解✦談

解りやすく、解きほぐします。

昆虫の「変態」という変な性質

親と子が独立したライフステージを送る

 

小学校1年のとき、クラスの文集に将来の夢として「昆虫博士になりたい」と
書いた覚えがあります。

その当時、私たち男子にとって昆虫は、非常に身近な存在でした。

多くの子どもが『ファーブル昆虫記』を読んでいました。

セミやカマキリがいたら背後からつかんで持つ。

トンボは目を回させてから素手でつかまえる。

たまにカミキリやクワガタを見つけたら、わざと指をはさませてみる…。

これらは、ザリガニの手を引きちぎって、新たなザリガニを釣るための
エサにすることと同じように、仲間内では日常的におこなわれていた、
儀式とも遊びともつかない当然の作業でした。

夏休みの自由研究で、カブトムシが幼虫からサナギ、成虫へと変化していく
様子を観察し、写真付きのレポートにして先生に提出したこともありました。

あの頃は昆虫がそんな風に「変態」をすることを、なぜか当然のこととして
受け入れていたような気がします。

いま改めて考えてみると、昆虫に備わった変態という性質は、
なぜそんなことができるようになったのか、不思議でなりません。

かつて栗本慎一郎が著書のなかで、「変態などという不思議な性質を
もつところをみると、昆虫はもしかして宇宙から飛来したのではないか」と
書いていて、私もその説を半分信じているようなところがありました。

『起源図鑑』(2017年発行、ディスカヴァー・トゥエンティワン)によると、
昆虫の起源は約4億8000万年前にあり、約4億4000万年前に生命体として初めて、
海から陸地に完全に上がって生息するようになったと考えられるそうです。

陸地で生息するためには、脱水や重力、呼吸、日々の温度差などに対処するほか、
日光にされされるリスクとも向き合わなければなりません。

一方で、陸地は海中よりも食料が豊富で、捕食者も少ないというメリットが
あります。

約4億年前になると、昆虫は翅(はね)を使って飛行を始めます。

翅という大きな武器を身につけたことで、食料や住処(すみか)、つがいの相手を
見つけたり、捕食者から逃げたり、体温を調節することが可能になり、それらが
昆虫の繁栄に大きく貢献したと考えられます。

そして、さらに昆虫の繁栄を決定づけたのが、約3億5000万年前に変態という
性質を獲得したことです。

それまでの昆虫は、成虫に似た小型の体で脱皮を繰り返しながら、徐々に
大きくなるという方法で成長していました。

対して変態する昆虫では、幼虫と成虫の見た目が大きく変わります。

変態のなかでもサナギの期間があるものを完全変態といいます。

完全変態する昆虫では、生涯全体が以下のようにステージ分けされます。

●幼虫/ひたすらエサを食べることに専念する。
●サナギ/細胞分裂が起こり、幼虫の体をつくる細胞が減って、成虫の体に
  必要な細胞が増える。
●成虫/ひたすら生殖に専念する。

各ステージでは、食べるものも異なります。

たとえば完全変態するチョウは、幼虫の期間には栄養豊富な植物の葉を大量に
食べますが、成虫は花の蜜を少し飲むだけです。

サナギの期間中に幼虫から成虫へと、まったく違う姿に変化することで、
各ステージごとに違う環境や食料で生きていくことが可能になるわけです。

このようにして親と子が食料資源を奪い合うことなく、それぞれの
ライフステージを独立して送ることで、種としての生存には非常に
有利に働きます。

貴重な時間を生殖という子孫を残す行為に注力するため、ホタルなど
多くの昆虫は短い成虫の期間に何も食べず、なかには口や消化器官すら
持たない昆虫もいるようです。

 

変態という性質を獲得したことで、昆虫は絶滅に強い生き物になったとも
いわれています。

2億5000万年前のベルム紀に起きた大量絶滅では、生物種の90%が
絶滅しましたが、完全変態する昆虫にはほとんど影響がなかったようです。

サナギは凍結や乾燥など、あらゆる種類の環境激変に耐性があることから、
恐らくサナギという移行期間の存在が昆虫の環境適応力を高めていると
思われます。

 

大成功を収めた昆虫の生存戦略

 

昆虫にはサナギの期間がない「不完全変態」をするものや、幼虫と成虫の形態に
ほとんど変化がなく、成虫に翅がない「無変態」のものもいます。

完全変態をするものは、いわば最も進化したかたちの昆虫であり、いまでは
昆虫全体の8割を占めているそうです。

香川照之の昆虫すごいぜ!図鑑Vol.2』NHK出版)には、完全変態する
昆虫としてカブトムシやミヤマクワガタオオムラサキ(チョウ)などが
取り上げられています。

このほか、アリやカナブン、ミツバチなども完全変態する昆虫です。

昆虫の生存戦略は、地球上の動物全体としてみても大成功を収めたようです。

いまでは知られている全動物種のうち4分の3が昆虫であり、その数は100万種、
しかもまだ見つかっていない種が400万~500万はあると推測されています。

さて、昆虫が変態という性質を身につけた理由については、何となく
解ったような気がします。

しかし、なぜそんな性質を身につけることができたのか、具体的には
よく解りません。

進化に関する話はいつもそうなのですが、何億年もの間に遺伝子の
突然変異が起き、結果として環境変化に適応できたものが残ったのだと
いわれたら、「ふ~ん、そうですか」と応えるしかありません。

翅がはえる際に、あるいは子どもと親がまったく違う形になるために、
遺伝子の何がどう変わったのか。

そういう説明をしてくれる研究者というのは、どこかにいるのでしょうか。

もっと早く、その不思議さに気づいて研究者をめざしていれば、
私も念願の昆虫博士になれたかもしれませんが、もう遅いですね。

実は小学校4年のとき、「天文学者になりたい」とも思ったのですが、
高校で地学を選択してみて、そのあまりの難しさに諦めました。

自然科学は好きなのですが、いざ学問ということになると、
まったく歯が立たないというのが私の哀しい現実のようです。

 

経済・金融は「繰り返す」のがお好き?

