解✦談

解りやすく、解きほぐします。

猫に「心」はあるのか?

夫婦の呼び声は、猫には別の音に聞こえる

 

2カ月ほど前のことです。

夜の9時頃、最寄り駅からの帰り道で1匹の猫に会いました。

首輪をつけていないので、飼い猫かノラ猫かは分かりません。

そこは人通りの少ない裏道で、猫は道の真ん中に寝そべっていました。

目の前の家では小学生のための塾をやっていて、何人かの子どもと先生が
外で話をしていました。

私は普段なら、すぐ猫に向かって話しかけるのですが、他人の目が気になったため、
まずは猫の横を素通りして、10メートル以上離れてから振り向きました。

左腕を猫の方にまっすぐ伸ばしながら、声を出さずに心のなかで
「お~い」と叫ぶと、猫は起き上がってトコトコと近寄ってきます。

「ニャッ」と小さく鳴いてから、私の脚や鞄にスリスリを始め、
やがてパタンと倒れこんで「なでてくれ」と要求しました。

この猫には以前にも、朝の通勤時に一度だけ会ったことがありました。

その日は私が声をかけると近寄ってきて、やはり脚にスリスリしました。

これだけ人懐っこい猫なのだから、相手をしてくれそうな人間ならば、
誰にでも近寄っていくのかもしれません。

ただし、2度目に会ったとき、私は声を出していません。

しかも、けっこう離れたところから、猫に向かって腕を伸ばしただけです。

それですぐに起き上がって、近寄ってきたということは、目で私を見て、
何かを判断したということなのでしょうか。

動物はどのように人間を識別しているのか、昔から興味があるのですが、
はっきりしたことは、いまだによく分かりません。

かつての飼い猫は私や家族について、目でも耳でも鼻でも識別していたように
思います。

つまり人間一人ひとりについて、ある程度の姿かたちと声の特徴、そして匂いが
猫の頭にはインプットされているのではないか。

それらは、猫にとって「好ましいもの」と「好ましくないもの」という程度の、
ラフな区分けなのかもしれませんが。

You Tubeの猫動画をいろいろ観るようになってから、気付いたことがあります。

飼い猫は、飼い主や他の飼い猫の様子を、実によく見ているのですね。

自分より年長の猫がやることを見て、その真似をしたり、他の猫が飼い主から
どんな扱いを受けているのかを見て、自分も同じような扱いを飼い主に要求する、
あるいは自分の地位を確認する。

とくに多頭飼いのケースで、それが目立ちます。

「ノラ猫は集会を開く」などと言われるように、本来、猫には猫なりの社会が
あるのだと思います。

そういう猫社会で生きていくための知恵というか、社会性の名残りのようなものが、
飼い猫にも息づいているのではないでしょうか。

猫の耳(聴覚)については、養老孟司『遺言。』という本に、
面白い内容がまとめられています。

猫にかぎらず動物は基本的に「絶対音感」を持っているのだそうです。

絶対音感は、ある音の高さを他の音と比較しないでも識別できる能力のこと。

たとえば飼い主が夫婦だとして、夫が飼い猫を「ミーちゃん」と低い声で
呼ぶときの音と、奥さんが「ミーちゃん」と高い声で呼ぶときの音は、
ミーちゃんにはまったく別の音に聞こえています。


聴覚の仕組みは人間も猫も同じで、耳のなかに「音をとらえる膜」がいくつもあり、
音の振動数に合わせて、それぞれ別の膜が振動するようになっています。

つまり、猫は自分が「ミーちゃん」と呼ばれること(名前であるという意味)を
理解しているのではなく、音の振動数によって、それが飼い主の声であることを
聞き分けているのです。

飼い主から自分の名前を呼ばれた際に、いちいち「ミャ~ン」と反応する
猫もいるし、無反応な猫もいます。

恐らく猫にとっては、何度も繰り返される呼び名の音の振動数が、
「自分に向けられている」「自分をかまってくれている」感覚として、
とりあえずインプットされているのではないでしょうか。

そこで律儀に反応するかどうかは、猫の性格によるのだと思います。

なかには「おやつ」という言葉を聞いて喜んだり、「おふろ」や
「びょういん」という言葉を聞いて逃げ出したりする猫もいますが、
それらは音の振動数が「その後の自分に降りかかる出来事」とセットになって、
やはり猫のなかに感覚としてインプットされているのでしょう。

これは考えてみれば、当たり前のことです。

たとえば動物が山奥とかジャングルで生きるとき、うっそうと茂った
木々のなかでは視覚より、むしろ聴覚や臭覚が役立つことの方が多いかも
しれません。

自分のエサとなる、あるいは天敵となる他の動物が出す音や匂いについて、
親は子に教育するだろうし、代々受け継がれる感覚は非常に重要でしょう。

いわゆる本能というものは、飼い猫にも備わっているわけです。

 

猫に意識はあるが、他を思いやる気持ちは?

