解✦談

解りやすく、解きほぐします。

積立投資の効果は、値動きによって変わる

心臓に悪い値動きこそが積み立て向き?

 

投資に関する考え方のなかには、どうしても数字を使って計算してみないと、
具体的なイメージが湧いてこないものがあります。

たとえば、積立投資の効果は、投資対象の値動きによって変わるというお話。

いま、株価指数に連動するインデックス型投信に毎月1万円ずつ、
10カ月にわたって積立投資をおこなうと仮定しましょう。

株価指数は「日経平均株価」でも米国の「S&P500種株価指数」でも、
何でも構いません。とりあえず何らかの株価指数を想定しておきます。

インデックス型投信の値動き(基準価額の動き)について、3種類のパターンを
考えてみます。話を分かりやすくするために、値動きはわざと極端な例を示します。

ひとつめの《事例A》は、基準価額が順調にずっと右肩上がりで動いたケースです。

ある月末(0カ月目)の基準価額がちょうど10000円だったとして、
その次の月末から1万円ずつ積み立てたとします。

各月の基準価額と、それに応じて購入できた口数は、以下のようになります。
ちなみに計算は、「1万円÷基準価額=購入口数」です。

《事例A》

0カ月目 10000円

1カ月目 11000円   0.9口  6カ月目 20000円   0.5口
2カ月目 13000円 0.76口  7カ月目 21000円 0.47口
3カ月目 15000円 0.66口  8カ月目 23000円 0.43口
4カ月目 16000円 0.62口  9カ月目 24000円 0.41口
5カ月目 18000円 0.55口  10カ月目 25937円 0.38口

 

このケースでは、10カ月間に10万円を使って合計5.68口を購入したことになります。

10カ月目の時点で投資の状況は「5.68口×25937円=14万7322円」なので、
この時点で得られたリターンは4万7322円。

「14万7322円÷10万円=1.473」なので、収益率はプラス47.3%です。

また、10カ月間で1口あたりの平均購入単価は「10万円÷5.68口=17605円」です。

2つ目の《事例B》は、基準価額が最初はぐずぐずと冴えない動きだったものの、
途中から順調に上昇したケースです。

《事例B》

0カ月目 10000円

1カ月目   9500円 1.05口  6カ月目 14000円 0.71口
2カ月目   9000円 1.11口  7カ月目 17000円 0.58口
3カ月目   9500円 1.05口  8カ月目 20000円   0.5口
4カ月目 10000円    1口  9カ月目 23000円 0.43口
5カ月目 10500円 0.95口  10カ月目 25937円 0.38口

このケースでは、10カ月間に10万円を使って合計7.76口を購入したことになります。

10カ月目の時点で投資の状況は「7.76口×25937円=20万1271円」なので、
得られたリターンは10万1271円。

「20万1271円÷10万円=2.012」なので、収益率はプラス101.2%です。

10カ月間で1口あたりの平均購入単価は「10万円÷7.76口=12886円」です。

3つ目の《事例C》は、いきなり基準価額が急落して半値まで落ち込んだものの、
その後は回復して順調に上昇したケースです。

《事例C》

0カ月目 10000円

1カ月目   8000円 1.25口  6カ月目 12000円 0.83口
2カ月目   6000円 1.66口  7カ月目 16000円 0.62口
3カ月目   5000円    2口  8カ月目 20000円   0.5口
4カ月目   7000円 1.42口  9カ月目 23000円 0.43口
5カ月目   9000円 1.11口  10カ月目 25937円 0.38口

