解✦談

解りやすく、解きほぐします。

解らなすぎる「時間」の話

640年の時を超えてやってくる

 

宇宙には数え切れないほどの星があるので、私たちが見る夜空は本来、
星によって隙間なく埋め尽くされているはずです。

ときどき写真などで見かける「銀河」と同じように、夜空全体が煌々と
輝いて見えてもいいはずなのです。

でも実際には、「満天の星」が見渡せる空気のきれいな山や海へ行っても、
せいぜい天の川が目立つぐらいで、夜空はやっぱり暗いし、たくさんの
隙間が確認できます。

その大きな理由は、宇宙がいまも膨張し続けていて、多くの星が地球から
どんどん遠ざかりつつあるからだそうです。

自分から遠ざかっていく物体から出た光は、音の場合と同じく、
ドップラー効果」によって波長が長くなります。

波長の長い光は赤く見えますが、地球から遠ざかる多くの星から出た光は波長が
長くなりすぎて、人間の肉眼では見えないマイクロ波になってしまっています。

つまり、夜空は実際に暗いのではなく、人間の目には暗くしか見えないのです。

それほどまでに、宇宙の星の多くは、地球から遠いところにあるわけです。

私たちにお馴染みの太陽や月は近いところにありますが、それでも光が届くのに、
それなりの時間がかかります。

太陽から地球までは1億5000万km、月から地球までは38万kmの距離があります。

光の速さは秒速30万kmなので、太陽から出た光は地球へ届くのに約8分かかり、
太陽光を反射した月の光が地球へ届くのには約1.3秒かかることになります。

言い換えれば、地球上にいる私たちはどう転んでも、太陽については約8分前、
月については約1.3秒前の姿しか見ることができないということです。

私たちは普段、太陽や月を見ながら、このようなタイムラグについて
意識したりはしません。

それは日中の太陽や、夜間の月が、周期的に私たちの前に現れるからだと思います。

それでは、普段はない(見えない)ものが突然、目の前に現れたとしたら、
どうでしょうか。

冬の星座として有名なオリオン座の、私たちから向かって左上に位置する
ベテルギウスという星は、いろいろな意味でロマンにあふれる魅力的な存在です。

ベテルギウスは直径が太陽の1000倍、質量が太陽の20倍もある赤色超巨星で、
さまざまな観測結果から、恒星の一生の晩年にさしかかっていると言われています。

 

太陽の8倍以上の質量がある星の多くは、一生の最後に超新星爆発」(※)
起こすので、ベテルギウスもいずれ超新星爆発を起こして一生を終えることは
間違いありません。

超新星爆発:自らの重力に耐えられなくなった星が一気にグシャッとつぶれ、
 その反動で大爆発を起こす現象。

ベテルギウス超新星爆発を起こすと、3~4カ月にわたって満月の100倍の
明るさで輝き続け、私たちは昼間でもそれを見ることができるそうです。

その後はだんだん暗くなっていき、4年ぐらいで肉眼では見えなくなります。

ベテルギウス超新星爆発は、いつ起こるのか分からないし、
すでに起こっている可能性もあります。

ベテルギウスと地球は640光年離れているため、ベテルギウスから出た光が
地球に届くまでには640年かかります。

つまり、超新星爆発が起こってから640年間は、私たちはその事実に
気がつかないのです。

10年前の2011年の時点では、「2012年にもベテルギウス超新星爆発
見られるかもしれない」と騒がれましたが、最新の研究によると、
「爆発は今後100万年以内」というずいぶん悠長な話に変わってきています。

ただし、宇宙は分からないことだらけなので、「やっぱり爆発した!」という
ニュースがいつ飛び込んできても不思議ではありません。

たとえば来年(2022年)、私たちがベテルギウス超新星爆発を目撃できたと
空想してみましょう。

実際の爆発は640年前の、1382年だったことになります。

日本では鎌倉時代が終わって室町時代が始まる前の、いわゆる南北朝時代
あたります。

そんな昔にベテルギウスから放出された光が640年間、ずっと宇宙を飛び続けて
地球に到達した。それまで無かったものが突然、私たちの目の前に現れた--。

これって、とてつもなく不思議なことではないでしょうか。

バカげた言い方をするなら、「超新星爆発という事実」がタイムマシンに乗って、
640年の時を超えて現代にやってきた…とか。

この話を思い浮かべるとき、私は決まって「時間とは何だろう」と考えます。

そして、何も解らないことに途方に暮れます。

 

人間がこしらえた幻想なのか?