バブルが発生して崩壊するパターン

 

経済や金融の世界には、過去に起きた出来事が似たようなパターンで
繰り返される「再現性」や、一定の年数を経た後に再び起こる「周期性」が
いくつか存在します。

一見すると、「ホンマかいな?」と言いたくなるような話もありますが、
これはよくよく考えてみれば、当たり前のことなのかもしれません。

要するに、経済や金融というのは、私たち人間の「思考」と「行動」が
集積した結果です。

しょせん人間の思考と行動など、愚かな部分を含めて何十年、何百年の間、
たいして変わらないということでしょう。

たとえばバブルの発生と崩壊は、だいたい以下のような流れに沿って起こるようです。

1. 景気の低迷期や停滞期に、経済対策として中央銀行の金融緩和や
   国による財政出動がおこなわれる。それが金融市場に「カネ余り」と
   呼ばれる状況を招く。

2. 市場に余ったカネが投資先(さまざまな金融商品)を物色する。
   そこに規制緩和や金融技術の進歩などが加わることで、投資対象が
   拡大する(新しい投資対象が生まれる)。

3. ひとつの、あるいは複数の金融商品において価格が著しく上昇する。
   それを見た個人などが市場に参入して、「投資の大衆化」が起こる。

4. 市場全体に「過度の楽観」が広がり、実態からかけ離れた水準まで
   価格が高騰する(バブルの発生)。

5. 中央銀行による利上げなど、何らかのショックが引き金になって、
   バブルが崩壊へ向かう。

1980年代の後半に発生した日本のバブルは、85年のプラザ合意後に進んだ
円高不況に対応するため、日銀が利下げをおこなったのがきっかけでした。

市場に余ったカネが株式や不動産へ過剰に投資され、投資対象としての
ワンルーム・マンション購入などが一般個人の間でもブームになりました。

最終的には金融当局が規制に乗り出し、なかば潰されるようなかたちで
バブルは崩壊します。

2008年に発生したリーマン・ショック世界金融危機は、05年ごろから
米国で不動産ブームが起こり、信用力の低い個人でも住宅ローンが組める
サブプライムローン」が広まったことがきっかけです。

世界的に金利が低下して資金運用が難しくなるなか、世界中の金融機関が
サブプライムローン証券化したハイリスクの金融商品に投資しました。

その後、米国で不動産価格が下落に転じたため、多くの金融機関が損失を
抱えることとなり、それが世界中に連鎖して金融危機となったのです。

実はこれと似たようなことが、現在も起きています。

《上記1.に類似》

日米欧の主要先進国では、リーマン・ショック後から金融緩和を続けてきたが、
昨年(2020年)からは新型コロナウイルスの感染拡大に対応して、さらに金融緩和と
財政出動を拡大している。

《上記2.に類似》

規制緩和によって誕生した「SPAC(特別買収目的会社)」や、金融当局の目が
十分に行き届かない「ファミリーオフィス」など、新手の投資先や運用委託先が
人気を呼んでいる。

《上記3.に類似》

コロナ禍への対策として国から支給された給付金などを元手に株式投資を始める
個人が増えており、とくに米国では個人による投機的な株式売買も目立っている。

現状の米国株や日本株をバブルとみなす専門家もいれば、実態からかけ離れて
いないのでバブルではないという専門家もいます。

そのため、現状が上記4.の段階まで来ているかどうかは定かではありません。

しかし、来年(22年)には米国が利上げを実施しそうなので、もしも現状が
バブルならば、上記5.の再来となる可能性はあることになります。

 

商品相場は長期の上昇サイクルに入った?

 

原油や金属、穀物など国際的に取引されている商品の相場には、それらがほぼ
いっせいに値上がりして、その後に下落するという長期の周期性があるそうです。

これは「スーパーサイクル」と呼ばれており、資源国であるカナダの中央銀行
統計局の分析によると、1900年代初め以降、4回のサイクルが確認されています。

スーパーサイクルが生じる要因としては、以下のような説明が一般的です。

何らかの理由によって資源などの需要が世界的に急増した際に、生産能力の
拡大にはある程度の時間がかかるため、供給が間に合わなくなる。

そうして一定期間、「需要超過」の状態が続くことで商品相場が上昇し、
供給が拡大するとともに値下がりに転じる。

前回の上昇局面は、中国やインドなど新興国の経済発展によって商品需要が
急増した、95年前後~2009年前後とされています。

2010年以降は商品相場の下落局面が続いていましたが、今年に入ってその傾向に
変化が見られるようになってきました。

19品目で構成され、国際商品の総合的な価格動向を表す「ロイター・
コアコモディティーCRB指数」は、直近の安値だった20年4月から、
この1年半で2倍以上に急上昇しています。

大ざっぱにみると今年の前半は銅や銀、プラチナ、ニッケルなどの金属資源や、
木材の値上がりが目立ちました。

夏以降はそこに、原油天然ガスなど化石燃料の価格上昇が加わっています。

昨年来のコロナ禍による影響や、いま世界が「脱炭素」をめざしているという、
いわば特殊要因も関係しているので、これをもってスーパーサイクルの上昇期が
始まったと言い切れるわけではありません。

しかし、いずれにしても国際商品の価格上昇は、原材料や資源の調達を輸入に
頼っている日本にとって、国内物価に大きく影響する重要な問題なので、
しばらくは目が離せないところでしょう。

 

世界経済は今後20年程度、下降する可能性も


ロシアの経済学者ニコライ・コンドラチェフによると、世界全体の景気には
約50年周期で上昇と下降を繰り返す長期波動があるそうです。

コンドラチェフの死後、これはコンドラチェフの波」と名付けられ、
多くの経済学者がさらなる研究を進めています。

長期波動が生じる背景としては、経済活動やそれに影響を及ぼす技術革新は
もちろんのこと、政治や外交、軍事面などを含めた「国際秩序の変動」も
関係しているという考え方が有力です。

