解✦談

解りやすく、解きほぐします。

フォースプレイをめぐる混乱

フォースアウトの判定がなかった

 

9月13日(月)の中日vsヤクルト18回戦(バンテリンドームナゴヤ)において、
かなり珍しい事件が起きました。

得点「1対0」の中日リードで迎えた9回表、ヤクルトの攻撃。

「1アウト1、2塁」で代打・川端が、セカンドゴロを打ちました。

中日のセカンド・堂上が捕球して、まず1塁から走ってきた走者・西浦に
タッチを試みます。

しかし、タッチができなかったため、打者走者である川端をアウトにしようと、
すぐに1塁へ送球しましたが、川端は1塁でセーフになります。

このとき、もともと1塁走者だった西浦は2塁に向けて走っていたため、
中日のファースト・福田は、2塁ベースに入ったショートの京田に送球しました。

走者の西浦は1・2塁間で立ち止まり、いわゆる「はさまれた状態」になります。

2塁ベースの手前で送球を受けたショート・京田は、少しの間、走者・西浦を
追いかけた後にファーストの福田へ送球。

福田は再び京田へ送球し、このときに京田は2塁ベースを踏みました。

しかし、2塁審判が何のジャッジも下さなかったため、再び走者・西浦をはさんで、
京田は1塁ベース前にいたセカンドの堂上に送球します。

堂上はしばらく西浦を追いかけますが、その間に、3塁まで進んでいた
走者・古賀(もともとは2塁走者)が本塁への突入を試みました。

それを見た堂上は、すかさずキャッチャー・木下拓に送球し、
走者・古賀は本塁ベース前でタッチアウトとなりました。

その後、いったんは「2アウト1、2塁」で試合が再開されそうになりましたが、
ここで中日の与田監督が「リクエスト」(リプレー検証)を要求します。

京田がボールを持った状態で2塁ベースを踏んだとき、1・2塁間にはさまれていた
走者・西浦は「フォースアウト」になるのだから、すでに3アウトだという主張です。

結局、この主張が認められ、3アウトで試合終了となったのですが、
ヤクルトの高津監督は納得できず、審判団に猛抗議します。

走者・西浦が2塁でフォースアウトという判定があれば、3塁まで進んでいた
走者・古賀が本塁へ突入することはなかった。

2塁塁審がフォースアウトの判定を下さなかったのは、明らかなミスだと
いうような抗議内容です。

なぜ判定があれば、走者・古賀の本塁突入はなかったのかという詳しい説明は
ありませんが、恐らく

・2アウトなら、3塁走者はもっと慎重になるから
・その時点で「走者がはさまれた状態」は解消され、中日の守備陣の注意は
 3塁走者に向くから

などの理由ではないかと思われます。


翌14日(火)になってヤクルト側に、審判部とセ・リーグから事情説明と
謝罪がありました。

2塁でフォースアウトの判定を下さなかったのは、2塁塁審が
「打者走者が1塁でセーフになったのを見逃していた」ことが
原因とのことでした。

 

笑ってしまったダブルプレー

 

この問題については、数年前から指摘されていたプロ野球・審判団の
能力低下に関する疑念はもちろん、そもそも「判定が下されなかった
プレーに対してリクエストが可能なのか」といった疑問の声もあがるなど、
今後も何かと波紋を呼びそうな気がします。

ただ、野球のルールを再確認するうえでは、良い教材となりました。

家にあった『わかりやすい野球のルール』(成美堂出版)という本を参考に、
今回の事件に関係のあるルールをまとめると、以下のようになります。

●打者が打った後に走者となることで、もともと塁上にいた走者が
  押し出される状態を「フォースの状態」という。

●たとえばランナー1、3塁で打者が内野ゴロを打ったとき、1塁走者は
 「打者走者によって1塁から押し出される」ため、フォースの状態となるが、
  3塁走者は誰にも押し出されないので、フォースの状態ではない。

フォースの状態にある走者をアウトにするためには、その走者が
  進もうとする塁に、守備側がボールを持った状態で触れればよい。
  これをフォースプレイといい、塁に触れるのは身体のどの部分でも構わない。

フォースの状態にない走者をアウトにするためには、走者が塁を離れたときに、
  守備側がボールを走者の身体に触れさせるか、ボールを握っているグラブを
  走者の身体に触れさせる必要がある。これをタッグプレイという。

●走者がいったんフォースの状態になっても、自分より後位の走者(※)が先に
  アウトになれば、押し出されて進塁する義務がなくなるため、フォースの状態
  解除される。

※自分より後位の走者:「ランナー1塁」の場合は打者走者をさす。「ランナー1、2塁」の場合、
 2塁走者にとっては打者走者と1塁走者が、
1塁走者にとっては打者走者がこれに該当する。


「ランナー1、2塁」から打者が内野ゴロを打ち、打者走者が1塁で
アウトになった場合には、1塁走者はフォースの状態ではなくなるので、
守備側が2塁ベースにボールを持って触れるだけではアウトになりません。

1塁走者をアウトにするためには、走者が塁から離れている状態で、
走者の身体にボールを触れさせる必要があります。

今回の事件では、たまたま打者走者が1塁でセーフになったため、
1塁走者はフォースの状態となり、「守備側がボールを持って2塁ベースを
踏んだ時点でアウトになる」というのが正解だったわけです。

