解✦談

解りやすく、解きほぐします。

心をつなぐ心霊・怪奇現象

胡散臭いけど、いつも身近にあった

 

むかしから心霊現象や怪奇現象は好きな方です。

私だけでなく、私の世代の多くは好きだったように思います。

小学生時代には、つのだじろう『亡霊学級』『恐怖新聞』『うしろの百太郎』、
古賀新一エコエコアザラク』、楳図かずお漂流教室といった
心霊・怪奇コミックスが、教室で貸し借りされ、みんなで読みあさっていました。

男女10人ぐらいの同級生で「心霊研究会」をつくったこともあります。

教室や、あるときは私の家に集まって怪談話をしたり、こっくりさん
「キューピットさん」をやっていました。

家には不幸の手紙が届き、ヤマギシやら口裂け女やら、
訳の分からない化け物のウワサが絶えませんでした。

稲川淳二が注目を浴びたのは、私が高校3年のときだったと思います。

深夜ラジオの『坂崎幸之助オールナイトニッポン』にゲストで出演した
稲川淳二が、かの有名な「生き人形」の話を披露し、それを同級生のKが
カセットテープに録音して、学校に持ってきました。

「メチャメチャ怖くて、途中からは録音だけして、聴いてへんねん。
もう1回最初からみんなで聴こう」とKが言うので、私を含めた男4人で
軟式野球部の部室にこもり、一部始終を聴きました。

テレビではユリ・ゲラーや清田くん(清田益章)、矢追純一宜保愛子
新倉イワオなど、心霊・怪奇・超常現象がらみの常連さんが相次いで誕生し、
平日の昼間から心霊特集などの番組がたくさん組まれていました。

稲川淳二の「生き人形」もテレビでも何度か放送され、生放送中に怪奇現象が
次々と起きて騒ぎになったりしました。

思えば、幸せな時代だったのでしょう。

胡散臭いけど不思議な話や怖い話が、いつも身近にありました。

大学時代には先輩の「霊体験」も、数人から聞かされました。

2つの印象深い不思議な体験

 

私自身は、いわゆる霊体験はいちどもありません。

明確に不思議な体験も、わずかに2回だけです。

その2回はいずれも、たしか1987年から88年頃にかけての出来事だったような
気がします。正確な年は覚えていません。

1回は、大学のサークルで恒例の夏合宿に行ったときのこと。

ある旅館の別館を借り切って、3泊4日の間に延べ40人ぐらいの現役学生と
OBが出入りする、にぎやかな合宿でした。

畳の部屋を囲むように「コの字形」に細い廊下があり、
そこはカーペット敷きになっていました。

「コの字」の開いたところには、洗面所とトイレが並んでいます。

ある朝、8時か9時頃に目が覚めると、大騒ぎになっていました。

カーペット敷きの廊下だけが、隅から隅までぐっしょりと水で濡れているのです。

「コの字」の中には6畳の部屋が3つぐらいあったので、廊下の一辺は
けっこう長かったはずです。とにかく半端な濡れ方ではありません。
しかも、畳の部分はまったく濡れていないのです。

そこは軽井沢のはずれに位置していて、9月半ばのことだったので、
朝はけっこう冷え込みます。

たとえば洗面所の水道が凍結していて、酔っぱらった誰かが蛇口をひねったけれど
水が出ず、そのまま閉め忘れて、夜が明けてから凍結が解けて水が出っぱなしに
なったのかな、とも思いました。

でも、私たちの多くは明け方の5時ぐらいまで飲みながら騒いでいたので、
それからほんの3~4時間でそんな事態になることは考えづらいし、
だいいち水がジャージャー出ていたら、さすがに誰かは音に気づくはずです。

いまだに原因は分からず、その別館は数年後に取り壊しとなってしまいました。

 

もう1回は、私が東京のアパートから大阪の実家に帰省していたときのこと。

当時6歳か7歳だった飼い猫は、家に来たばかりの0歳時に2~3回だけ
私と一緒に寝てくれただけで、以来、いちども一緒に寝ようとはしませんでした。

その帰省時、私は大学を3年でやめて、次の年に入った専門学校も半年でやめて、
今後の身の振り方についてけっこう悩んでいました。

あてもなく比叡山に登ってみたり、心はフラフラ揺れていたのだと思います。

ある晩、何の前触れもなく猫が近づいてきたかと思うと、ごくごく自然に
私の布団にもぐり込むではありませんか。

どれぐらいの時間、一緒にいてくれたのかは覚えていませんが、
布団のなか、私の腕枕でしばらく静かに寝たふりをしているように見えました。

動物が人間の「心を読む」とは、こういうことなのか、と思いました。

恐らく何かを察して、何かを伝えにきたのでしょう。

2回の不思議な体験は、私にとってどちらも「よく解らない体験」です。

ひとつは現象が起きた原因が解らず、ひとつは猫の伝えたかったことが解りません。

それでも私の心には、若き日の懐かしい思い出として強く印象に残っています。

心霊現象や怪奇現象も含めて、不思議な体験というのは結局のところ、
体験した人の「心の問題」なのではないでしょうか。

本当に起こったのか。原因は何だったのか。誰が何を伝えようとしているのか。
これらは体験した本人が考えて結論を出せば、それでいいような気がします。

一方で子どもの頃、身のまわりに氾濫していた不思議な話や怖い話は、
その多くが「他人の体験談」であり、「他人のつくり話」です。

いま振り返ると、それらは私たちにとって、コミュニケーション・ツールの
ひとつだったように思います。

私たちそれぞれの心を豊かにしてくれた、とまでは言いませんが、
少なくとも友人たちと時間を共有する際の、心と心をつなぐ、
手っ取り早くて意外と重要なテーマだったような気がするのです。