コンドラチェフの波について、たとえば技術革新をテーマに過去を振り返ると、
こんな感じになります。

●第1のサイクル:1780~1840年代/蒸気機関、紡績機
●第2のサイクル:1840~1890年代/鉄道、鉄鋼
●第3のサイクル:1890~1940年代/自動車、電気、化学
●第4のサイクル:第2次大戦後~1990年代/石油化学、電子、原子力、航空宇宙
●第5のサイクル:1990年代~現在/デジタル、ネットワーク、バイオテクノロジー

(左から過去のサイクル、景気が上昇して下降するまでの期間、おもな技術革新)

専門家のなかには、AI(人工知能)やロボット、ビッグデータなどの技術革新が
けん引する「第6のサイクル」の到来を意識している人もいるようです。

一方、ある専門家の分析では、1990年代以降に始まった世界全体の経済成長は、
2010年代の初頭までは大きな伸びを見せたものの、その後は停滞が明らかだと
いいます。

「第5のサイクル」が始まってすでに30年程度が経過していますが、もしも過去の
歴史が繰り返すのであれば、今後は20年程度にわたって世界経済が下降していく
可能性が高いのかもしれません。

コンドラチェフの波については、興味深いことが分かっています。

景気の上昇期と下降期に、それぞれ世界で以下のような構造変化が起きているのです。


《上昇期》

●技術革新によって産業構造が大きく変化する
●新しい産業形態が世界中に拡散して、世界経済の「同質化」が進む
●産業構造の変化に乗じるかたちで、経済活動の中心に新たな国(新興国)が
  参入してくる

「第5のサイクル」では、パソコンやインターネット、モバイル通信端末などが
普及して、経済・社会のデジタル化とネットワーク化がグローバルに進行しました。

その結果、ハイテク&デジタル産業の一大生産拠点として、中国が世界経済の
主流に躍り出たのです。

《下降期》

●世界経済の同質化は過剰生産につながりやすいため、各国で「保護主義」が
  広がるようになる
●やがて世界経済は停滞に向かう
●国家間の経済的な覇権争いが激化する

つまり、コンドラチェフの波の下降期には、上昇期の揺り戻しといえるような
現象が発生するわけです。

過去には実際にこうしたプロセスを経て、いくつかの国が世界経済の主流から
蹴落とされています。

たとえば「第3のサイクル」では、第1次世界大戦によってドイツが衰退。

「第4のサイクル」では、東西冷戦の終結によってソ連が解体、という具合です。

「第5のサイクル」では、今日の技術革新の主役であるデジタル化が、
構造変化の大きなカギになりそうです。

社会のデジタル化には、個人の人権や自由、安全といった民主主義の基本的な
価値観を揺るがしかねない負の側面もあります。

ところが、たとえば中国が採用している「国家資本主義」は、共産党
一党支配による強力な統制のもと、むしろデジタル化を推進しやすい
国家体制ということができます。

そうしたことから、米国と中国は単なる経済的な覇権争いにとどまらず、
「国家のあり方」をかけた、より根の深い生存闘争を繰り広げることになる。

その結果、「第5のサイクル」を通じて、従来の世界の枠組みが大きく
変わることになるのではないか、と一部の専門家たちは考えているようです。

世の中には気の長いシナリオを考えつく人がいるものだなあと、気の短い私などは、
ただただ関心するばかりです。

 

なぜ投資のような面倒くさいことをやるのか?

「預貯金+αのリターン」を追求する

 

投資は極端な話、お金さえあれば、誰でもできます。

しかし、誰でも投資をやって、うまくいくわけではありません。

多くの人にとって、投資は「非日常の世界」です。

投資について少しでも理解しようと思ったら、日常生活では必要ない
専門用語や数字、理論などの知識を、ある程度は身につける必要があります。

投資のゴールをいつに設定するかは人それぞれですが、そのゴールに
到達するまでに、いちども投資で失敗しない人は、恐らくいないはずです。

私たちは何度かの失敗も含めて、投資という非日常の経験を積み重ね、
そこからまた何かを学んでいく必要もあるのだと思います。

しかも、投資の知識や経験が十分にある人でも、必ずしも最終的にゴールが
満足いくものになるとは限りません。

投資とは、それほど不確実で、はっきりいって面倒くさいものです。

多くの人にとってはそんなこと、「やりたくない」というのが本音でしょう。

そもそも私たちは、どうして投資などという不確実で面倒なことを、
やろうと考えるのでしょうか。

その動機はほとんどの場合、将来の生活に向けて預貯金の利息だけでは
物足りないから、あるいは、心もとないからだと思われます。

大手都市銀行メガバンク)の定期預金の利率は現在、預入額が1000万円以上の
「大口定期10年物」でも年利がたったの0.002%です。

いくら元本保証で安全とはいっても、これではもはや「雀の涙」と呼ぶのも
むなしくなるレベルです。

つまり、私たちにとっての投資とは、安全資産である預貯金に何らかの
リスク資産を加えることで、「預貯金+αのリターン」を追求するという
意味があることになります。

「+αのリターン」をできるだけ大きくしたいならば、株式への投資比率を
増やせばよい、というのが一般的な考え方です。

ただし、それは同時に、投資した資金が一時的もしくは最終的に大きく
減ってしまう可能性が高まる、ということでもあります。

投資資金とは別に、生活資金が十分に確保されていて、たとえ投資資金が
大きく減ることになっても構わないと考えられる人ならば、株式への投資比率を
高めることができます。

結果として、そういう人ほど、より高い「+αのリターン」を追求することが
可能になるわけです。

反対に、生活資金は十分にあるけれど、投資資金が減るのはどうしても
許せないという人や、生活資金がまだ十分に確保されていないという人は、
より高い「+αのリターン」を追求するのはあきらめて、株式への投資比率を
低めにした安定志向の投資をめざすべきなのかもしれません。