このケースでは、10カ月間に10万円を使って合計10.2口を購入したことになります。

10カ月目の時点で投資の状況は「10.2口×25937円=26万4557円」なので、
得られたリターンは16万4557円。

「26万4557円÷10万円=2.645」なので、収益率はプラス164.5%です。

10カ月間で1口あたりの平均購入単価は「10万円÷10.2口=9803円」です。

これら3つの事例では、いずれも基準価額が当初の10000円から、
10カ月後には25937円まで上昇しています。

ところが、その過程で基準価額がどのような動きをするかによって、
最終的な投資成績にはかなり大きな違いが出てくることが分かります。

《事例A》は基準価額がずっと右肩上がりなので、投資家は「下落の恐怖」に
おびえる必要がいっさいなく、精神衛生上は非常に良いと考えられます。

しかし積立投資に限っては、好ましいパターンではありません。

むしろ、途中で基準価額が半分まで下がって「心臓に悪い」ような
《事例C》こそが、積立投資にもってこいのパターンなのです。

逆に考えると、もしも今後、私たちが積み立てる投資対象の価格が
《事例C》のように急落したとしても、それについて「しまった」とか
「やばい」と思って焦る必要はないわけです。

もちろん、その後に価格が回復して、最終的に大きく上昇してくれなければ、
十分なリターンは得られません。

でも、「その後の価格がどのように動くか」についてなど、どっちみち誰にも
分からないのです。

せっかくなら投資対象の価格がいったん大きく下落して、積立投資の
平均購入単価が下がってくれた方が、将来的に大きなリターンにつながる--。

そんな風に考えた方が、よっぽど精神衛生上よろしいのではないか、
と思うのです。

 

積立投資の対象も分散が不可欠

 

ところで、上記の3つの事例を毎月の積み立てではなく、
「毎年の積み立て」と考えたらどうなるでしょうか。

つまり、基準価額の動きをそれぞれ1年間の平均値と考え、その平均値に対して
毎年1万円ずつ、10年間にわたって積み立てたと仮定するわけです。

3つの事例の最終的な基準価額は25937円という中途半端な数値になっていますが、
実はこれにはちょっとした意味があります。

当初の基準価額10000円が、10年間で25937円まで上昇した場合、この投信における
10年間のリターンは、ちょうど「年率10%」に相当することになります。

「10000円×(1.1の10乗)=25937円」という計算です。

年率10%というリターンは、株式投資では悪くない数字です。

私がこれまでに見聞きした専門家の話を総合すると、株式投資では長期的に
長期金利+5~7%程度」の年率リターンが期待できるようです。

長期金利は「10年物国債利回り」のことで、最近は日本が0.1%強、
米国が1.8%弱といった水準です。

専門家の意見が正しいならば、現状で日本株には5~7%程度、米国株には
7~9%程度の年率リターンをそれぞれ期待していいことになります。

もういちど、《事例A》を見てみましょう。

10カ月を10年間に置き換えて考えると、最終的な収益率47.3%というのは
年率換算で2%強にすぎません。

当初の基準価額10000円の時点で10万円を一括投資した場合には、
年率10%のリターンが得られるにもかかわらず、積立投資をやると
年率2%強まで下がってしまうわけです。

《事例B》でも、積立投資をやると年率7%強まで下がります。

《事例C》では逆に、積立投資をやることで、年率10.2%強まで
リターンが向上します。

このところ日本の個人の間では、米国株投資がブームの様相を呈しています。

2021年に、米国のS&P500種株価指数が26.8%の上昇を記録したのに対して、
日本では日経平均株価が4.9%、TOPIX東証株価指数)が10.3%の上昇に
とどまりました。

過去30年間のリターンを年率でみても、S&P500種株価指数の8.5%程度
(配当なし・米ドルベース)に対して、日経平均株価は0.7%程度、
TOPIXは0.4%程度(いずれも配当なし)となっています。