 

2018年に刊行された『僕たちは、宇宙のことぜんぜんわからない』という
本があります(ダイヤモンド社)。

そのなかに「時間って何?」という章があるのですが、そこには
「時間は物理学的に定義することさえできない」と書いてあります。

その理由として、以下のような「時間についてのややこしさ」が説明されます。

1.時間と空間は似ているが、同じようには扱えない。
 たとえば私たちは、空間内を自由に移動したり、移動のスピードを自由に
 変えたりできるが、時間についてはそうした自由がない。

2.時間は一般には「過去→現在→未来」という一定方向(前への方向)にしか
 進まないと考えられているが、ほとんどの物理法則では、時間が前に進もうが
 後ろ(逆向き)に進もうが問題はない(法則が成り立つ)

3.かつて時間は誰にとっても共通な「ひとつのもの」と考えられていたが、
 アインシュタイン相対性理論により、人それぞれが置かれた環境によって
 時間の進み方は異なることが証明された。

そして、結局はまだ何も分からないということで話は終わります。

仕方がないので、どうせ何も解らないだろうと思いながら、
また別の本を読んでみます。

2019年に刊行された『時間は存在しない』という本(NHK出版)と、
2020年に文庫化された『すごい物理学入門』という本(河出文庫)。

両方とも、カルロ・ロヴェッリというイタリアの物理学者が書いた本の翻訳版です。

『時間は存在しない』はあまりに内容が難しく、途中でギブアップしました。

『すごい物理学入門』には、上記2.と同じようなことが書いてあります。

●熱の移動がみられない場合、または移動した熱の量が無視できるほど
  微量だった場合、物理学では未来も過去とまったく同じように振る舞うと考える。

●たとえば、太陽系の惑星運動において熱はほとんど意味をもたないので、
  惑星の運動がたとえ逆向きになったとしても、物理の法則に何ひとつ
  反することはない。


ところがです。ある現象に熱がかかわると、未来は過去と異なるものになると、
カルロ先生は言います。


●摩擦がないかぎり、振り子は永遠に揺れ続ける。揺れている振り子の映像を
  撮影して、それを逆に再生しても、動きはまったく不自然には見えない。

●そこに摩擦が生じると、摩擦によって振り子は支柱をわずかに温めるため、
  それによってエネルギーが奪われ、揺れるスピードが遅くなる。つまり、
  振り子の揺れがゆっくりになっていく「未来」と過去が区別できるようになる。

こうしたことから、未来と過去を区別する根本には、熱いものから
冷たいものへの熱伝導がかかわっているというのです。

どうやら熱のやり取りが、時間というものの正体を解き明かすための
ヒントになりそうだということまでは判明したらしいのですが、
その先の答はやっぱりカルロ先生にもまだ分からないそうです。


私が想像したのは、こんなことです。

時間について、物理学的に定義することもできず、方程式もつくれないのだとしたら、
距離や速さといった「私たちが視覚的に把握できるもの」とは、そもそも性質の
異なるものなのではないでしょうか。

まず考えられるのは、「時間=人間がこしらえた幻想」ということです。

たとえば人間以外の動物は、飛んだり跳ねたりするときに「距離」を測るし、
敵や獲物の移動を把握するにあたって「速さ」への認識もあるはずです。

でも、時間については朝・晩とか季節とか「エサの時間」とか、
周期性への認識はあっても、1日や1年という量的な認識はないでしょう。

人間が量的な時間の認識にこだわるようになったのは、生きていくうえでの
知恵ということに加えて、死や寿命に対する怖れが関係していたのかな、とも
思ったりします。

時間に対する幻想は、記憶の鮮明さとも関係があるかもしれません。

他の動物に比べて、人間はあまりに過去の記憶が鮮明に残っているため、
相対的に「現在がすべて」という感覚が薄く、あるいは現在への集中度が弱く、
だからこそ過去と現在の関連を強く意識するのではないか。

そこから「未来」という、まだ見ぬ、あるかどうかも分からない状況への
連想も湧いてくるようになったのではないか--。


記憶に関しては、星新一『午後の恐竜』という面白い作品があります。

ある日曜日の朝、男が目ざめると家の外では恐竜が闊歩し、数億年前の
シダのような巨大植物が繁茂していました。

テレビニュースでも話題になっているところをみると、それは男の幻覚ではなく、
どうやら世界中で同時に起きている現実のようです。

ただし、家の外に広がっているものには実体がなく、巨大植物を触ろうとしても、
まるで蜃気楼のように手をすり抜けてしまいます。

やがて外を歩いているのは哺乳類の先祖のような動物に変わり、
原始人が現れ、馬やツル、クマとだんだん見慣れた動物に変わっていきました。

これが実は、人間が死に直面した際に見るといわれる「過去の回想シーン」で、
ある事件によって人類が滅亡の危機にさらされていたため、全世界が集団で
地球の回想シーンを目にした、という内容です。

そこでは地球上に生命が誕生してからの歴史が、ほぼ1日に凝縮して展開されます。

私もかつて友人から、車で田んぼに突っ込んだときに、落ちていくまでの短時間で
「回想シーンをはっきり見た」という話を聞かされたことがあります。

過去の記憶をまとめて引っ張り出すのに、ほとんど時間がかからないのだとしたら、
「時間っていったい何なんだろう?」という思いは、余計に強くなります。