ちなみに、フォースの状態が解除された走者は、もともといた塁に
戻ることもできます。

たとえば「ランナー1塁」で、打者がファーストゴロを打ち、捕球した
ファーストがすぐに1塁ベースを踏んで打者走者を先にアウトにした場合。

1塁走者はフォースの状態が解除されるため、押し出されて2塁に進塁する
義務がなくなります。

つまり、2塁に進塁してもいいし、1塁に戻ってもいいわけです。

もちろん、いずれも塁に到達するまでの間、守備側のタッグプレイで
アウトにならないことが条件ですが。

思い出すのは、小学5年生のとき。

地域の少年野球チームで練習試合(紅白戦)をやっていて、私は1塁ランナーでした。

上記の例と同じように、バッターがファーストゴロを打ち、ファーストが
1塁ベースを踏んで打者走者をアウトにした後で、2塁に送球してきました。

ファーストが思いのほか、速くて正確な送球をしたので焦りましたが、
ショートが2塁ベースを踏んだだけで、まったくタッチに来なかったので、
私は悠々と2塁にすべり込みました。

すると、相手チームのセンターを守っていた6年生の先輩が、
「いまのはアウト」で「ダブルプレー成立」だと言うのです。

「ノータッチ、ノータッチ」と私がいくら言っても、相手チームはおろか、
味方チームの連中まで「アウトやで」と言い出す始末でした。

「ああ、ルールも知らんのか…。このチーム、弱いはずや」と内心で嘆き、
笑ってしまったのを覚えています。

 

積立投資による時間分散

「高値づかみ」を避けやすくなる

 

「長期投資」「分散投資」に加えてもうひとつ、私たちが投資をやるうえで、
ぜひとも取り入れたい基本的な考え方が「時間分散」です。

時間分散の具体例として、いちばん分かりやすいのが「積立投資」でしょう。

たとえば投資信託を購入する際に、あらかじめ一定の投資金額を決めておいて、
その金額ずつ同じ投信を毎月、定期的に購入し続けていく方法です。

積立投資をおこなうことのメリットは、大きく分けて3つあります。

ひとつ目は、積立投資の手法を用いると、投資信託を毎月数千円という小さな
金額から購入できることです。

これなら、たとえ手元にまとまった資金がなくても、少額ずつ無理のない範囲で
手軽に投資が可能になります。

2つ目は、購入時期を複数に分けることで、価格が高いときに多く買いすぎる
リスク(高値づかみ)を避けやすくなることです。

積立投資では、投信の基準価額が「高い月」には少ない量を、「安い月」には
多くの量をそれぞれ購入することになるため、結果として平均購入単価を
引き下げる効果が期待できます。

3つ目は、価格が上下するのを気にしないで済むため、精神衛生上、好ましい
効果がもたらされることです。

上記のとおり、積立投資では基準価額が下がった月には多くの量を購入します。
私たちは基準価額が下がった月を、「普段よりも多く投信が買えるチャンス」と
考えることができるので、基準価額の変動に惑わされず、淡々と長期投資を
続けることが可能になります。

2つ目のメリットについては、すぐにはイメージしづらいと思うので、
具体的な数字を使って見てみましょう。

ここでは、ある投信を毎月5万円ずつ1年間、積み立てたと仮定します。
話を分かりやすくするために、投信の値動きはわざと極端な例にしてあります。


  購入月   購入金額  基準価額  購入口数

1カ月目    50000円   20000円     2.5口 (50000円÷20000円=  2.5口)  
2カ月目    50000円   18000円   2.77口 (50000円÷18000円=2.77口)
3カ月目    50000円   17000円   2.94口 (50000円÷17000円=2.94口)
4カ月目    50000円   17000円   2.94口 (50000円÷17000円=2.94口)
5カ月目    50000円   15000円   3.33口 (50000円÷15000円=3.33口)
6カ月目    50000円   12000円   4.16口 (50000円÷12000円=4.16口)
7カ月目    50000円   14000円   3.57口 (50000円÷14000円=3.57口)
8カ月目    50000円   12000円   4.16口 (50000円÷12000円=4.16口)
9カ月目    50000円     8000円   6.25口 (50000円÷  8000円=6.25口)
10カ月目    50000円   10000円      5口 (50000円÷10000円=   5口)
11カ月目    50000円   14000円   3.57口 (50000円÷14000円=3.57口)
12カ月目    50000円   15000円   3.33口 (50000円÷15000円=3.33口)
13カ月目     -    16000円      -
      合計60万円        合計44.52口


この例では、1年間で60万円を投資して合計44.52口を購入し、1口あたりの
平均購入単価(基準価額)は13477円となります。
(60万円÷44.52口=13477円)

13カ月目の基準価額でこの投信を売却したとすると、得られる金額は71万2320円で、
投資の結果は単純計算でプラス18.7%となります。
(44.52口×16000円=71万2320円)
(71万2320円÷60万円=1.187)

注目したいのは、投信の基準価額が、積み立て開始時の2万円から売却時には
16000円まで下がっているのに、結果として18.7%の利益が得られたことです。

これは6カ月目から10カ月目あたりにかけて基準価額が下がった際に、
多めの口数を購入できたことが貢献しています。

積立投資では投資対象の価格が下がったときにも定額で購入し続けるため、
投資期間の全体を通して平均購入単価が下がっていきます。

投信を積み立てる場合は、最終的に基準価額が平均購入単価を上回りさえすれば
利益が出るため、売却時の基準価額が積み立て開始時の基準価額を下回っていても、
投資の結果としてみれば意外と大きなリターンが得られることもあるわけです。

 

より望ましい価格の発見効果も

 