安定志向の投資として、まず思い浮かぶのが、日本国債を買って満期償還まで
持ち切るという方法です。

たとえば「個人向け国債は、私たち一般の個人でも買える日本国債です。

満期3年の固定金利型、満期5年の固定金利型、満期10年の変動金利型という
3種類が用意されていて、多くの銀行や証券会社で取り扱っています。

いずれも毎月(年12回)発行されていて、1万円から購入が可能。
購入手数料はかかりません。購入から1年が経過すれば国が額面で
買い取ってくれる、事実上の元本保証商品です。

投資が初めての人は、どれを選ぶべきか迷うかもしれませんが、
基本的には満期10年の変動金利型を選んでおくのが無難です。

これは3種類のなかで唯一、利率が半年ごとに見直される仕組みになっていて、
将来的に世の中の金利が上昇すると、この国債の利率も連動して上昇します。

つまり、世の中のインフレ(物価上昇)に合わせて、国債から得られる利息も
増えることになるため、インフレによる購買力の低下を補う効果が期待できます。

さて、直近の利率は3種類とも年0.05%となっています。

前述した「大口定期10年物」と比べれば、25倍にあたる大きな数字ですが、
それでも100万円を購入して年に500円のリターンというレベルなので、
この利率で満足できるという人はほとんどいないと思われます。

資産が10億円とか100億円あるような人ならば、元本保証だから、
資産の保全を考えるうえでは最適の商品なのかもしれません。

しかし、私たち一般の個人にとって、現状の個人向け国債はリターンが
あまりに小さすぎるため、資産を増やすには向かない商品といえるのです。

ふつうの個人は、こんな風に考えるはずです。

「預貯金+αのリターン」を追求するのに、日本国債は向かない。

でも、株式への投資比率を高めるのは、価格下落のリスクが怖い。

ならば、日本国債と株式の「中間」に位置するような金融商品はないのだろうか。

そうして行き着くのが、海外の国債という選択肢です。

 

米国債も株式より安全とは言い切れない

 

海外の国債に投資する方法としては、いわゆる「外国債券ファンド」(投資信託)を
購入する手もありますが、証券会社などが扱っている既発債を利用すれば、
一般個人でも海外の国債を単体で買うことができます。

ある証券会社が販売している米国債をみてみると、今年10月29日現在、
残存期間(償還までの残り期間)が9年9カ月のもので利回りは年1.42%(複利)。

これをほぼ10年満期と考えて、日本の個人向け国債の変動金利型(満期10年)と
比べると、利回り水準は28倍以上も大きいことになります。

個人向け国債の変動金利型(満期10年)は、これから世の中の金利が上昇した場合、
連動して利率も上昇するため、現状の年0.05%という利率が今後10年間でどのように
変わっていくのか分かりません。

ただ、変動金利型(満期10年)の利率が年1.42%まで上昇するためには、
日本の長期金利が2%を超える水準まで高まる必要があり、そういう状況に
なることは当面の間、考えづらいのが実情です。

米国債の年1.42%という利回りは、やはり魅力的ということになります。

 

問題は、この米国債がドル建てであるために、為替変動の影響を受ける
いうことです。

私たちが外貨建ての金融商品に投資する場合、為替変動によって損益分岐点
どうなるかを、あらかじめ計算で求めることができます。

少しややこしいですが、計算式は

「現在の為替レート(円)÷{(1+利回り)の年数乗}」

なので、これに上記の米国債の数字をあてはめてみます。

米国債の購入時に為替が1ドル=113円だったとすると、10年後の損益分岐点
「113円÷{(1+0.0142)の10乗}=98.1円」となります。

この米国債に投資した場合、10年後に1ドル=98円程度まで円高が進むと
金利収入の蓄積分がなくなり、元本割れの恐れも出てくるわけです。

最近、円・ドル為替レートは円安の傾向が続いていて、専門家の間では、
今後もしばらくは円安傾向が続くという予想が多いようです。

円安が進めば、その分だけ米国債から得られるリターンは増えることになりますが、
10年後の円・ドル為替レートがどうなっているかについては、神のみぞ知る、です。

結局のところ、「預貯金+αのリターン」を追求するうえで、米国債
日本国債よりも高いリターンが期待できることは間違いないのですが、
一方で為替のリスクを負うことになるため、株式よりも安全で安定した
投資が
できるとは言い切れないことになります。

こんな風にして、人々の投資にまつわる悩みは募っていくのです。

 

投手の自責点はアテにならないのか?

7失点で自責点は0という不思議

 

10月25日(月)の千葉ロッテvsソフトバンク25回戦(ZOZOマリンスタジアム)で、
2回表にソフトバンクが一挙7点を奪いました。

千葉ロッテの先発投手・美馬は1回2/3を投げて、打者12人に6安打、
7失点でしたが、なぜか自責点は0となっていました。

驚いた私は、改めて失点と自責点の関係を知りたいと思い、いろいろと
調べてみたのですが、これがけっこう難しいのです。

ポイントはまず、投手の自責点の対象にならない得点というものが、
いくつかあること。

たとえば守備陣のエラー(ファウルフライの落球を含む)、捕手または野手の
打撃妨害や走塁妨害、捕手のパスボールなどが関係した得点です。

それから、守備側には「アウトにできる守備機会」というものが
設定されていて、そこには実際に打者や走者をアウトにした場合はもちろん、
「エラーなどによってアウトにできなかった場合」も含まれるそうです。

