解✦談

解りやすく、解きほぐします。

経済・金融は「繰り返す」のがお好き?

バブルが発生して崩壊するパターン

 

経済や金融の世界には、過去に起きた出来事が似たようなパターンで
繰り返される「再現性」や、一定の年数を経た後に再び起こる「周期性」が
いくつか存在します。

一見すると、「ホンマかいな?」と言いたくなるような話もありますが、
これはよくよく考えてみれば、当たり前のことなのかもしれません。

要するに、経済や金融というのは、私たち人間の「思考」と「行動」が
集積した結果です。

しょせん人間の思考と行動など、愚かな部分を含めて何十年、何百年の間、
たいして変わらないということでしょう。

たとえばバブルの発生と崩壊は、だいたい以下のような流れに沿って起こるようです。

1. 景気の低迷期や停滞期に、経済対策として中央銀行の金融緩和や
   国による財政出動がおこなわれる。それが金融市場に「カネ余り」と
   呼ばれる状況を招く。

2. 市場に余ったカネが投資先(さまざまな金融商品)を物色する。
   そこに規制緩和や金融技術の進歩などが加わることで、投資対象が
   拡大する(新しい投資対象が生まれる)。

3. ひとつの、あるいは複数の金融商品において価格が著しく上昇する。
   それを見た個人などが市場に参入して、「投資の大衆化」が起こる。

4. 市場全体に「過度の楽観」が広がり、実態からかけ離れた水準まで
   価格が高騰する(バブルの発生)。

5. 中央銀行による利上げなど、何らかのショックが引き金になって、
   バブルが崩壊へ向かう。

1980年代の後半に発生した日本のバブルは、85年のプラザ合意後に進んだ
円高不況に対応するため、日銀が利下げをおこなったのがきっかけでした。

市場に余ったカネが株式や不動産へ過剰に投資され、投資対象としての
ワンルーム・マンション購入などが一般個人の間でもブームになりました。

最終的には金融当局が規制に乗り出し、なかば潰されるようなかたちで
バブルは崩壊します。

2008年に発生したリーマン・ショック世界金融危機は、05年ごろから
米国で不動産ブームが起こり、信用力の低い個人でも住宅ローンが組める
サブプライムローン」が広まったことがきっかけです。

世界的に金利が低下して資金運用が難しくなるなか、世界中の金融機関が
サブプライムローン証券化したハイリスクの金融商品に投資しました。

その後、米国で不動産価格が下落に転じたため、多くの金融機関が損失を
抱えることとなり、それが世界中に連鎖して金融危機となったのです。

実はこれと似たようなことが、現在も起きています。

《上記1.に類似》

日米欧の主要先進国では、リーマン・ショック後から金融緩和を続けてきたが、
昨年(2020年)からは新型コロナウイルスの感染拡大に対応して、さらに金融緩和と
財政出動を拡大している。

《上記2.に類似》

規制緩和によって誕生した「SPAC(特別買収目的会社)」や、金融当局の目が
十分に行き届かない「ファミリーオフィス」など、新手の投資先や運用委託先が
人気を呼んでいる。

《上記3.に類似》

コロナ禍への対策として国から支給された給付金などを元手に株式投資を始める
個人が増えており、とくに米国では個人による投機的な株式売買も目立っている。

現状の米国株や日本株をバブルとみなす専門家もいれば、実態からかけ離れて
いないのでバブルではないという専門家もいます。

そのため、現状が上記4.の段階まで来ているかどうかは定かではありません。

しかし、来年(22年)には米国が利上げを実施しそうなので、もしも現状が
バブルならば、上記5.の再来となる可能性はあることになります。

 

商品相場は長期の上昇サイクルに入った?

 

原油や金属、穀物など国際的に取引されている商品の相場には、それらがほぼ
いっせいに値上がりして、その後に下落するという長期の周期性があるそうです。

これは「スーパーサイクル」と呼ばれており、資源国であるカナダの中央銀行
統計局の分析によると、1900年代初め以降、4回のサイクルが確認されています。

スーパーサイクルが生じる要因としては、以下のような説明が一般的です。

何らかの理由によって資源などの需要が世界的に急増した際に、生産能力の
拡大にはある程度の時間がかかるため、供給が間に合わなくなる。

そうして一定期間、「需要超過」の状態が続くことで商品相場が上昇し、
供給が拡大するとともに値下がりに転じる。

前回の上昇局面は、中国やインドなど新興国の経済発展によって商品需要が
急増した、95年前後~2009年前後とされています。

2010年以降は商品相場の下落局面が続いていましたが、今年に入ってその傾向に
変化が見られるようになってきました。

19品目で構成され、国際商品の総合的な価格動向を表す「ロイター・
コアコモディティーCRB指数」は、直近の安値だった20年4月から、
この1年半で2倍以上に急上昇しています。