ところで、上記の例で積み立てではなく、60万円をどこかの月でいちどに
投資した場合、どうなるでしょうか。

売却時の基準価額が16000円なので、1カ月目~4カ月目(赤色部分)の
どこで一括購入していても、いわゆる「高値づかみ」になってしまって、
利益は得られなかったことになります。

積み立てによる平均購入単価の引き下げ効果を、少し違った角度からみると、
なかなか面白いことに気づきます。


総額60万円の積立投資において、平均購入単価が13477円だったということは、
結果として「基準価額が13477円のときに60万円をいちどに投資した」のと
同じことを意味します。

さて、私たちは投信の基準価額が2万円から8000円まで徐々に下がり、そこから
また16000円まで徐々に上がるような状況のなかで、基準価額が13477円の時点で
「いまこそ買い時だ」と自信をもって判断して、60万円をいちどに投資することが
できるものでしょうか?

もちろん、いちばんの買い時は基準価額が8000円の時点だったわけだから、
それに比べると、13477円が高い買い値であることは確かです。

しかし、上記の例では12カ月の間に「基準価額が14000円以上の月」が全部で
8カ月もあったのに、実際にはそれを下回る基準価額でまとめ買いしたのと
同じ結果になっています。


つまり、積立投資では高値づかみを避けながら、結果的に「より望ましい価格」を
発見して、いちどに投資したのと同じ効果が得られることになるのです。

積立投資による時間分散が効果を発揮するのは、「投資期間中に投資対象の
価格がいったん大きく下がって、その後に上がる」ようなケースです。
バブル崩壊後の日本株などは、その典型といえます。

一方で、価格が当初に上がってその後下がったり、一本調子で上がるような場合には、
時間分散の効果が十分に発揮されなかったり、まったく得られないこともあります。

このように、投資対象の値動きに条件がつくことから、積立投資に過剰な期待を
抱かない方がよいという意見もありますが、私たちが数十年の長期で積み立てを
考えるならば、とくに気にする必要はないでしょう。

これから数十年にわたって投資対象の価格がどのように動くかなど、
誰にも分からないし、そんな結果論にすぎない話をいちいち気にしても
仕方がないからです。

 

分散投資の意味

値動きの性質が異なるものの組み合わせ

 

分散投資は「何を分散するか」によって、おおむね2つの種類に分かれます。

①銘柄分散:日本株なら日本株という同じ金融資産のくくりのなかで、
 複数の銘柄に投資すること
②資産分散:「日本株+日本債券」「日本株+外国株+外国REIT不動産投資信託)」
  「外国株+金(ゴールド)」という具合に、複数の金融資産に投資すること

いずれも投資対象を分散するわけですが、そこでは「値動きの性質が異なるものを
組み合わせること」が大前提になります。

そう言われてもピンとこないかもしれないので、『投資のリスクとリターン』で
お話ししたのと同様に、今回も投資を野菜の収穫にたとえてみます。


ある農家がいま、「きゅうり」を生産しているとします。
1品目だけでは生産が安定しないので、さらに他の野菜も取り扱おうと考えました。

そのとき、「なす」や「ピーマン」を選ぶと、これらはきゅうりと同じく
夏野菜なので、いわば同類を加えることになります。

春の種まきから夏場の収穫期に向けて、生育環境に問題がなければ、
すべてが豊作という年もあるでしょう。

しかし、3品目はいずれも乾燥に弱い野菜なので、空梅雨の年などは
ちょっと困ったことになります。

あくまでも年間の収穫量が安定するという観点でみた場合、同じ夏野菜でも
乾燥に強い「スイカ」や「ゴーヤ」を加えたり、収穫時期の異なる冬野菜として
「ダイコン」や「ほうれんそう」を加えた方が、きゅうりとの組み合わせとしては
ベターだと考えられるわけです。


「野菜の収穫量=投資のリターン」だとすると、それに影響を与えるものとして
「野菜の生育上の特徴」にあたるものが、「投資対象の値動きの性質」だと
いえるでしょう。


たとえば2つの投資対象があるとして、それらの値動きの性質が異なるという場合、
いちばん望ましいのは2つが正反対の値動きをすることです。

もちろん、「投資対象A」が10%値上がりしたときに、「投資対象B」が必ず
10%値下がりしたら、いつまでたっても利益が得られないことになりますが、
2つの投資対象がそのように完全な正反対の値動きを示すことはあり得ません。

イメージとしては、Aが10%値上がりしたときに、Bが5%値下がりする。
逆に、Aが5%値下がりしたときには、Bが10%値上がりする。

そんな風に2つの値動きが部分的に打ち消し合うことで、どんなときでも
常に安定して5%の利益が得られるような状況をつくり出すことが、
分散投資の目的であり、理想なのです。

いま理想という言葉を使ったのは、たとえば以下のようなケースもあるからです。

Aが10%値下がりしたときに、Bが5%値上がりする。
Aが5%値上がりしたときに、Bが10%値下がりする。

これだと、安定して5%の損失が出ることになってしまいますが、消極的な
考え方ではあるものの、それでもやはり分散投資の意義は見出すことができます。

私たちがAかBのどちらかに単独で投資していた場合、10%値下がりしたときには、
そのまま10%の損失となりますが、同時にAとBの2つに投資することによって、
損失が5%に抑えられるからです。

このケースでは、AともBとも値動きの性質が異なるCやDといった投資対象を
加えることで、リターンの向上を図ればいいわけです。

 