投手に自責点がつくのは、守備側が3つの「アウトにできる守備機会」を
つかむ前に、自責点の対象となる得点が記録された場合に限られます。

「アウトにできる守備機会」が3回あった後では、ひとりの投手がどれだけ
失点しても、その投手の自責点とはなりません。

ただし、イニングの途中で投手交替があった場合、それ以降のプレーについては
話が変わってくるようです。

なんだか分かったような、分からないような話なので、
千葉ロッテvsソフトバンク戦の「2回表」に照らし合わせて考えてみます。

先頭の4番・デスパイネがライトフライで、まず1アウト。

5番・中村晃のショートゴロを、千葉ロッテの遊撃手・エチェバリア
エラー(悪送球)して、1アウト1塁。

このエラーを「アウトにできる守備機会」に含めるならば、この時点で
「アウトにできる守備機会」は2回目ということになります。

6番・牧原のセンター前ヒットで、1アウト1・2塁。

7番・甲斐がライト前ヒットを打って1点が入り、なおも1アウト1・3塁。

ここで8番・リチャードがセンターへ犠牲フライを打って2点目が入り、
2アウト1塁。

これで「アウトにできる守備機会」は3回目です。

つまり、これ以降に入った得点については、美馬の自責点にはならないわけですね。

9番・柳町のツーベースでもう1点が入り、1番・三森のタイムリーでまた1点、
2番・釜元のヒットをはさんで、3番・栗原のツーベースでまた2点。

打者一巡の攻撃で、すでに6点が入っています。なおも2アウト2塁。

ここで千葉ロッテの投手は、美馬から岩下に交替しました。

その後、4番・デスパイネのタイムリーで、さらに1点が入ります。

5番・中村晃のフォアボールをはさんで、6番・牧原がファーストゴロ。

ようやくチェンジです。

全部で7点入りましたが、岩下が打たれて入った7点目は、もともとは
美馬が出したランナー(栗原)だから、岩下には失点も自責点もつきません。

 

想定外のピンチで粘れていない?

 

さて、ソフトバンクの7得点はすべて美馬が出したランナーが
生還したものなので、美馬の7失点というのは分かります。

分からないのは自責点です。

リチャードの犠牲フライが、千葉ロッテにとって3回目の
「アウトにできる守備機会」で、この時点でソフトバンクは2得点です。

その2得点は、1点目が甲斐のタイムリーで中村晃が生還したもの、
2点目がリチャードの犠牲フライで牧原が生還したものです。

このうち中村晃は、エチェバリアのエラーで出塁したのだから、
美馬の自責点ではない。これは分かります。

しかし牧原は、美馬がヒットを打たれて出したランナーであり、
その後にエラーなどは記録されていないので、この1点だけは
美馬の自責点になるのではないでしょうか。

それとも、本来はリチャードのセンターフライで3つ目のアウトとなる
はずだったから、現実には犠牲フライになって1点が入ってはいるものの、
この1点は自責点にカウントしないということでしょうか?

この辺がよく分かりません。


いずれにしても、その後に美馬は4連打を食らって、さらに5点を失っていますが、
それらはすべて自責点にカウントされないルールになっています。

こうしてみると、プロ野球投手の自責点防御率というのは、
意外とアテにならないものではないかと思ってしまいます。

失点が多いのに自責点は少ないというケースもありそうなので、
実際に今年の投手成績を確認してみました。

セ・パ両リーグで規定投球回数に達している投手の失点と自責点をみると、
たとえば広島の九里は失点72に対して自責点が62防御率3,88)、
ソフトバンクの石川は失点70に対して自責点が59防御率3.40)と、
その差が10点以上も開いています。

ちなみに前述の千葉ロッテ・美馬は、規定投球回数に達していませんが、
失点72に対して自責点が63防御率4.92)です。


こういう数字をどのように解釈すればいいのでしょうか。

私は現在、以前に比べてプロ野球の試合をほとんど観なくなったうえに、
ファンでもないチームの投手については普段から数字も確認しないので、
余計に分からないのですが、失点と自責点の差が大きい投手は、
野手のエラーなどで想定外のピンチに立たされたとき、そこから粘ることが
できていないと言えるのかもしれません。

そう考えると、昔のいわゆる「抑えピッチャー」はすごいと同時に、
可哀そうだったような気もします。

現代の「クローザー」とはちがって、7回や8回のノーアウト1・3塁とか
1アウト2・3塁などの大ピンチで登板し、そこから9回まで投げ切ることを
期待されるのが普通でした。

想定外のピンチどころか、最初から自分以外の投手がつくった
ピンチで登板することが「想定内」だったわけです。

もちろん、そこで打たれて得点されても、自分の失点や自責点には
ならないケースも多かったと思いますが、逆にきちんと0点で抑えた
場合には、通常より評価の高い特別な防御率を適用してあげても
よかったのではないかとさえ思います。

 

バランス型投信の真実

4資産への投資も手入れも手間がかかる

 

これから投資を始めようという人はもちろん、すでに投資を始めている人のなかでも、
投資に「安全」や「安心」を求めるニーズは大きいようです。

私たち一般の個人にとって、投資の安全や安心とは、要するに何なのでしょうか。

たとえば、将来についてはこんな内容が考えられます。

●投資した資金が将来的に減らないこと(少なくとも元本割れは避けたい)

●投資のリターンが、将来的に当初の目標額を下回らないこと
(できれば予定通りのリターンが実現してほしい)

身も蓋もない言い方になりますが、これらは結果論なので、現段階であれこれ
心配してみたところで何の意味もありません。

むしろ将来的な投資の結果は誰にも予測できないし、管理もできないということを、
いまのうちからよくよく心得ておく必要があります。

そもそも将来、本当にお金が必要なときが来て、投資対象を換金する必要に
迫られたら、その時点で元本割れしたとか、目標を達成できなかったなどと
言っている余裕もないはずです。