大ざっぱにみると今年の前半は銅や銀、プラチナ、ニッケルなどの金属資源や、
木材の値上がりが目立ちました。

夏以降はそこに、原油天然ガスなど化石燃料の価格上昇が加わっています。

昨年来のコロナ禍による影響や、いま世界が「脱炭素」をめざしているという、
いわば特殊要因も関係しているので、これをもってスーパーサイクルの上昇期が
始まったと言い切れるわけではありません。

しかし、いずれにしても国際商品の価格上昇は、原材料や資源の調達を輸入に
頼っている日本にとって、国内物価に大きく影響する重要な問題なので、
しばらくは目が離せないところでしょう。

 

世界経済は今後20年程度、下降する可能性も


ロシアの経済学者ニコライ・コンドラチェフによると、世界全体の景気には
約50年周期で上昇と下降を繰り返す長期波動があるそうです。

コンドラチェフの死後、これはコンドラチェフの波」と名付けられ、
多くの経済学者がさらなる研究を進めています。

長期波動が生じる背景としては、経済活動やそれに影響を及ぼす技術革新は
もちろんのこと、政治や外交、軍事面などを含めた「国際秩序の変動」も
関係しているという考え方が有力です。

コンドラチェフの波について、たとえば技術革新をテーマに過去を振り返ると、
こんな感じになります。

●第1のサイクル:1780~1840年代/蒸気機関、紡績機
●第2のサイクル:1840~1890年代/鉄道、鉄鋼
●第3のサイクル:1890~1940年代/自動車、電気、化学
●第4のサイクル:第2次大戦後~1990年代/石油化学、電子、原子力、航空宇宙
●第5のサイクル:1990年代~現在/デジタル、ネットワーク、バイオテクノロジー

(左から過去のサイクル、景気が上昇して下降するまでの期間、おもな技術革新)

専門家のなかには、AI(人工知能)やロボット、ビッグデータなどの技術革新が
けん引する「第6のサイクル」の到来を意識している人もいるようです。

一方、ある専門家の分析では、1990年代以降に始まった世界全体の経済成長は、
2010年代の初頭までは大きな伸びを見せたものの、その後は停滞が明らかだと
いいます。

「第5のサイクル」が始まってすでに30年程度が経過していますが、もしも過去の
歴史が繰り返すのであれば、今後は20年程度にわたって世界経済が下降していく
可能性が高いのかもしれません。

コンドラチェフの波については、興味深いことが分かっています。

景気の上昇期と下降期に、それぞれ世界で以下のような構造変化が起きているのです。


《上昇期》

●技術革新によって産業構造が大きく変化する
●新しい産業形態が世界中に拡散して、世界経済の「同質化」が進む
●産業構造の変化に乗じるかたちで、経済活動の中心に新たな国(新興国)が
  参入してくる

「第5のサイクル」では、パソコンやインターネット、モバイル通信端末などが
普及して、経済・社会のデジタル化とネットワーク化がグローバルに進行しました。

その結果、ハイテク&デジタル産業の一大生産拠点として、中国が世界経済の
主流に躍り出たのです。

《下降期》

●世界経済の同質化は過剰生産につながりやすいため、各国で「保護主義」が
  広がるようになる
●やがて世界経済は停滞に向かう
●国家間の経済的な覇権争いが激化する

つまり、コンドラチェフの波の下降期には、上昇期の揺り戻しといえるような
現象が発生するわけです。

過去には実際にこうしたプロセスを経て、いくつかの国が世界経済の主流から
蹴落とされています。

たとえば「第3のサイクル」では、第1次世界大戦によってドイツが衰退。

「第4のサイクル」では、東西冷戦の終結によってソ連が解体、という具合です。

「第5のサイクル」では、今日の技術革新の主役であるデジタル化が、
構造変化の大きなカギになりそうです。

社会のデジタル化には、個人の人権や自由、安全といった民主主義の基本的な
価値観を揺るがしかねない負の側面もあります。

ところが、たとえば中国が採用している「国家資本主義」は、共産党
一党支配による強力な統制のもと、むしろデジタル化を推進しやすい
国家体制ということができます。

そうしたことから、米国と中国は単なる経済的な覇権争いにとどまらず、
「国家のあり方」をかけた、より根の深い生存闘争を繰り広げることになる。

その結果、「第5のサイクル」を通じて、従来の世界の枠組みが大きく
変わることになるのではないか、と一部の専門家たちは考えているようです。

世の中には気の長いシナリオを考えつく人がいるものだなあと、気の短い私などは、
ただただ関心するばかりです。