資産分散の王道といわれる「国際分散投資


たとえば、冒頭にあげた①の銘柄分散について考えてみます。

自分がいま自動車メーカーの株式に投資しているとして、そこにまた他の
自動車メーカーの株式を組み合わせてしまうと、同類を増やすことになるので、
単純に考えて分散投資の効果はそれほど期待できません。

それよりは、コンビニなどの小売業や、食品メーカーなどを組み合わせた方が
ベターだと思われます。

日本株のなかで自動車メーカーなどは、株価が世界的な景気の良し悪しに
左右されやすい「景気敏感株」として知られています。

一方で小売業や食品メーカーなどは、株価が景気の影響を比較的に受けにくい
「ディフェンシブ株」として知られています。

景気というのは株価に影響を与える数多くの要因のひとつにすぎませんが、
そこそこ大きな要因であることは確かです。

景気に対する反応が異なる銘柄どうしを組み合わせることで、値動きの部分的な
打ち消し合い、つまりは値動きの安定化が期待できるというわけです。

②の資産分散で着目するポイントは、「相関係数」という指標です。

これは2つの金融資産の値動きに、どの程度の連動性があるかを示すもので、
係数はプラス1~マイナス1の範囲で表されます。

相関係数がプラスの場合、プラス1に近いほど連動性が強くなる、
つまりは2つの金融資産の値動きが似てくることを意味します。

相関関係がマイナスの場合、マイナス1に近いほど連動性が弱くなる、
つまりは2つの金融資産の値動きが逆向きになることを意味します。

日本株、日本債券、外国株、外国債券という代表的な4つの金融資産の
相関係数は、以下のとおりです。

日本株:日本債券  -0.158
日本株:外国株   +0.643
日本株:外国債券  +0.060
●日本債券:外国株  +0.105
●日本債券:外国債券 +0.290
●外国株:外国債券  +0.585

これは日本の公的年金を運用するGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)が、
2020年4月1日から新たに採用したポートフォリオ(資産配分比率)の策定に
あたって活用したデータです。

一見して気づくのは、日本株と外国株および、外国株と外国債券の連動性が
高いことです。

代表的な4つの金融資産から2つだけを選んで分散投資する場合、
日本株+外国株」と「外国株+外国債券」の組み合わせは、他の組み合わせに
比べると、値動きを安定させる効果(リスク低減効果)が薄いと考えられます。


資産分散の王道といわれるのが、「国際分散投資という考え方です。

これは代表的な4つの金融資産に、それぞれ投資資金を25%ずつ、
均等に配分するという方法。

あるデータによると、4つの金融資産へ均等に分散投資をおこなったとして、
1970年から2020年までの「1年ごと(年初~年末)の投資成績」を調べてみると、
51年間のうち15年間はマイナスになっていました。

しかし投資期間を10年間でみると、「1970年(1月)~79年(12月末)」の
10年間に始まって、「2011年(1月)~20年(12月末)」の10年間まで、
全部で42回あったどの10年間をとっても、「10年間の投資成績」はすべて
プラスになっています。

これがいわゆる、長期投資に分散投資が加わった際のリスク低減効果です。


ちなみに前述したGPIFでは、たとえば2014年10月から20年3月までは
日本株25%、日本債券35%、外国株25%、外国債券15%」という
資産配分を採用していましたが、20年4月1日からは「4つの金融資産
それぞれに25%ずつ」という資産配分に変えています。

最近では外国株を「先進国株」と「新興国株」に、外国債券を「先進国債券」と
新興国債券」に分類して、全部で6つの金融資産に分散するという考え方も
あるようですが、そこまで徹底した資産分散を検討するのはある程度、
投資に慣れ親しんでからでも十分だと思います。

また、REITや金などへの分散は、国際分散投資に加えて、さらに細かく
独自の資産分散をおこないたい人向けのものと考えていいでしょう。

 

「書痙」のようなもの vol.2

他人を一刀両断にしてきた因果応報

 

「書痙」のようなものが発症して以来、仕事でもプライベートでも、
トラウマになるような場面は何度もありました。

・受付で手が震える
・プレゼンで声が出なくなる
・取材や打ち合わせの最中に汗がどっと噴き出し、同席していた同僚から心配される
・お通夜の記帳で列に並んでいるときから足が震え出す
・ちょっと混み合ったエレベーターに乗っただけで、身体がフワフワして
 落ち着かなくなる

などなど。

しかし、なかでもいちばん困ったのは、自分の症状や、それが自分をどれほど
疲弊させるかについて、周囲に理解してもらうのが難しいという現実でした。

当時の私は30歳代半ばだったので、まだ周囲に対して深刻さを悟られたくないという
格好つけの部分があり、症状の簡単な説明はしていたものの、「~できない」という
意思表示はほとんどしていませんでした。

そのせいか、いまから思えば過酷な仕事を、会社から何度も頼まれることになります。

金融関連雑誌の編集長という立場で、あるときは3日連続で講演をおこない、
ある年にはケーブルテレビにコメンテーターとして16回出演しました。


これはたぶん「因果応報」だろうと、私はすぐにピンときました。

症状が出るまでの私は、たとえば大勢の人を前にして話すことが苦手な人や、
公の場に出るとモジモジしてしまう人、他人と話すときに大きくはっきりとした
声が出せない人などを、「気合いが足りないだけだ」と一刀両断にしていたのです。

自分の症状についても、最初は単なる気持ちの問題だと思っていましたが、
どうもそれだけでは済まないらしいと気づいたとき、「過去の自分がどれほど
他人のことを解っていなかったか」を痛感しました。