自分の将来など、いつ何が起こるか、まったくもって分からないものであり、
投資とは、そういう私たちの「分からない将来」に備えてやるものです。

だからこそ、投資はできるかぎり余裕資金でやるべきだし、将来的にあらゆる
事態を想定しておくべきだと言えます。

もうひとつ、安全や安心にはこんな内容もあるかもしれません。

●投資対象となる株式や債券などの価格変動率(価値が上下にぶれる幅)が、
  できるだけ小さいこと

これは投資の途中経過に関するもので、できるだけ波乱のない安定した投資状況が
続いてほしいという願望でしょう。

言い換えれば、投資対象の価格が大きく下落する恐怖から逃れたいということです。

残念ながら、投資対象の価格変動率が低ければ、資産を大きく増やすことは
できません。そして価格変動率のうち上昇だけが高くて、下落は低いというような、
都合のよい投資対象はありません。

私たちが資産を大きく増やしたければ、投資の途中で大きな下落を経験する恐怖は、
いやでも克服しなければならないわけです。

投資に100%の安全や安心はありませんが、安全や安心を高める方法ならあります。

以前、本ブログの《分散投資の意味》で紹介した、国際分散投資です。

繰り返しになりますが、あるデータによると、日本株」「日本債券」
「外国株」「外国債券」という4つの資産に25%ずつの均等投資を10年間
続けた場合、「1970年(1月)~79年(12月末)」の10年間に始まって、
「2011年(1月)~20年(12月末)」の10年間まで、全部で42ケースあった
どの10年間をとっても、「10年間の投資成績」はすべてプラスになっています。

これならば、投資資金の50%を株式に配分してリターンの向上を図りながら、
少なくとも元本割れは例外なく避けられるのですから、まことにありがたい
投資方法といえます。

ただし、国際分散投資では、私たちが自分で4資産への投資(4種類の
インデックス型投信などを利用するのが一般的)を個別におこなう
必要があるほか、月末ごとにリバランスという「手入れ」も必要になります。

リバランスとは、投資によって増えたり減ったりした資産を、当初の25%に
戻す作業です。

たとえば、ある月に日本株への配分比率が28%に高まり、逆に外国債券への
配分比率が22%に低下したような場合、月末に日本株の3%分を売却して、
その資金で外国債券を新たに3%分だけ購入することで、再び4資産がすべて
25%ずつの配分になるように調整します。

4資産への投資も、手入れ作業も、ふつうの個人にとっては
非常に手間がかかり、面倒くさいことです。

そこで、国際分散投資とリバランスをまとめてお任せできる、
バランス型投信が重宝されるようになったのです。

 

趣旨や目的から逸脱した商品が目立つ

 

「つみたてNISA」の対象商品として、実はいちばん多く用意されているのが
バランス型投信です。

今回、改めてその商品ラインナップを見てみて驚きました。

REIT不動産投資信託)なども含めた5資産~8資産に投資するタイプが
非常に多く、さらには株式や債券など特定の資産への配分を多めに設定した
タイプや、各資産への配分比率を年が経つとともに自動的に組み替えていく
「ターゲットイヤー型」というタイプも目立ちます。

つまり、代表的な4資産への均等投資という国際分散投資の「直球」で勝負する
商品よりも、「変化球」で勝負する商品の方が圧倒的に多いのです。

これには投資家のニーズが大きく関係しています。

できるかぎり低リスクで高リターンを求めようとする個人や、徹底して
安全・安心を求める個人など、さまざまな投資家のニーズに応えるため、
運用会社は新たな投資対象を加えたり、各金融資産への投資配分にわざと
偏りをもたせたりと、さまざまな工夫を施して新タイプのバランス型投信を
開発してきたわけです。

最近では、先物取引を使ってレバレッジ(てこの原理)を効かせ、通常の
バランス型投信の3倍程度のリターン獲得をねらうタイプやら、あらかじめ
基準価額の下値ラインを決めておき、投資家にその下値ラインでの換金を
保証するタイプやら、変化球にもますます磨きがかかっています。

全体的にアセットアロケーション型」と呼ばれるタイプが増えていることも、
最近のバランス型投信に目立つ傾向といえます。

これは、相場の状況に応じて株式や債券への投資比率を機動的かつ大胆に
変更するタイプで、株式相場の下落が続くような局面では、リスクを抑える
効果が高いといわれています。

その半面、株式の上昇相場で大きなリターンを獲得するのは難しいようですが、
価格変動率が小さいという特徴は、冒頭にあげた「個人が求める安全・安心」に
つながります。

さて、ここで考えてみたいのは、バランス型運用(国際分散投資)の本来的な
意義についてです。

値動きの性質が異なる複数の資産に、十分にバランスよく投資することで、
将来的に相場がどのように動いたとしても、柔軟に対応できる状態をつくっておく、
というのがバランス型運用の趣旨であり、目的でもあります。

結果として前述のとおり、代表的な4資産に均等投資を続ければ、
少なくとも元本割れを防げることは統計的に証明されています。

しかし、そこに新たな投資資産を加えたり、投資比率に偏りをもたせたり、
さまざまな工夫を加えるほどに、本来あるべき形のバランスは崩れていきます。

また、相場の状況に合わせて投資比率を機動的に変更するというのは、
あたかも「リスク管理に力を注いでいる」ように見えて、その実、
タイミング投資をおこなっていることにほかなりません。

タイミングを測って投資するのがプロにも難しいことは、アクティブ型投信が
インデックス型投信になかなか勝てないことをみれば明白でしょう。

直球型の国際分散投資がわざわざ4資産に25%ずつの投資を固定するのは、
タイミング投資の弊害を排除するための、苦肉の策でもあるわけです。

そう考えると、投資の途中で資産配分比率を大きく変えるのは、本来の目的に
逆行しているといわざるを得ません。

バランス型運用とは、各金融資産の将来的な相場状況が予測できないことを
率直に受け入れ、そうした不確実性に対処するために生み出された手法です。

その意味からすると、現状のバランス型投信に本来の趣旨や目的から逸脱した
商品が目立つという真実は、残念でもあり、いささか心配でもあります。

 

いま聴きたい拓郎の曲

吉田拓郎のNo.1アルバムは私のなかで、いまもむかしも変わりません。

19歳のときに初めて聴いた、『いまはまだ人生を語らず』です。

残念ながら、レコード会社の自主規制で廃盤となってしまい、いまでは
このアルバムをCDで聴くことはできません。

ただ、いくつかの曲は拓郎のベスト盤に収録されているほか、YouTube
少し音質が悪いものの、アルバムが丸ごとアップされていたので、久々に今回、
全曲を聴いてみることにしました。

実はひとつ、知りたいことがあったのです。

半年ほど前に、「いま聴いて心地よい拓郎の曲ベスト10」を選んでみたのですが、
そこに『いまはまだ人生を語らず』の収録曲(全12曲)はたったの1曲しか
入りませんでした。

「好きなアルバム」と「好きな曲」は、必ずしもリンクするとは限りません。

しかし、自分のなかで拓郎の曲の好みが、以前と変わってしまったことは
確かだと思います。いったい自分のなかで何が変わったのだろう?

