解✦談

解りやすく、解きほぐします。

「書痙」のようなもの vol.2

他人を一刀両断にしてきた因果応報

 

「書痙」のようなものが発症して以来、仕事でもプライベートでも、
トラウマになるような場面は何度もありました。

・受付で手が震える
・プレゼンで声が出なくなる
・取材や打ち合わせの最中に汗がどっと噴き出し、同席していた同僚から心配される
・お通夜の記帳で列に並んでいるときから足が震え出す
・ちょっと混み合ったエレベーターに乗っただけで、身体がフワフワして
 落ち着かなくなる

などなど。

しかし、なかでもいちばん困ったのは、自分の症状や、それが自分をどれほど
疲弊させるかについて、周囲に理解してもらうのが難しいという現実でした。

当時の私は30歳代半ばだったので、まだ周囲に対して深刻さを悟られたくないという
格好つけの部分があり、症状の簡単な説明はしていたものの、「~できない」という
意思表示はほとんどしていませんでした。

そのせいか、いまから思えば過酷な仕事を、会社から何度も頼まれることになります。

金融関連雑誌の編集長という立場で、あるときは3日連続で講演をおこない、
ある年にはケーブルテレビにコメンテーターとして16回出演しました。


これはたぶん「因果応報」だろうと、私はすぐにピンときました。

症状が出るまでの私は、たとえば大勢の人を前にして話すことが苦手な人や、
公の場に出るとモジモジしてしまう人、他人と話すときに大きくはっきりとした
声が出せない人などを、「気合いが足りないだけだ」と一刀両断にしていたのです。

自分の症状についても、最初は単なる気持ちの問題だと思っていましたが、
どうもそれだけでは済まないらしいと気づいたとき、「過去の自分がどれほど
他人のことを解っていなかったか」を痛感しました。

それと同時に、自分のことをいちばんよく理解してくれていると信じていた
当時の彼女にも、私が抱えている事の深刻さが伝わらないと判明したとき、
「他人は自分のことを解らない」という事実についても、改めて痛感したのです。

 

考えてみれば、当たり前のことです。

人と人が接するとき、そこでは4つのイメージが交錯します。

①自分がイメージしている自分(私がイメージしている私)
②自分がイメージしている相手(私がイメージしているあなた)
③相手がイメージしている相手(あなたがイメージしているあなた)
④相手がイメージしている自分(あなたがイメージしている私)

このうち、自分が理解できるのは①と②だけであり、③と④については
相手の頭の中にあるものなので、正確なところは永遠に分かりません。

この構図は、相手にとってもまったく同様です。

相手のことをより正確に理解しようと思ったら、②と③のすり合わせを
丁寧にやるしかないし、自分のことをより正確に理解してもらおうと思ったら、
①と④のすり合わせを丁寧にやるしかありません。

でも、たいていの場合、人はそれをやらない、あるいは徹底的にやれないのです。

編集者やライターというのはある意味で、上記の②と③や①と④のすり合わせを
強引にやる仕事なのだと思います。

取材では1時間とか2時間とか、決められた時間内で初対面の人と、ある程度は
打ち解ける必要に迫られます。

全面的には無理だとしても、相手が少しは自分のことを信頼してくれなければ、
本音に近い話が引き出せないからです。

できるかぎり相手を知り、自分を知ってもらう--。
そのためには、たとえ滑稽に見えようとも、パフォーマンスも厭わない--。

仕事柄、そういう訓練を受けていた私は、相手のことを理解する能力が自分には
備わりつつあるのだと、内心では思っていました。

ところが、それはしょせん、仕事上の幻想に過ぎなかったのかもしれません。

プライベートも含めて自分の思考や感情を振り返ったとき、
他人のことをきちんと理解しようとする気持ちさえなかったことを、
私は書痙のようなものによって知らされることとなったわけです。

 

「~できない」ことを理解させるシグナル


編集者をやめた私は、字を書かなくて済むことと、何らかのリハビリに
なるのではという期待感から、身体を動かす仕事として清掃のアルバイトを
始めました。

最初に勤務した新宿・歌舞伎町のラブホテルで、同僚だった10歳ほど
年下の男性からパチスロの魅力を教えられました。

それまで麻雀、競馬、パチンコは嫌というほどやってきたものの、
私にとってパチスロは初めての種目です。

39歳にしてパチスロの魅力にはまった私は、編集者の仕事ができなくなって
心にポッカリと開いた穴を埋めるかのごとく、その道にのめりこみました。

家にあった本とCDをほとんど売り、持っていた株式と投資信託をすべて換金し、
友人・知人から金を借りまくり、クレジットカード2枚、サラ金4社を使って
資金を集め、ほぼ2年間にわたってパチスロに熱中し続けました。

最後は自殺を図ったものの未遂に終わり、それによってようやく自己破産と、
大阪の実家に戻る覚悟が決まりました。

 

「それで、いまのお前はどうなんだ?」と、私はよく自問自答します。

自己破産から14年が経ちましたが、昔ほどではないにしろ、相変わらず借金で
食いつなぐような生活を続け、人間としての性質は何ら変わっていないようにも
思えます。

東京時代の友人・知人とはほぼ縁が切れ、自分の症状について誰かに
話をすることも、その感想を聞くことも、いまではほとんどなくなりました。

現実的には以前からそうだったのでしょうが、いま私は自分の症状と、
自分ひとりで向き合っているという感覚を強くもっています。


他人の気持ちが少しは分かるようになったのかといえば、そうとも
言い切れない気がします。

むしろ前述したように、境遇や性質の異なる他人のことは理解できないし、
境遇や性質の異なる他人は自分を理解できないということが、身に染みて
解ったという感じでしょうか。

もしかしたら、この症状は私に「~できない」ということを理解させ、
実感させるために表れてきたのかもしれません。

なにも、そんなに否定形のシグナルばかり、いつまでも送り続けなくて
いいものを、と思うのですが。