それと同時に、自分のことをいちばんよく理解してくれていると信じていた
当時の彼女にも、私が抱えている事の深刻さが伝わらないと判明したとき、
「他人は自分のことを解らない」という事実についても、改めて痛感したのです。

 

考えてみれば、当たり前のことです。

人と人が接するとき、そこでは4つのイメージが交錯します。

①自分がイメージしている自分(私がイメージしている私)
②自分がイメージしている相手(私がイメージしているあなた)
③相手がイメージしている相手(あなたがイメージしているあなた)
④相手がイメージしている自分(あなたがイメージしている私)

このうち、自分が理解できるのは①と②だけであり、③と④については
相手の頭の中にあるものなので、正確なところは永遠に分かりません。

この構図は、相手にとってもまったく同様です。

相手のことをより正確に理解しようと思ったら、②と③のすり合わせを
丁寧にやるしかないし、自分のことをより正確に理解してもらおうと思ったら、
①と④のすり合わせを丁寧にやるしかありません。

でも、たいていの場合、人はそれをやらない、あるいは徹底的にやれないのです。

編集者やライターというのはある意味で、上記の②と③や①と④のすり合わせを
強引にやる仕事なのだと思います。

取材では1時間とか2時間とか、決められた時間内で初対面の人と、ある程度は
打ち解ける必要に迫られます。

全面的には無理だとしても、相手が少しは自分のことを信頼してくれなければ、
本音に近い話が引き出せないからです。

できるかぎり相手を知り、自分を知ってもらう--。
そのためには、たとえ滑稽に見えようとも、パフォーマンスも厭わない--。

仕事柄、そういう訓練を受けていた私は、相手のことを理解する能力が自分には
備わりつつあるのだと、内心では思っていました。

ところが、それはしょせん、仕事上の幻想に過ぎなかったのかもしれません。

プライベートも含めて自分の思考や感情を振り返ったとき、
他人のことをきちんと理解しようとする気持ちさえなかったことを、
私は書痙のようなものによって知らされることとなったわけです。

 

「~できない」ことを理解させるシグナル


編集者をやめた私は、字を書かなくて済むことと、何らかのリハビリに
なるのではという期待感から、身体を動かす仕事として清掃のアルバイトを
始めました。

最初に勤務した新宿・歌舞伎町のラブホテルで、同僚だった10歳ほど
年下の男性からパチスロの魅力を教えられました。

それまで麻雀、競馬、パチンコは嫌というほどやってきたものの、
私にとってパチスロは初めての種目です。

39歳にしてパチスロの魅力にはまった私は、編集者の仕事ができなくなって
心にポッカリと開いた穴を埋めるかのごとく、その道にのめりこみました。

家にあった本とCDをほとんど売り、持っていた株式と投資信託をすべて換金し、
友人・知人から金を借りまくり、クレジットカード2枚、サラ金4社を使って
資金を集め、ほぼ2年間にわたってパチスロに熱中し続けました。

最後は自殺を図ったものの未遂に終わり、それによってようやく自己破産と、
大阪の実家に戻る覚悟が決まりました。

 

「それで、いまのお前はどうなんだ?」と、私はよく自問自答します。

自己破産から14年が経ちましたが、昔ほどではないにしろ、相変わらず借金で
食いつなぐような生活を続け、人間としての性質は何ら変わっていないようにも
思えます。

東京時代の友人・知人とはほぼ縁が切れ、自分の症状について誰かに
話をすることも、その感想を聞くことも、いまではほとんどなくなりました。

現実的には以前からそうだったのでしょうが、いま私は自分の症状と、
自分ひとりで向き合っているという感覚を強くもっています。


他人の気持ちが少しは分かるようになったのかといえば、そうとも
言い切れない気がします。

むしろ前述したように、境遇や性質の異なる他人のことは理解できないし、
境遇や性質の異なる他人は自分を理解できないということが、身に染みて
解ったという感じでしょうか。

もしかしたら、この症状は私に「~できない」ということを理解させ、
実感させるために表れてきたのかもしれません。

なにも、そんなに否定形のシグナルばかり、いつまでも送り続けなくて
いいものを、と思うのですが。

 

長期投資の効果

短期の「当たり外れ」は意外と大きい

 

日経平均株価を10年間で区切って見てみると、面白いことが分かります。

まず、2010年末~20年末の10年間について。

日経平均株価は2010年末が10228円92銭で、20年末には27444円17銭でした。

私たちがこの10年間ずっと日経平均株価に投資していたと仮定すると、
投資成績は単純計算でプラス168%となります。

その期間中、どこかの1年間だけに私たちが投資したと仮定した場合、
投資成績がマイナスになったのは以下の2ケースだけです。

●2010年末~11年末(マイナス17%)
●17年末~18年末(マイナス12%)

なお、投資成績が最も高かったのは12年末~13年末のプラス56%なので、
1年間だけの投資成績について最高値と最低値を比較すると、73%分の
差が出ることになります。

2012年末から始まった、いわゆるアベノミクス相場のおかげで、この10年間の
日経平均株価はおおむね上昇傾向が続いたのですが、それでも1年単位でみれば
「当たり外れ」はあったわけです。