改めて聴いてみて、その答が解りました。

誤解を恐れずにいうと、『いまはまだ人生を語らず』の収録曲は、
いずれも「男の曲」、あるいは「男が歌うべき曲」なのだと思います。

私もカラオケで女性ボーカルの曲を好んで歌う方ですが、それでも
「これはやはり女性が歌うべき曲だな」と感じることがよくあります。

たとえば中島みゆき《ミルク32》は、自分も含めて男には歌ってほしくない。

山下久美子なら、《バスルームから愛をこめて》は自分の声でも何とか誤魔化しが
効くけれど、《抱きしめてオンリーユー》は男の声ではどうにもしっくりこない。

同じように、『いまはまだ人生を語らず』に収録されている
《ペニーレインでバーボン》《人生を語らず》《シンシア》などは、
男の声でちょっと「ぶっきらぼう」に歌ってこその曲だと思うのです。

つまり、いまの私には、そういう「男の曲」とは別に、もっと聴きたい種類の
曲があるということです。

 

       ✻      ✻      ✻      ✻

 

私が選んだ拓郎ベスト10の上位2曲は、1位が《赤い燈台》
2位が《春になれば》です。

もともと《赤い燈台》小柳ルミ子に、《春になれば》は小坂一也に提供された曲で、1977年のアルバム『ぷらいべえと』のなかで拓郎がセルフカバーしています。

ちなみに、私は小坂一也という歌手について知らないし、小坂一也バージョンの
《春になれば》も聴いたことがありません。

正直にいって、上記の2曲とも拓郎の声は全盛時の迫力や勢いがなく、
曲の完成度としては低い方だと思います。

ただし、歌詞はいずれも私の好きな作詞家が書いています。

まず《赤い燈台》の歌詞は、岡本おさみ

拓郎が岡本おさみと組んでつくった曲は、大きく2つのタイプに
分けることができます。

①社会派メッセージソング:《祭りのあと》《おきざりにした悲しみは》《落陽》
  《ひらひら》《アジアの片隅で》など

②叙情派ラブソング:《花嫁になる君に》《旅の宿》《こっちを向いてくれ》
  《蒼い夏》《歩道橋の上で》など

このほか、《制服》《ビートルズが教えてくれた》《君去りし後》《竜飛崎》など、
①に属する曲が圧倒的に多く、森進一が歌ってレコード大賞をとった襟裳岬も、
学生運動が終わった後の戸惑いや所在なさを描いたなどと言われることから、
①に属すると考えていいでしょう。


一方で②に属する曲は少なく、拓郎は2018年に出した『From T』という
ベスト盤のライナーノーツに、《歩道橋の上で》について自身でこんなことを
書いています。

…しかしその後は彼の描く世界が「旅の宿」的なラブソングに向かうことは少なく、
…僕はフォークと呼ばれるブームにはほとほと嫌気がさしていたので、
   岡本おさみ作詞の世界から距離をおこうとした。
   月日がずいぶんと流れた。
…ある日1編の詞が届いた。
 「あ!これはあの匂い」と僕はひざを叩いた。

そんな数少ない叙情派ラブソングのひとつが、《赤い燈台》なのです。

もちろん楽曲の好みには歌詞だけでなく、曲も大いにかかわってきます。

私は最終的に拓郎の楽曲のなかで、《赤い燈台》のような優しく、
ほのぼのとした曲調を強く求めるようになった、ということなのでしょう。

 

2位にあげた《春になれば》は、喜多條忠の作詞です。

神田川など、かぐや姫への提供作品があまりに有名ですが、
拓郎とのコンビでは他の歌手への提供曲で多くの名作を残しています。

たとえば、中村雅俊《いつか街で会ったなら》キャンディーズ
《あなたのイエスタデイ》は、曲も歌詞もどこか哀愁が漂い、それでいて
心が暖かくなるという点で、《春になれば》に通じるところがあります。

シングルレコードだった《いつか街で会ったなら》のB面には、
拓郎作曲・山川啓介作詞の《さすらい時代》が収録されていて、
これも同様のテイストを感じる作品です。

《いつか街で会ったなら》は75年、《あなたのイエスタデイ》は77年。
そして《赤い燈台》《春になれば》も77年。

74年の『いまはまだ人生を語らず』、75年のつま恋オールナイト・コンサート、
およびフォーライフ・レコードの設立を経て、拓郎はどちらかといえば
「フォーク色」も「ロック色」も薄める方向に変わっていったんだと思います。

そこでは恐らく、他人への楽曲提供という機会が拓郎自身に大きな影響を与えた。

そして、ちょうどその変化しつつある時期に書かれた曲たちは、なぜか現在の
私の心を揺さぶる力が強いようなのです。

 

殺人事件が起きないミステリー

天の配剤にみる人間への深い信頼

 

「殺人事件が起きないミステリー小説」の面白さを、北村薫によって知りました。

北村薫の小説にはシリーズものの短編集がいくつかあり、
そのうち「円紫さんと私シリーズ」の初期に属するのが、
『空飛ぶ馬』と『夜の蝉』(いずれも創元推理文庫)の2冊です。

