食べるものから
嗜好品まで、…小さな行動にも点数が付く。

委細構わず好きにすればいいかというと、周囲が医療制度というシステムに
すでに巻き込まれているから、あれこれ言われてしまう。

要するに、さまざまなシステムがあまりに大きくなりすぎて、人びとがそこから
逃れにくくなっていることが現代社会の特徴だということでしょう。

前述した幼稚化や怠慢化、興味の均質化にも、システムという存在が大きく
影響しているはずです。

『ヒトの壁』の最初の方には、こんなことも書かれています。
「どこかに秩序が生まれれば、無秩序がそれだけ増える…」

システムとは、いわば秩序の典型です。

予測と統御が好きな現代人は、やはり心のどこかでシステムに安住すること、
つまりはシステムに縛られることを求めているのでしょう。

そして、以下のように無秩序な状態に陥ります。

さまざまな報道を見て感じるのは、この社会はほとんど反応だけしている、
ということである。

刺激に反応するのは生物のもっとも原始的な行動である。

毎回反応だけで済ませているから、簡単な、ある程度でも済むはずの解決もない。

システムによって社会的、集団的な秩序を手に入れる替わりに、個々人が自分の
頭で考え、判断し、話し合い、物事や出来事に対処することができなくなった、
つまりは個体としての無秩序状態に陥った--ということでしょうか。

その先には、こんな恐ろしいリスクも待ち受けています。

AIを使って予測した結果はこうなります。そう言われれば、
そうなるようにするしかない。

気の利いた人ほどそうするであろう。だからその方向に世間は動く。

それは二十世紀前半の日本社会がズルズルと戦争に向かって
動き出したことと軌を一にする。

AIというのは人びとの怠慢化の象徴だと、私は理解しています。

怠慢なのだから、一部の仕事がAIに奪われるのは当然です。

これはどうみても人類の「退化」だと思うのですが、科学信仰や
デジタル信仰の強い現代人にとっては、やはり進化に見えるのでしょう。

過去の著作と同様に『ヒトの壁』も、現代人に対する危惧や警鐘が
満載の1冊ですが、最後の章において、養老先生はようやく優しい
老人としての顔をのぞかせます。

それは愛猫「まる」の死が、もたらしたものでしょう。

犬や猫は、日本でおよそ二千万匹が飼われているとも聞く。

猫なんて、役に立つわけではなくて、迷惑をかけるだけの存在のはずだ。
でも、多くの人がそんな迷惑をかけるだけの存在を必要としているとも言える。
…うちのまるときたら動かないし、ネズミを捕れるはずもない。
でも、だからこそ、あれでも生きているよ、いいんだよねと思える。

生前は、よく寝ていた縁側をふっと見るとやっぱりそこで寝ているもんだから、
それでこちらの気が安まった。今はそれがないので、いるつもりになるしかない。

いなくなっても、距離感や関係性は変わらない。
今も、いつもの縁側の窓辺にまるがいそうな気がする。
頭をたたいて「ばか」と言えるのはまるだけだった。
それがもう口癖だったので、もし再会できたとしたら
「ばか」と言ってやろうと思う。


これを読んで、私は涙がこぼれそうになりました。

養老先生だけでなく、犬や猫を飼っている多くの人は、心の中にこういう
可愛い部分を持ち続けているはずです。

そんな動物(=自然)への純粋な気持ちがある限り、人びとがひたすら退化して
バカになっていくなんてことはないのだと、信じてもいいような気もします。

 

アナログゲームの想い出

強すぎて疎まれた紙相撲力士

 

先日、某新聞の特集記事で知ったのですが、最近はボードゲーム
流行っているそうです。国内だけで年間約1000点の作品が発売され、
イベントやフリーマーケットも人気だとか。

新聞記事によると、11月下旬に東京ビッグサイトで開かれた
アナログゲームの祭典「ゲームマーケット2021秋」には、
約1万8000人が詰めかけました。

会場内の出展ブースでは500種類ほどの新作ゲームが販売され、
その多くは個人やサークルによる手作りの作品でした。

また、東京の上野には「コロコロ堂」というボードゲームカフェがあり、
700種類以上のゲームで遊べるとのこと。

コロナ禍の影響で他人との接触が減った反動という意味合いも
大きいのかもしれませんが、アナログ好きの私としては、
ボードゲームが再び日の目を見ることを嬉しく感じます。

思えばその昔、ボードゲームを含むアナログのゲームを、いったい何種類
やったことでしょうか。

思いつくままに挙げてみると、「魚雷戦ゲーム」「レーダー作戦ゲーム」
「レーダーサーチ」「手探りゲーム」「人生ゲーム」「ゴルフゲーム」
「野球盤」「サッカーゲーム」「バックギャモン」「ダイヤモンド」
「ルーレット」「オセロゲーム」などは、自分で持っていた記憶があります。

