解✦談

解りやすく、解きほぐします。

「書痙」のようなもの vol.1

足から手へ、震え始めて23年

 

他人についてよく解らないというのは、まあ当たり前のことですが、
自分のことがよく解らないというのは、いったい何なのでしょうか。

なかでも、いちばん解らないのが、自分の身体と心の関係についてです。


1998年の1月だったと思います。

朝の通勤電車のなかで、両足が突然、ぷるぷると震え始めました。
続いて、動悸が激しくなり、さらに大量の汗が噴き出してきました。

当時、私が通勤に使っていた西武新宿線は、東京の私鉄としてはラッシュ時の
混雑がゆるい方でしたが、それでも、その日に乗った準急は十分に満員でした。

私は普通に立っていられなくなり、まわりへの迷惑を承知で、つり革に向かって
ごそごそと動きました。

両手でつり革につかまって3分ほどで、足の震えと動悸はなんとか治まりましたが、
冷や汗のような気持ちの悪い汗は、しばらく流れ続けました。


これが、すべての始まりでした。

この年に同じようなことが3回ほどあって、私は満員電車にいっさい
乗れなくなりました。

正確にいうと、つり革につかまれば何とかなるのですが、それでも身体が
自分のものではないようにフワフワして落ち着かず、不快な状態が続くので、
満員電車にはいっさい乗らないようにしようと決めたのです。

最初はパニック障害を疑いましたが、満員電車でなければ、そのような
症状は起こらなかったので、まわりに人がたくさんいることが原因の、
閉所恐怖症の一種なのかなとも思いました。

翌99年の1月には、友人の結婚式で記帳する際に、手がぶるぶると
震え始めました。

その頃の私は、金融関連の雑誌で編集長をやっていて、しょっちゅう金融機関へ
取材に出かけていたのですが、この年からは取材の現場でも手が震え始めました。

取材先によっては受付で記帳を求められることがありますが、もちろんそこでも
手が震えるため、受付の女性に変な目で見られないかと、いつも冷や冷やでした。

取材相手や受付がひとりしかいない場合でも、この症状は出たので、少なくとも
閉所恐怖症の線は消えました。

他人と接したり、他人から見られることに対して、心が何らかの拒否反応を起こし、
それが身体に表れてきているのかもしれない、というのが当時の私の解釈でした。

やがて、この症状はプライベートでも頻繁に出てくるようになりました。

結婚式やお通夜での記帳はもちろん、ホテルや旅館に宿泊する際の
フロントでの記帳も、ほとんどの場合、まともにはできなくなりました。

最初に症状が出た98年から数えて、今年で23年が経ちましたが、
いまだに完治はしていません。

最近は、自分の部屋で手帳にメモを書くときでさえ、ペンが思うように
動いてくれなくて苦労することがあります。

たとえば漢字を書く際に、左から右へ直線を引こうとすると、手が震えて
直線が曲がったり、あらぬ方向へ行ってしまったりしがちです。

そこで、わざと右から左へ向けて直線を引くようにすると比較的、
落ち着いて漢字が書けるときがあります。

ただ、これまで慣れ親しんだ書き順の逆をやることになるので、
文字をきれいに書くためには、すごく長い時間がかかります。


まわりに誰もいない状態で文字を書く際にも、手の自由が利かないということは、
この症状は以前に考えていたような、他人との接触が関係しているものではない、
ということになります。

ますますもって不可解で、自分の身体と心についての謎は深まるばかりです。

 

脳からの指令がアンバランス?


この症状が出てから、私は3人の医者を訪ねました。

最初は99年頃のことで、いわゆるストレス・マネジメントで有名な病院でした。

私が症状について説明すると、それは「書痙(しょけい)」だと診断され、
「仕事を続けながら治す」か、それとも「仕事を離れて治す」かと聞かれました。

私が「仕事を続けながら治す」と答えると、まずは「森田療法」と「行動療法」に
関する書籍を読んで、自分に合うと思える療法を選ぶように言われました。

森田療法は簡単にいうと「現在の自分の状態を受け容れる」ことを重視するものです。

私は「それができるんだったら治療など受けない」と思い、すぐに却下しました。

行動療法については、書籍を読んでも何をやるのかピンと来ず、結局このときは
治療を受けるのをやめてしまいました。


2人目は、それからかなり時間がたった2006年のことで、ふつうの診療内科でした。

ここではパニック障害と診断され、薬を処方されましたが、私の症状を
パターンにはめ込んで診断しただけで、症状の原因を探ろうというような意思が
見えなかったので、3カ月ほどで通院をやめました。


3人目は翌07年のことで、内科が「診療内科的なこともやっている」という、
何とも不思議な開業医でした。

私の話を熱心に聞いてはくれたのですが、やはり症状の原因を探ろうという
意思はそれほど見えず、私が「社会適応障害あたりでしょうか」と尋ねると、
「そうかもしれないね」という答えでした。

私は自分の症状について、98年の発症当時にやっていた編集者の仕事が、
何らかのかたちで原因になっていると、いまでも感じています。

私は医者が編集者の仕事内容について、あれこれ聞いてくれるはずだと思い、
そのやり取りのなかで原因がつかめるのではないかと勝手に期待していました。

そして、どの医者もそうしないことに落胆していたのです。

でも、よくよく考えてみると、医者は編集者という仕事がどういうものなのか、
ほとんど分からないはずなので、原因を探るといっても限界があるのは当然です。

ただ、3人目の医者から聞いた次のような言葉は、けっこう私のなかで
腑に落ちています。

あなたが右手で文字を書こうとするとき、脳からは右手を動かせという
指令と同時に、右手を止めろという指令も出ている。

なぜなら、動かせという指令だけだと、右手が勝手にどこまでも動いてしまい、
文字にならないからだ。

恐らくあなたの場合、右手を止めろという指令が強く出すぎていて、それでも
無理に動かそうとするから手が震えるのではないか--。


この見立てを信じるならば、やはり私の症状は「書痙」という診断が
最も近いように思います。

書痙については、たとえば以下のような医学的な説明があります。


字を書こうとするとき、または字を書いている最中に、前腕の緊張が強くなり、
手が震え、字を書くことが困難となる書字障害のこと。

無意識に筋肉がこわばってしまう「ジストニア」の局所型の一種で、その原因は
脳からの指令の異常にある。

これには別件で、思い当たるふしがあります。


編集者時代、ある時点から「よろしくお願いします」という言葉がスムーズに
言えなくなりました。

「よろしく」や「お願いします」という言葉だけなら、ふつうに言えるのですが、
両者が合わさって「よろしくお願いします」になると、なぜかダメなのです。

恐らく脳のなかでは、「よろしく」と発音している段階で、次の「お願いします」を
発音せよという指令が出始めているのではないでしょうか。

実際には「よろしく」という発音が終わるまで、「お願いします」という発音は
待たなければならないので、脳のなかでは同時に「待て」の指令も出ているはずです。

かつての私は2つの指令のバランスが悪かったため、こんな単純な言葉の連結さえ、
簡単には行かなかったのだと思います。

本当に「書痙」なのかどうか、実際のところは定かではありませんが、
この症状が治らないために、私はこれまで仕事上で大きな制約を受けたり、
自暴自棄になって、とんでもない事態に陥ったりしてきました。

失ったものがたくさんある一方で、もしかしたらこの症状が治らないがゆえに、
得られたものや気付かされたこともあるような気がしています。

症状はまだ現在進行形であり、その原因が解らないことはもちろん、
自分にとって症状がどんな意味を持つものなのかもよく解りません。

だからこそ今後も折に触れて、この話はしていきたいと思います。