 

ところで、猫には人間と似たような「心」というものはあるのでしょうか。

世の中の飼い犬をみると、飼い主に対する「絶対的な忠誠心」のようなものを
感じることが少なくありません。

猫は確かに気まぐれですが、忠誠心とまでは行かなくとも、飼い主に対する
「信頼の心」ぐらいはあってもいいような気がします。

ノラ猫の世界では、ある程度成長した後は、父親どころか母親についての認識も
猫のなかから消えるようです。

飼い猫にとっても事情は同じかもしれません。

 

You Tubeの猫動画のひとつで、飼っている4匹のなかの2匹が、実の母親猫と
その息子猫という例があります。

その母子は4匹のなかでもとくに仲が良いのですが、かといって現在はいつも
飼い主がエサをくれるので、息子猫が母猫を自分の母親と認識しているようには
思えません。


飼い猫に「信頼の心」があるとして、その対象となるのは、まずエサをくれる人、
それから自分がとくに好きな人なのだと思います。

家族で猫を飼っている場合、猫にとってエサをくれる人と、自分がいちばん
好きな人が異なるケースはけっこうあるようです。

手元の辞書で、「心」についてのおもな意味を確認してみます。

(1)人間の体のなかに宿り、意志や感情など精神活動のもとになるもの。
   精神の働きそのものや、その現れも指す。

(2)他人の事情などを察して、優しく思いやる気持ち。

これを見るかぎり、心はほぼ人間に限定されたものと定義されているようです。

しかし、少なくとも(2)については猫にもあるのではないかと、私には
思えてなりません。

たとえば以前、本ブログの「心をつなぐ心霊・怪奇現象」で紹介した、
かつての飼い猫が私に対してとった行動がひとつ。

それ以外にも、飼い主が病気になった際に寄り添ったり、飼い主の
子ども(赤ちゃん)の面倒をみたり、一緒に暮らしている他の飼い猫が
病院から帰ってきたとき、しばらく後をついて回って様子をうかがったり…。

動画で観るだけなので、真偽のほどは定かではありませんが、
猫に「人間や他の猫の事情を察して思いやる気持ち」がないとは、
どうしても思えないのです。

前述の『遺言。』には、以下のような意味のことが書かれています。

●人間以外の動物と3歳児ぐらいまでの人間は、「相手の立場に立つ」という
  ことができない。

●どんな動物であれ、寝たり起きたりしていれば、意識はあると考えられる。

●しかし、じつは意識に科学的定義はない。

今度は「意識」について、辞書で引いてみます。

(1)自分や周囲の状況などを(はっきりと)とらえる心の働き。
   また、その働きをなす場所としての心。

(2)自分や周囲の状況などをそれとして(はっきりと)とらえること。

(3)(1)によって得られる、心的な内容。

科学的に分からない以上、これらの説明はあくまでも言葉による概念や、
思索による哲学の領域を出ないのかもしれません。

ひとつ気付くのは、(1)と(3)が心にかかわる事象であるのに対し、
(2)はそうとも限らないということです。

辞書には(2)の用例として、「視線を━━して固くなる」と出ていますが、
これなら猫にも見られます。

概念的にまとめると、こんな感じになります。

猫には「意識」があるので、自分や周囲の状況などをそれとして(はっきりと)
とらえることはできる。

しかし「相手の立場に立つ」ということができないので、他人の事情などを察して
優しく思いやる気持ち、つまりは「心」があるとは言えない。

 

ある解説によれば、猫の「知能」は人間に換算すると、おおむね2~3歳と
言われているようです。

これは人の成長にともなう思考の発達段階を分類したデータから、
類推されたものと思われます。

また、猫の「知性」は狩りや自分にとっての危機的な状況など、
生死にかかわる場面で大いに発揮されることも知られているそうです。

こんなことは考えられないでしょうか。

一部の飼い猫には、人間の4~5歳ぐらいの知能が備わることがある。

飼い猫なので、日常生活ではさしあたって生死にかかわる場面はほとんどない。

だから、知性を発揮する能力が他の分野、たとえば人間や他の猫の事情を察して
思いやる気持ちなどにシフトすることがあり得る。

私が猫好きなため、どうしても猫に肩入れしてしまう面は否めないと
思いますが、少なくともこんな風に考えないと理解が難しい行動を、
猫がとることもまた事実なのです。