短期でみても長期でみても、日米株式の上昇率には大きな差があるわけで、
日本人が米国株の高い成長性に便乗したいと思う気持ちはよく分かります。

しかし、だからこそ積み立てによって米国株への投資を考えている人には、
前述した3つの事例を思い出してほしいのです。

見かけ上の収益率と、実際に積立投資をやった場合の収益率が、
投資対象の値動きによって大きく変わってくることを。

今年以降、米国株はいったいどのような値動きをするのでしょうか。

これまで10年以上にわたって、米国株はほぼ《事例A》のような値動きを
示してきたので、そろそろパターンが変わっても不思議ではありません。

FRB(米連邦準備理事会)が予定している利上げなどの影響で、
米国株が急落でもしてくれようものなら、それこそ積み立てを
始めるには絶好のチャンス到来です。

でも、実際に何が起こるのか、誰にも正確に予想することはできません。

ならば、他の国の株価指数で、これから《事例C》のような値動きを
しそうなものはないのか。

もちろんそれについても、誰も分かりません。

だとすれば、積立投資の対象も分散が不可欠ということになります。

つまらない結論かもしれませんが、「長期・分散・積み立て」という
投資3点セットの重要性は、なかなかに揺るぎないものなのです。

 

イントロに関する考察

最近はイントロが短い曲じゃないと、ヒットしないどころか、
聴かれもしないようですね。

ある調査データによると、サブスクリプションサービスで音楽を聴く人の25%は、
最初の5秒間で気に入らないと、次の曲へ移ってしまうとか。

カラオケでもイントロや間奏が長い曲は、同席者の手前、気まずかったり
手持ち無沙汰だったりするのが嫌なので、歌いたくても選ばない人が結構いる
みたいです。

スターダストレビューの《トワイライト・アベニュー》は、イントロが
7秒間なので、歌の始まりまで持つかどうか際どいところです。

ほんの3秒ほど我慢してくれれば、劇的かつ美しいサビのメロディで歌が
始まりますが、「イラチ」な人はこの名曲を知らずに終わる可能性もありますね。

原田知世の《時をかける少女》は、イントロで2つのコードの繰り返しが2回、
15秒間続きます。

その後に高低の音階をかけ巡る、ユーミンの荒業が展開されるわけですが、
まさか、この曲も最近は知らない人が多かったりして。

まあ、人それぞれなのだから、好きにすればいいでしょう。

レッド・ツェッペリンの《天国への階段》や、イーグルス
ホテル・カリフォルニア》は、イントロが1分弱あります。

ピンク・フロイドの《タイム》は2分以上。

これらロックの定番曲とかプログレなどは、そもそも若者や現代人の
興味から外れているので、最初から選択肢にも入らないか…。

ツェッペリンといえば、《When The Levee Breaks》のイントロは不穏な音が
1分20秒以上も続きますが、その不気味さがなんともいえず格好いい。

ローリング・ストーンズの《Gimme Shelter》(50秒程度)や、
キング・クリムゾンの《21st Century Schizoid Man》(これは短い)など、
不穏さゆえに魅力的なイントロもたくさんあります。

もちろん、これらはヘヴィメタを好む人にとっては、なんてことない
イントロでしょうけどね。

 

      ✤      ✤      ✤      ✤

 

私はイントロが長いか短いかを気にしたことはないけれど、
イントロについてひとつ、気付いていたことはあります。

ビートルズには、イントロのない曲が非常に多い。

年代順に代表曲を挙げてみます。

《All My Loving》《If I Fell》《Can’t Buy Me Love》《No Reply》
《I’m A Loser》《Help!》《Nowhere Man》《Girl》《Paperback Writer》
《Hello, Goodbye》《Hey Jude》《The Long And Winding Road

このほか、《Penny Lane》や《For No One》《Oh! Darling》など、
イントロが1音しかないような曲もあります。

ビートルズの楽曲は、とくに中期のアルバム『リボルバー』までは、
全体の長さが1分台や2分台のものがほとんどです。

だからイントロや間奏はなるべく省いて、ポールやジョンたちの声を
できるだけ多く聴いてもらおうという戦略だったんでしょうか。

これ、現代のサブスク・ユーザー向きですね。

でも、《While My Guitar Gently Weeps》はイントロが少し長いから
飛ばされてしまって、エリック・クラプトンの泣きのギターが聴いて
もらえないかもしれません。

