解✦談

解りやすく、解きほぐします。

いま聴きたい拓郎の曲

吉田拓郎のNo.1アルバムは私のなかで、いまもむかしも変わりません。

19歳のときに初めて聴いた、『いまはまだ人生を語らず』です。

残念ながら、レコード会社の自主規制で廃盤となってしまい、いまでは
このアルバムをCDで聴くことはできません。

ただ、いくつかの曲は拓郎のベスト盤に収録されているほか、YouTube
少し音質が悪いものの、アルバムが丸ごとアップされていたので、久々に今回、
全曲を聴いてみることにしました。

実はひとつ、知りたいことがあったのです。

半年ほど前に、「いま聴いて心地よい拓郎の曲ベスト10」を選んでみたのですが、
そこに『いまはまだ人生を語らず』の収録曲(全12曲)はたったの1曲しか
入りませんでした。

「好きなアルバム」と「好きな曲」は、必ずしもリンクするとは限りません。

しかし、自分のなかで拓郎の曲の好みが、以前と変わってしまったことは
確かだと思います。いったい自分のなかで何が変わったのだろう?

改めて聴いてみて、その答が解りました。

誤解を恐れずにいうと、『いまはまだ人生を語らず』の収録曲は、
いずれも「男の曲」、あるいは「男が歌うべき曲」なのだと思います。

私もカラオケで女性ボーカルの曲を好んで歌う方ですが、それでも
「これはやはり女性が歌うべき曲だな」と感じることがよくあります。

たとえば中島みゆき《ミルク32》は、自分も含めて男には歌ってほしくない。

山下久美子なら、《バスルームから愛をこめて》は自分の声でも何とか誤魔化しが
効くけれど、《抱きしめてオンリーユー》は男の声ではどうにもしっくりこない。

同じように、『いまはまだ人生を語らず』に収録されている
《ペニーレインでバーボン》《人生を語らず》《シンシア》などは、
男の声でちょっと「ぶっきらぼう」に歌ってこその曲だと思うのです。

つまり、いまの私には、そういう「男の曲」とは別に、もっと聴きたい種類の
曲があるということです。

 

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私が選んだ拓郎ベスト10の上位2曲は、1位が《赤い燈台》
2位が《春になれば》です。

もともと《赤い燈台》小柳ルミ子に、《春になれば》は小坂一也に提供された曲で、1977年のアルバム『ぷらいべえと』のなかで拓郎がセルフカバーしています。

ちなみに、私は小坂一也という歌手について知らないし、小坂一也バージョンの
《春になれば》も聴いたことがありません。

正直にいって、上記の2曲とも拓郎の声は全盛時の迫力や勢いがなく、
曲の完成度としては低い方だと思います。

ただし、歌詞はいずれも私の好きな作詞家が書いています。

まず《赤い燈台》の歌詞は、岡本おさみ

拓郎が岡本おさみと組んでつくった曲は、大きく2つのタイプに
分けることができます。

①社会派メッセージソング:《祭りのあと》《おきざりにした悲しみは》《落陽》
  《ひらひら》《アジアの片隅で》など

②叙情派ラブソング:《花嫁になる君に》《旅の宿》《こっちを向いてくれ》
  《蒼い夏》《歩道橋の上で》など

このほか、《制服》《ビートルズが教えてくれた》《君去りし後》《竜飛崎》など、
①に属する曲が圧倒的に多く、森進一が歌ってレコード大賞をとった襟裳岬も、
学生運動が終わった後の戸惑いや所在なさを描いたなどと言われることから、
①に属すると考えていいでしょう。


一方で②に属する曲は少なく、拓郎は2018年に出した『From T』という
ベスト盤のライナーノーツに、《歩道橋の上で》について自身でこんなことを
書いています。

…しかしその後は彼の描く世界が「旅の宿」的なラブソングに向かうことは少なく、
…僕はフォークと呼ばれるブームにはほとほと嫌気がさしていたので、
   岡本おさみ作詞の世界から距離をおこうとした。
   月日がずいぶんと流れた。
…ある日1編の詞が届いた。
 「あ!これはあの匂い」と僕はひざを叩いた。

そんな数少ない叙情派ラブソングのひとつが、《赤い燈台》なのです。

もちろん楽曲の好みには歌詞だけでなく、曲も大いにかかわってきます。

私は最終的に拓郎の楽曲のなかで、《赤い燈台》のような優しく、
ほのぼのとした曲調を強く求めるようになった、ということなのでしょう。

 

2位にあげた《春になれば》は、喜多條忠の作詞です。

神田川など、かぐや姫への提供作品があまりに有名ですが、
拓郎とのコンビでは他の歌手への提供曲で多くの名作を残しています。

たとえば、中村雅俊《いつか街で会ったなら》キャンディーズ
《あなたのイエスタデイ》は、曲も歌詞もどこか哀愁が漂い、それでいて
心が暖かくなるという点で、《春になれば》に通じるところがあります。

シングルレコードだった《いつか街で会ったなら》のB面には、
拓郎作曲・山川啓介作詞の《さすらい時代》が収録されていて、
これも同様のテイストを感じる作品です。

《いつか街で会ったなら》は75年、《あなたのイエスタデイ》は77年。
そして《赤い燈台》《春になれば》も77年。

74年の『いまはまだ人生を語らず』、75年のつま恋オールナイト・コンサート、
およびフォーライフ・レコードの設立を経て、拓郎はどちらかといえば
「フォーク色」も「ロック色」も薄める方向に変わっていったんだと思います。

そこでは恐らく、他人への楽曲提供という機会が拓郎自身に大きな影響を与えた。

そして、ちょうどその変化しつつある時期に書かれた曲たちは、なぜか現在の
私の心を揺さぶる力が強いようなのです。