それでは次に時期を5年間ずらして、2005年末~15年末の10年間を見てみます。

2005年末が16111円43銭で、15年末には19033円71銭だったので、
10年間ずっと投資し続けた場合の投資成績はプラス18%です。

どこかの1年間だけ投資した場合の投資成績は、以下のとおりです。

●2005年末~06年末 プラス6%
●06年末~07年末  マイナス11%
●07年末~08年末  マイナス42%
●08年末~09年末  プラス19%
●09年末~10年末  マイナス3%
●10年末~11年末  マイナス17%
●11年末~12年末  プラス22%
●12年末~13年末  プラス56%
●13年末~14年末  プラス7%
●14年末~15年末  プラス9%

1年間だけの投資成績について、最高値だった「プラス56%」と最低値だった
「マイナス42%」を比較すると、98%分の差が出ることになります。
やはり1年単位の「当たり外れ」は意外と大きいことが分かります。

こうした「当たり外れ」は、日経平均株価の「ぶれ」や「変動」と言ってもいいし、
リターンが大小にぶれるという意味で「リスク」と呼んでもいいでしょう。

株式や投資信託など値動きのある金融商品は、1年程度の短期でみるとリターンが
大小にぶれやすい性質をもっています。

野菜の栽培にたとえると、豊作の年もあれば、凶作の年もあるということです。

ところが10年間、20年間と投資期間が長くなるにつれて、リターンのぶれ幅は
小さくなっていくことが統計的に立証されています。

それが長期投資の効果といわれるものです。

ただし、ぶれ幅が小さくなることは確かでも、長期投資をやれば必ず投資成績が
プラスになるわけではありません。

たとえば上記の時期をさらに5年間ずらして、2000年末~10年末の10年間を
見てみると、10年間ずっと投資し続けたとしても投資成績はマイナス25%です。


日本の株式などに単独で投資する場合には、景気の強弱や為替の動きなど、
日本の株式に影響を与えるさまざまな要因によって、10年程度の長期投資でも
十分に効果が得られないことがあります。

長期投資が本当に効いてくるのは、実はそこに「分散投資」や「時間分散」といった、
さらなる投資の工夫が加わったときなのです。

 

値動きの性質が異なるものの組み合わせ

 

古い話になりますが、一例として1929年に始まった世界大恐慌と、それ以降の
米国株式について簡単に紹介します。

米国の代表的な株価指数である「S&P500」は、世界大恐慌の影響を受けて、
1929年8月の高値から最大で9割近い下落を記録し、元値を回復するのに
25年という年月がかかりました。

このデータは「配当なし」の指数でみた場合ですが、「配当込み」の指数でみても
元値の回復には15年5カ月がかかっています()。

※「配当込み」だと元値の回復が早くなるのは、株価指数を構成する銘柄から得られる配当が積み重なり、
投資元本が大きくなることで、いざ株価が上昇を始めたときに
獲得リターンが増大して、投資成績の
回復スピードが加速されるからです。


投資対象を株式と債券に分散して、なおかつ積み立てによる時間分散もおこなうと、
投資成績の回復は目に見えて早まります。

1929年8月から米国株式(配当込み)と米国債券に50%ずつ、毎月一定額を
積み立てたと仮定すると、3年9カ月後の33年5月には投資成績がプラスに
転じていました。

大恐慌当時と比べると、今日では債券をとりまく環境が大きく異なるため、
今後も同じような分散投資の効果が得られるかどうかは不明です。

ただ、いずれにしても、株式とは値動きの性質が異なる他の金融商品にも同時に
投資することで、株式だけに単独投資をする場合よりも、投資している資産全体の
リターンのぶれを小さく抑える効果が期待できます。

 

投資のリスクとリターン

リターンは何から「ぶれる」のか?

 

投資とは極端にいえば、「結果として出てくる数字がすべて」という世界です。

なぜ、その数字が出ることになったのかについては、人間の心理状態や
社会情勢などをからめて、さまざまに解釈することが可能です。

でも、投資の世界で最も重視されるのは、あくまでも数学的な観点からみた
「理論的な解釈」なのです。

そのため、投資の世界で使われる言葉の意味は、私たちが日常的に使っている
言葉の意味とは、ずいぶんと異なってきます。

たとえその言葉が、私たちが日常的に使っている言葉と同じだったとしても、です。

まず、「リスク」という言葉。

私たちの日常生活では、リスクは「危険」とか「損害を受ける可能性」などの
意味で用いられます。

これをそのまま投資にあてはめれば、「リスク=結果として損失を被ること」です。

要するに、100万円で購入した金融商品が、換金したときには80万円にしか
ならなかった、というような意味です。

ところが投資のリスクは、「将来的に得られるリターンが大小にぶれること、
あるいはそのぶれ幅」という意味で用いられます。

いま、あえて「リターン」という言葉を使いました。

ここには「利益」や「収益」を使っても差し支えないのですが、より正確を
期すならば、やはり「リターン」を使うべきでしょう。


私たちの日常的な感覚では、リターンは「利益」や「報酬」などの意味になります。

ところが投資のリターンは、「投資の結果として生じる損益」を意味します。

「マイナスのリターン」という使い方があるように、投資の世界では結果として
利益を得ても損失を被っても、同じくリターンとみなすわけです。


まとめると、以下のようになります。

●投資の世界では、投資の結果として生じる損益を「リターン」と呼ぶ。

●将来的にリターンが大小にぶれること、あるいはそのぶれ幅を「リスク」と呼ぶ。

ここで注目したいのは、リスクがリターンの「振れ幅」ではなく、
「ぶれ幅」だということです。

ぶれ幅というからには、何から「ぶれる」のか、その基準になるものが
存在するはずです。

結論からいうと、その基準とは「予想されるリターンの平均値」です。

 