日本でビートルズに影響を受けたミュージシャンは数知れず。

そのなかで、たとえばチューリップの財津和夫は、イントロについても
影響を受けたのではないかと思われます。

《心の旅》《夕陽を追いかけて》《Someday Somewhere》などの
ヒット曲、代表曲にはイントロがありません。

青春の影》《ぼくがつくった愛のうた》《ふたりがつくった風景》など、
そこそこヒットした曲も1音だけのイントロです。

《夏色のおもいで》《虹とスニーカーの頃》のヒット曲は、
ともにイントロが3秒程度。

青春の影》は初めて聴いたとき、曲名からプロコル・ハルムの《青い影》との
関連を想像しました。しかし、なんのことはない、イントロも含めて詞・曲ともに
ビートルズの《The Long And Winding Road》の影響でしょうね。

 

      ✤      ✤      ✤      ✤

 

邦楽でイントロが魅力的といえば、大瀧詠一が思い浮かびます。

とにかく、イントロの最初の1音からして「これしかない」という
感じの曲が多い。

私がいちばん好きなのは、ラッツ&スターに提供した
《Tシャツに口紅》(編曲は井上鑑)です。

17秒ぐらいのイントロですが、大袈裟にいえば、最初のピアノの音を
聴いた時点で、もはや名曲確定。

森進一に提供した《冬のリヴィエラ》(編曲は前田憲男)といい、
なんてキャッチーで美しいイントロでしょう。

本人歌唱の曲では、《オリーブの午后》《白い港》《雨のウェンズデイ》などは、
イントロだけでも繰り返し聴きたくなるほど。

なかでもドラムで始まる《ペパーミント・ブルー》は、
大瀧トロピカルサウンドの真骨頂かつ集大成のような存在では
ないでしょうか。夏には必ず聴きたくなるイントロです。

私が好きなイントロには、いくつかのパターンがあるようです。

たとえば邦楽で、ひたすら美しいと思うのが

ペドロ&カプリシャスの《ジョニーへの伝言》
ダカーポの《結婚するって本当ですか》
山口百恵の《夢先案内人》など。

なぜか心が熱くなるのが、

RCサクセションの《わかってもらえるさ》
五つの赤い風船の《遠い世界に》
ラブポーションの《胸いっぱいのフォトグラフ》など。

聴いていた当時を思い出してキュンとくるのが、

竹内まりやの《セプテンバー》
斉藤由貴の《卒業》などです。

洋楽では、ひたすら美しいと思うのが

ミッシェル・ポルナレフの《Holidays》《Love Me, Please Love Me》
アバの《Thank You For The Music》《The Winner Takes It All》など。

なぜか懐かしい感じがして胸が騒ぐのが、

ビージーズの《マサチューセッツ
J.D.サウザーの《You’re Only Lonely》など。

いつ聴いても心が温まるのが、

ドーンの《幸せの黄色いリボン》
フェアーグラウンド・アトラクションの《A Smile In A Whisper》などです。

 

ヒトは退化に向かっているのか

人びとの幼稚化、怠慢化、興味の均質化

 

晦日から元日にかけて、養老孟司の新刊『ヒトの壁』(新潮新書)を読みました。

養老先生ご本人が数年前、どこかで書いていたように、著作がだんだんと人生の
まとめに近づいているようですが、その舌鋒は相変わらず鋭く、思わずページの
端に何カ所も折り目を付けてしまいます。

