解✦談

解りやすく、解きほぐします。

『なごり雪』の謎①

春が来て君がきれいになった理由

季節はずれの話をひとつ。

なごり雪』は正ヤン(伊勢正三)の作詞・作曲で、もともとは1974年3月に
発売された、かぐや姫の『三階建の詩』というアルバムに収録されていました。
その後、75年11月にイルカがカバーし、シングルとして大ヒットを記録します。
ちなみにアレンジは、かぐや姫版が瀬尾一三、イルカ版が松任谷正隆です。

私が『なごり雪』を初めて聞いたのは、76年が明けてすぐの冬、小学5年の
ときだったと思います。イルカの曲を聴いたわけではありません。
同級生の女子が、手洗い場で口ずさんでいるのを聞いたのです。

子ども心に、サビのフレーズが耳に残りました。

 【いま春が来て君はきれいになった】
 【去年よりずっときれいになった】

中学~高校時代には、かぐや姫とイルカの両バージョンを何度も聴きながら、
このフレーズの意味を考えました。

まず思ったのは、《君》が結婚を含めて新しい人生を始めるために故郷へ
帰ったのではないか、ということでした。

地方から東京の大学へ進学した《君》が、そこで《僕》と出会い、
恋人や同棲の関係を続けていたが、何らかのきっかけで故郷へ戻り、
結婚も故郷でしようと考えている--。

しかし、「春=《君》はきれいになった=《君》の結婚」と仮定すると、
さまざまな矛盾が生じてきます。

結婚が決まったために《君》が故郷へ帰るとするならば、かなり以前から
故郷に彼氏がいることになります。

いきなり見合い結婚する可能性もないわけではありませんが、そのために
《君》が東京での暮らしを捨て、《僕》との関係も清算するというのは、
よほど《君》が東京での生活に疲れ切ってでもいないかぎり、現実的では
ないでしょう。

曲中には【時が行けば幼い君も大人になると気づかないまま】という
歌詞もあります。

故郷に彼氏がいるのに《僕》と付き合っていた、つまりは二股をかけて
いたような《君》を、果たして《僕》は「幼い君」と呼ぶでしょうか?

充実した時間を「冬」と見なしている

それでは、《僕》と《君》が恋愛関係になかった場合はどうでしょう。

《僕》は年下の《君》のことを妹のように可愛く思っており、《君》は《僕》を
信頼できる話し相手、相談相手として慕っていたようなケースです。

《君》は何度か帰省しているうちに、地元で好きな人ができた。
結婚を意識するようになったから、東京を離れて故郷へ戻る。

だから、《僕》にとっては
【時が行けば幼い君も大人になると気づかないまま】
【いま春が来て君はきれいになった】
ということになる。

これなら筋は通ります。

しかし、その場合は歌詞にある【ふざけすぎた季節の後で】という一節が
引っかかります。

「ふざけすぎた季節」という言葉からは、2人が一緒に充実した貴重な時間を
過ごした感触が伝わってきます。単なる友人や話し相手の関係に、ここまでの
表現を使うでしょうか?

しかも、【ふざけすぎた季節の後で】【いま春が来て君はきれいになった】
のだから、「ふざけすぎた季節」とは「冬」を指していることになります。
充実した貴重な時間のことを、あえて「冬」と見なしているわけです。

これらのことから、私は2人の関係をとりあえず以下のように整理してみました。

●恋愛関係だったかもしれないし、そうではなかったかもしれないが、
  《僕》と《君》はこれまで「冬」という充実した時間を共有してきた。
●《君》だけがその「冬」を抜け出して、「春」へと歩を進めることになった。

さて、そうなると問題は、「冬」と「春」が具体的に何を指すのかということです。

そのヒントは、村上春樹の小説『ノルウェイの森』にありました。