標準偏差でリターンの「ぶれ具合」を示す

 

ここからかなり、ややこしい話になります。

投資の世界ではまず、過去の値動きなどの統計データから、
「〇年間という一定の期間中に得られたリターンの平均値」を割り出し、
それをもとに「〇年後の将来に予想されるリターンの平均値」を定めます(1)。

次に、過去に記録された実際のリターンが、統計的なリターンの平均値から見て、
どれぐらい「ぶれていたか」を検証し、その「ぶれ幅」についても平均値を求めます。
それを標準偏差で示したものが、投資のリスクにあたります(2)。

たとえば証券会社が、金融商品のリスクとリターンを顧客に説明する場合、
リスクについては上記の(2)を、リターンについては上記の(1)を、
それぞれ使って話をすることになるわけです。

具体的には、投資のリスク(標準偏差)とリターン(平均値)の数値を用いて、
将来的なリターンがどのような範囲内に、どのような確率で収まるかという
「リターンの確率分布」を求めることができます。

ある金融商品で1年後に予想される平均リターンがプラス10%で、
標準偏差が10だとします。

その場合、1年後に得られるリターンの確率分布は、以下のようになります。

●リターンが+20%~0%の範囲に収まる確率は68.3%
●リターンが+30%~-10%の範囲に収まる確率は95.5%
●リターンが+40%~-20%の範囲に収まる確率は99.7%

これはリターンのぶれ幅の大きさと、それが現実に起こる確率を段階的に
示しているわけですが、こんな風に数字を並べて見せられても、何のことだか
イメージしづらいと思います。

そこで、数字からはしばらく離れて、リスクとリターンの話を「野菜の収穫」に、
たとえてみることにします。

ある農家が親子代々、過去50年にわたって野菜をつくってきたとしましょう。

50年も続けていれば、たとえば「きゅうり」が平均して毎年どれぐらい
収穫できるのか、つまりは収穫量の平均値をデータとして割り出すことが
できるはずです。

その平均値をもとに、来年のきゅうりの収穫量についても、だいたいの目星を
つけることができます。

きゅうりの収穫量をリターンと定義するならば、来年に予想されるリターンの
平均値について、農家は事前に把握することができるわけです。


しかし、年によっては思いがけず雨が少なかったり、病害虫が大量に発生したり、
巨大台風の被害に遭ったり、さまざまな要因で収穫量が例年を下回ることもあります。

反対に、思いがけず収穫量が例年を大きく上回ることもあります。

※現実の農業では、作物が穫れすぎて値崩れを起こしてしまう「豊作貧乏」という言葉もあるように、
 収穫量の増減がそのまま農業におけるリターンの増減につながるわけではありませんが、ここでは
 話を分かりやすくするために、あえて収穫量=リターンとしています。

収穫量が例年を上回ったり下回ったりする、つまりはリターンが平均値からぶれる、
そのぶれ幅についても、過去50年間のデータからさまざまなことが分かるはずです。

1年間で収穫量が最大どれぐらい平均値から上下にぶれる場合があるのか、
それを10年間とか20年間ぐらいの期間でみると、その期間中の合計収穫量は
おおむね平均値に近づいていくのか--などなど。

〇年間におけるきゅうりの収穫量が平均値からぶれる、その「ぶれ具合」が、
きゅうりの収穫量に関するリスクとなるわけです。

 

「書痙」のようなもの vol.1

足から手へ、震え始めて23年

 

他人についてよく解らないというのは、まあ当たり前のことですが、
自分のことがよく解らないというのは、いったい何なのでしょうか。

なかでも、いちばん解らないのが、自分の身体と心の関係についてです。


1998年の1月だったと思います。

朝の通勤電車のなかで、両足が突然、ぷるぷると震え始めました。
続いて、動悸が激しくなり、さらに大量の汗が噴き出してきました。

当時、私が通勤に使っていた西武新宿線は、東京の私鉄としてはラッシュ時の
混雑がゆるい方でしたが、それでも、その日に乗った準急は十分に満員でした。

私は普通に立っていられなくなり、まわりへの迷惑を承知で、つり革に向かって
ごそごそと動きました。

両手でつり革につかまって3分ほどで、足の震えと動悸はなんとか治まりましたが、
冷や汗のような気持ちの悪い汗は、しばらく流れ続けました。


これが、すべての始まりでした。

この年に同じようなことが3回ほどあって、私は満員電車にいっさい
乗れなくなりました。

正確にいうと、つり革につかまれば何とかなるのですが、それでも身体が
自分のものではないようにフワフワして落ち着かず、不快な状態が続くので、
満員電車にはいっさい乗らないようにしようと決めたのです。

最初はパニック障害を疑いましたが、満員電車でなければ、そのような
症状は起こらなかったので、まわりに人がたくさんいることが原因の、
閉所恐怖症の一種なのかなとも思いました。