主人公である女子大生の「私」が、身の回りで起こった不思議な出来事を、
知り合いの落語家・円紫さんに謎解きしてもらう内容になっていて、
不思議な出来事は、たとえば以下のようなかたちで提出されます。

赤頭巾(『空飛ぶ馬』に収録)

歯医者の待合室で、「私」は隣に座った中年の女性から突然、奇妙な話を
聞かされる。その女性がある日曜日に幼馴染みの友人宅へ行ったときのこと。
友人が「最近、日曜日の夜9時になると、家の前の公園に赤頭巾が出る」と言うので、
夜9時に2階の部屋から公園をのぞかせてもらったら、実際に赤いレインコートを
着た女の子が立っていた。

空飛ぶ馬(『空飛ぶ馬』に収録)

「私」の隣家の奥さんが、ある晩に幼稚園の前を車で通ったら、つい先日、
園の庭にコンクリートで固めて設置されたばかりの「木馬のおもちゃ」が
消えてなくなっていた。ところが次の日の朝、子どもを幼稚園まで送っていくと、
そこには元の場所にきちんと木馬が置いてあった。

《赤頭巾》では「不倫と侮蔑、嫌悪」が、《空飛ぶ馬》では
「結婚と愛情、いたわり」が、それぞれの謎を解くカギになっています。

円紫さんの見事な謎解きを聞きながら、「私」は人間のさまざまな心のあり様や、
人間関係の尊さ、恐ろしさに気づいていきます。

いわば「私」の成長物語にもなっているわけですが、このシリーズの素晴らしさは、
話が展開される順番にもあると私は思います。

円紫さんと私シリーズの第1作である『空飛ぶ馬』には5つの短編が収録されていて、
《赤頭巾》は4つ目、《空飛ぶ馬》は5つ目の話にあたります。

「私」が20歳の誕生日を迎えた12月25日に、渋谷の喫茶店《空飛ぶ馬》
謎解きをしながら、円紫さんは「私」にこんなことを言います。

「天の配剤ということをあなたは信じますか」

「僕はそういう運命の好意を信じたいですね。この間の《赤頭巾》に続いて、
 同じくあなたの町が舞台です。人が生き、人と触れ合ううえでの2つの出来事が、
 そこに順序よく示されているような気がします」

「どうです、人間というのも捨てたものじゃないでしょう」

ここに出てくる「天の配剤」とは、「神様は物事をほどよく組み合わせて、
私たちの前に提出してくれる」というような意味でしょう。

人間のもつ「毒」や「悪」の部分にも目を向けながら、ひとつの短編小説集を
このように前向きな言葉と印象で締めくくる--。

そこには北村薫の、人間に対する深い信頼が感じられて、清々しい読後感が残ります。

まったくの蛇足ですが、《空飛ぶ馬》にはこんな一節も出てきます。

大学の男の子のなかには、中日ドラゴンズを後楽園、神宮、横浜と追いかけ、
名古屋にも足を運んだという人がいる…。

私はまさに大学時代、これと同じことをしていました。

何しろ、サークルが「CDFC(中日ドラゴンズ・ファンクラブ)」だったもので。

『空飛ぶ馬』の単行本が出たのが1989年、私が大学に在籍していたのが
1984年4月~87年3月、そして北村薫と私は大学が同じです。

CDFCは私が知るかぎり、88年までは学内で活発に活動していたはずなので、
もしかしたら、私より16歳年上の北村薫はどこかでCDFCのうわさを聞きつけて、
書いてくれたのかもしれません。

 

いつも寄り添っていてくれた姉の心

 

同じく円紫さんと私シリーズの第2作である『夜の蝉』には、3つの短編が
収録されていて、その2つ目が《六月の花嫁》、3つ目が《夜の蝉》です。

この順番も見事というほかありません。

例によってそれぞれ円紫さんの謎解きがあるのですが、この2つの話ではむしろ、
謎解き以外の「人間もよう」、あるいは人間の心への気づきが読みどころに
なっていると思います。

《六月の花嫁》では、「私」の仲の良い友人である江美ちゃんが、ある秘密を
守るために結果として「私」を利用するようなかたちになってしまったこと、
そして、そのことを心の中で一生懸命、「私」に詫びていたことが描かれます。

《夜の蝉》では、「私」の実の姉が、あるときから「私」をいじめるのをやめて、
逆に何かと面倒をみるようになった理由が、姉本人の口から明かされます。

「あんたがわたしに飛びついてきたんだよ」と姉から言われて、しばらく
何のことか分からなかった「私」は、やがてその瞬間を思い出します。

小学校に上がる前の、ある夏の夜に、大きなアブラゼミが部屋に侵入してきた
ときのことでした。

そこで展開される姉妹の会話が、しみじみします。

「--あの時にね、あんたは何度も同じ叫び声を上げた」
「どんな?」
「あんた、わたしを呼ぶ時に何ていう?」
私はその言葉を口にした。
「それだよ。それを何度も繰り返したの。…あんたは二十になった。
 だけど、今でもそういうふうに私のことを呼ぶだろう。…」

そして、姉は最後にこう言ったのです。

「--結局はそういうことだよ。あんたはわたしをそう呼び、私はそう呼ばれる。
 あの時に気がついたのはそれなんだよ。それから、わたしは変わった。…
 人間が生きて行くってことは、いろんな立場を生きて行くっていうことだろう。
 かかわりとか役割とか、そういったことを理屈でなく感じる瞬間て必ず
 来るものだと思うよ」


《六月の花嫁》では、友人がひと足早く結婚して、ある意味で「私」から
遠いところへと旅立ってしまった。

しかし《夜の蝉》では、いままでずっと遠い存在だと思ってきた姉の心が、
実はいつも近くに寄り添っていてくれたことを、「私」は気づかされます。

こういう締めくくり方をしてくれて「ありがとう」と、私は北村薫
言いたくなります。