これらは小学生時代に、親や祖父母にねだって買ってもらったはずなので、
昔の家庭ではアナログゲーム代が馬鹿にならなかった感じですね。

「モノポリ」「ペトロポリス」「億万長者ゲーム」「ポンジャンなども、
友人の家で何度もやりました。他にも名前が思い出せず、ネットで調べても
見当たらないゲームがいくつもあります。

トランプや花札でも日常的に遊んでいましたし、麻雀も私が小学4年の頃から
家族でやっていました。

中学生になってからは、友人に頼まれて「トントン紙相撲」という
切り抜き型の本(誠文堂新光社)を買い、自分の力士をつくって
紙相撲大会に参加しました。

私を含めて4人が集まったのですが、ひとり当たり5人の力士をつくると、
大相撲と同じ15日間の取り組みが成立します。

私はこの遊びに乗り気ではなく、頼まれてしぶしぶ参加したのですが、
私がつくった「金星(きんせい)」という力士が、たまたまバランスが
良かったのか、とてつもなく強く、2大会連続で優勝しました。

すると、残りの3人から疎まれて、何だかよく分からない「寸法の規制」などが
できてしまい、私は仕方なく金星の身体にハサミを入れて寸法を変えました。

案の定というか予定どおりというか、それで金星は弱くなったのですが、
私がつくった「地獄氷(じごくひょう)」という力士がまた強く、なんとも
困ってしまったことを覚えています。

 

中学3年生も燃えた手作りの「鼻クソ野球」

 

「トントン紙相撲」は半分手作りのようなものですが、完全に手作りのゲームが
クラスで大流行したこともありました。といっても、私が考案者ではないのですが。

小学3年の夏に、父親の転勤にともなって、埼玉県から大阪府高槻市の小学校に
転校したのですが、そこで手作りの野球盤を教えられたのです。

これは大きめの画用紙に野球場の形を再現したもので、まずホームベースから
1塁を経てライトのポールに伸びるファウルラインと、3塁を経てレフトの
ポールに伸びるファウルラインを描き、ダイヤモンドやピッチャープレート、
バッターボックスも描きます。

あとは外野のフェンスとバックスクリーン、外野スタンドなどを描けば、
いわゆる「フェアゾーン」の形が完成します。

そのフェアゾーンを細かく線や曲線で区切って、「アウト」「ヒット」「2塁打」
「エラー」「ダブルプレー」など、打撃の結果を書き込んでいくのです。

外野スタンドは基本的に「ホームラン」のゾーンですが、一部に「アウト」や
「チェンジ」などの結果を紛れ込ませておきます。

そのような文字で埋まったフェアゾーンに向かって、攻撃側の人間がホームベースに
置いた小さな球を、自分の人差し指や中指でポーンと弾きます。つまりはそれが、
ひとりの打者の攻撃に相当するわけです。

球が鼻クソのようだったことから、私たちは「鼻クソ野球」と呼んでいました。

球がファウルゾーンに出てしまった場合は、もちろんファウル。

球が「チェンジ」に止まった場合は、ひとりの打者でいきなりスリーアウトとなり、
3人が凡退した扱いになります。

また、球が外野スタンドを越えて場外、つまりは画用紙の外へ出てしまった場合は
アウトです。

指で弾く球は、高槻市の小学校で友人に教えられたときには、ノートの切れ端を
丸めたものを使っていました。

しかし、それだとすぐに崩れてしまうので、私が父親からタバコの箱についている
銀紙をもらって、それを丸めて使うように改良しました。これは非常に長持ちします。


高槻市には半年いただけで、小学4年からは吹田市の小学校へ転校になりました。

5年になったとき、この手作り野球盤をクラスで披露したら大いに受けて、
みんながこぞって自分の野球場をつくるようになりました。

それで終わりと思っていたのですが、中学3年のとき、小学5年で同じクラスだった
友人と同級生になり、どちらからともなく「あの野球盤を再現しようか」という
話が出たので、みんなに披露してみたところ、またまた大流行です。

まさか中学の詰襟制服を着て、あの手作り野球盤をやることになるとは思いも
しませんでしたが、それほどインパクトのある遊びだったのだと思います。

このとき、阪神ファンの友人Kが甲子園球場をつくったのですが、なんと外野の
得点掲示板のところが立体になっている、とてつもなくリアルな球場でした。

私はもちろんナゴヤ球場で、他に後楽園、神宮、横浜の各球場があり、
広島ファンの替わりに南海ファンがいたため、大阪球場もありました。

みんなで自分のチームの選手について、打率や防御率まで細かく計算して、
記録をつけて…。あの情熱はいったい何だったのでしょう。