たとえば、こんな具合(各章より抜粋、以下同様)。

今は人間関係ばかり。相手の顔色をうかがい過ぎていないか。
たかがヒトの分際で調和をはかろうとしすぎていないか。

子どもたちの理想の職業がユーチューバーだというのは、
対人偏向を示していないか。なにか他人が気に入るものを
提供しようとする、対人の最たるものであろう。

人が人のことにだけ集中する。
これはほとんど社会の自家中毒というべきではないか。

ニーズ偏向は子どもに限った話ではないでしょう。

ビジネスの世界など、ある時点からほとんどニーズ先行になり果てた感があります。

どうしてなのか。お金ボケか、平和ボケか。

いずれにしても日本では80年代のバブルとその崩壊を経て、人びとの
幼稚化と怠慢化、さらには興味の均質化が進んだと私は思っています。

それが消費にも、商品やサービスの提供にも、さらには社会全体の空気にも
影響を及ぼしていると。

自分自身のことを含めて、常に戒めが必要です。

…コンピュータが作る世界は理屈の世界である。
理屈が通るように創られた世界だ、と言ってもいい。

…「ああすれば、こうなる。こうすれば、ああなる」。

現実の世界で、その理屈が昔から得意とするのは、経済と軍事である。
「富国強兵」が明治の標語だったのは、おそらく偶然ではない。

経済も軍事も「ああすれば、こうなる」、すなわち「予測と統御」が
中心だからである。

「ビジネスモデル」なんていうものも、恐らく同じ理屈の世界の標語でしょう。

ビジネスモデルが優れていれば、成功するに決まっている。だから、そこに
お金をつぎ込む価値がある--。

いつから人びとは、そんな未来予測ができる全能の神になったんでしょうか。

一方で、老後の生活も「予測と統御」によって管理できるという思い込みが、
逆に人びとの不安を煽る結果になったようにも思えます。

若い頃からコツコツと倹約や投資に励んでおかないと、将来たいへんなことになる…。

実際には、自分の寿命についてさえ、何も分からないはずなのに。

特定の目的に限定して意味あるいは機能を定める。
こうした思考は一世を風靡した、と言ってもいいであろう。

…私は軽度の肺気腫で糖尿病だけれども、病院に行かないから健康である。
病院に足を踏み入れなければ、そこで「意味がある」存在にはならないのだ。

しかし病院の検査基準値で私の健康度を測るなら、私は立派な病人であり、
医療の必要がある。

このような言説に対しては、頑固で自分勝手という感想をもつ人が現代では
多いと思います。

私も10年ほど健康診断を受けていないのですが、職場などでその話をすると、
たいてい「こいつアホか」といった顔をされます。

養老先生は最終的に心筋梗塞で入院することになったため、それをもって
「結局は病院のお世話になっているじゃないか」と毒づく人もいるでしょうが、
問題は病院の世話になるか、ならないかではありません。

本来は自然治癒力によって症状が治ったり、病気を抱えながらでも病院に行かず、
なんとか生きることができるのに、何でもかんでも病院の基準に合わせようとする
人がやたらと多いことが問題だと思うのです。

 

個体としての無秩序状態に陥った

 