翌99年の1月には、友人の結婚式で記帳する際に、手がぶるぶると
震え始めました。

その頃の私は、金融関連の雑誌で編集長をやっていて、しょっちゅう金融機関へ
取材に出かけていたのですが、この年からは取材の現場でも手が震え始めました。

取材先によっては受付で記帳を求められることがありますが、もちろんそこでも
手が震えるため、受付の女性に変な目で見られないかと、いつも冷や冷やでした。

取材相手や受付がひとりしかいない場合でも、この症状は出たので、少なくとも
閉所恐怖症の線は消えました。

他人と接したり、他人から見られることに対して、心が何らかの拒否反応を起こし、
それが身体に表れてきているのかもしれない、というのが当時の私の解釈でした。

やがて、この症状はプライベートでも頻繁に出てくるようになりました。

結婚式やお通夜での記帳はもちろん、ホテルや旅館に宿泊する際の
フロントでの記帳も、ほとんどの場合、まともにはできなくなりました。

最初に症状が出た98年から数えて、今年で23年が経ちましたが、
いまだに完治はしていません。

最近は、自分の部屋で手帳にメモを書くときでさえ、ペンが思うように
動いてくれなくて苦労することがあります。

たとえば漢字を書く際に、左から右へ直線を引こうとすると、手が震えて
直線が曲がったり、あらぬ方向へ行ってしまったりしがちです。

そこで、わざと右から左へ向けて直線を引くようにすると比較的、
落ち着いて漢字が書けるときがあります。

ただ、これまで慣れ親しんだ書き順の逆をやることになるので、
文字をきれいに書くためには、すごく長い時間がかかります。


まわりに誰もいない状態で文字を書く際にも、手の自由が利かないということは、
この症状は以前に考えていたような、他人との接触が関係しているものではない、
ということになります。

ますますもって不可解で、自分の身体と心についての謎は深まるばかりです。

 

脳からの指令がアンバランス?


この症状が出てから、私は3人の医者を訪ねました。

最初は99年頃のことで、いわゆるストレス・マネジメントで有名な病院でした。

私が症状について説明すると、それは「書痙(しょけい)」だと診断され、
「仕事を続けながら治す」か、それとも「仕事を離れて治す」かと聞かれました。

私が「仕事を続けながら治す」と答えると、まずは「森田療法」と「行動療法」に
関する書籍を読んで、自分に合うと思える療法を選ぶように言われました。

森田療法は簡単にいうと「現在の自分の状態を受け容れる」ことを重視するものです。

私は「それができるんだったら治療など受けない」と思い、すぐに却下しました。

行動療法については、書籍を読んでも何をやるのかピンと来ず、結局このときは
治療を受けるのをやめてしまいました。


2人目は、それからかなり時間がたった2006年のことで、ふつうの診療内科でした。

ここではパニック障害と診断され、薬を処方されましたが、私の症状を
パターンにはめ込んで診断しただけで、症状の原因を探ろうというような意思が
見えなかったので、3カ月ほどで通院をやめました。


3人目は翌07年のことで、内科が「診療内科的なこともやっている」という、
何とも不思議な開業医でした。

私の話を熱心に聞いてはくれたのですが、やはり症状の原因を探ろうという
意思はそれほど見えず、私が「社会適応障害あたりでしょうか」と尋ねると、
「そうかもしれないね」という答えでした。

私は自分の症状について、98年の発症当時にやっていた編集者の仕事が、
何らかのかたちで原因になっていると、いまでも感じています。

私は医者が編集者の仕事内容について、あれこれ聞いてくれるはずだと思い、
そのやり取りのなかで原因がつかめるのではないかと勝手に期待していました。

そして、どの医者もそうしないことに落胆していたのです。

でも、よくよく考えてみると、医者は編集者という仕事がどういうものなのか、
ほとんど分からないはずなので、原因を探るといっても限界があるのは当然です。

ただ、3人目の医者から聞いた次のような言葉は、けっこう私のなかで
腑に落ちています。

あなたが右手で文字を書こうとするとき、脳からは右手を動かせという
指令と同時に、右手を止めろという指令も出ている。

なぜなら、動かせという指令だけだと、右手が勝手にどこまでも動いてしまい、
文字にならないからだ。

恐らくあなたの場合、右手を止めろという指令が強く出すぎていて、それでも
無理に動かそうとするから手が震えるのではないか--。


この見立てを信じるならば、やはり私の症状は「書痙」という診断が
最も近いように思います。

書痙については、たとえば以下のような医学的な説明があります。


字を書こうとするとき、または字を書いている最中に、前腕の緊張が強くなり、
手が震え、字を書くことが困難となる書字障害のこと。

無意識に筋肉がこわばってしまう「ジストニア」の局所型の一種で、その原因は
脳からの指令の異常にある。

これには別件で、思い当たるふしがあります。


編集者時代、ある時点から「よろしくお願いします」という言葉がスムーズに
言えなくなりました。

「よろしく」や「お願いします」という言葉だけなら、ふつうに言えるのですが、
両者が合わさって「よろしくお願いします」になると、なぜかダメなのです。

恐らく脳のなかでは、「よろしく」と発音している段階で、次の「お願いします」を
発音せよという指令が出始めているのではないでしょうか。

実際には「よろしく」という発音が終わるまで、「お願いします」という発音は
待たなければならないので、脳のなかでは同時に「待て」の指令も出ているはずです。

かつての私は2つの指令のバランスが悪かったため、こんな単純な言葉の連結さえ、
簡単には行かなかったのだと思います。

本当に「書痙」なのかどうか、実際のところは定かではありませんが、
この症状が治らないために、私はこれまで仕事上で大きな制約を受けたり、
自暴自棄になって、とんでもない事態に陥ったりしてきました。

失ったものがたくさんある一方で、もしかしたらこの症状が治らないがゆえに、
得られたものや気付かされたこともあるような気がしています。

症状はまだ現在進行形であり、その原因が解らないことはもちろん、
自分にとって症状がどんな意味を持つものなのかもよく解りません。

だからこそ今後も折に触れて、この話はしていきたいと思います。