病気だけではないですよね。

業界基準、欧米基準、世間の常識、現代の常識、科学的エビデンス

多様性の時代とかいいながら、誰かが勝手に決めた意味や機能に自分を合わせたがる
人が多いのは、いったいどうしてなのか。

その答らしきものが、『ヒトの壁』には書かれています。

…現代の社会状況ではいったん医師の手にかかったら、医療制度に完全に
巻き込まれる…。

自分がいわば野良猫から家猫に変化させられることになる。

そうなると甘いものがどうとか、タバコはやめろとか、日常食べるものから
嗜好品まで、…小さな行動にも点数が付く。

委細構わず好きにすればいいかというと、周囲が医療制度というシステムに
すでに巻き込まれているから、あれこれ言われてしまう。

要するに、さまざまなシステムがあまりに大きくなりすぎて、人びとがそこから
逃れにくくなっていることが現代社会の特徴だということでしょう。

前述した幼稚化や怠慢化、興味の均質化にも、システムという存在が大きく
影響しているはずです。

『ヒトの壁』の最初の方には、こんなことも書かれています。
「どこかに秩序が生まれれば、無秩序がそれだけ増える…」

システムとは、いわば秩序の典型です。

予測と統御が好きな現代人は、やはり心のどこかでシステムに安住すること、
つまりはシステムに縛られることを求めているのでしょう。

そして、以下のように無秩序な状態に陥ります。

さまざまな報道を見て感じるのは、この社会はほとんど反応だけしている、
ということである。

刺激に反応するのは生物のもっとも原始的な行動である。

毎回反応だけで済ませているから、簡単な、ある程度でも済むはずの解決もない。

システムによって社会的、集団的な秩序を手に入れる替わりに、個々人が自分の
頭で考え、判断し、話し合い、物事や出来事に対処することができなくなった、
つまりは個体としての無秩序状態に陥った--ということでしょうか。

その先には、こんな恐ろしいリスクも待ち受けています。

AIを使って予測した結果はこうなります。そう言われれば、
そうなるようにするしかない。

気の利いた人ほどそうするであろう。だからその方向に世間は動く。

それは二十世紀前半の日本社会がズルズルと戦争に向かって
動き出したことと軌を一にする。

AIというのは人びとの怠慢化の象徴だと、私は理解しています。

怠慢なのだから、一部の仕事がAIに奪われるのは当然です。

これはどうみても人類の「退化」だと思うのですが、科学信仰や
デジタル信仰の強い現代人にとっては、やはり進化に見えるのでしょう。

過去の著作と同様に『ヒトの壁』も、現代人に対する危惧や警鐘が
満載の1冊ですが、最後の章において、養老先生はようやく優しい
老人としての顔をのぞかせます。

それは愛猫「まる」の死が、もたらしたものでしょう。

犬や猫は、日本でおよそ二千万匹が飼われているとも聞く。

猫なんて、役に立つわけではなくて、迷惑をかけるだけの存在のはずだ。
でも、多くの人がそんな迷惑をかけるだけの存在を必要としているとも言える。
…うちのまるときたら動かないし、ネズミを捕れるはずもない。
でも、だからこそ、あれでも生きているよ、いいんだよねと思える。

生前は、よく寝ていた縁側をふっと見るとやっぱりそこで寝ているもんだから、
それでこちらの気が安まった。今はそれがないので、いるつもりになるしかない。

いなくなっても、距離感や関係性は変わらない。
今も、いつもの縁側の窓辺にまるがいそうな気がする。
頭をたたいて「ばか」と言えるのはまるだけだった。
それがもう口癖だったので、もし再会できたとしたら
「ばか」と言ってやろうと思う。


これを読んで、私は涙がこぼれそうになりました。

養老先生だけでなく、犬や猫を飼っている多くの人は、心の中にこういう
可愛い部分を持ち続けているはずです。

そんな動物(=自然)への純粋な気持ちがある限り、人びとがひたすら退化して
バカになっていくなんてことはないのだと、信じてもいいような気もします。

 

アナログゲームの想い出

強すぎて疎まれた紙相撲力士

 

先日、某新聞の特集記事で知ったのですが、最近はボードゲーム
流行っているそうです。国内だけで年間約1000点の作品が発売され、
イベントやフリーマーケットも人気だとか。

新聞記事によると、11月下旬に東京ビッグサイトで開かれた
アナログゲームの祭典「ゲームマーケット2021秋」には、
約1万8000人が詰めかけました。

会場内の出展ブースでは500種類ほどの新作ゲームが販売され、
その多くは個人やサークルによる手作りの作品でした。

また、東京の上野には「コロコロ堂」というボードゲームカフェがあり、
700種類以上のゲームで遊べるとのこと。

コロナ禍の影響で他人との接触が減った反動という意味合いも
大きいのかもしれませんが、アナログ好きの私としては、
ボードゲームが再び日の目を見ることを嬉しく感じます。

思えばその昔、ボードゲームを含むアナログのゲームを、いったい何種類
やったことでしょうか。

思いつくままに挙げてみると、「魚雷戦ゲーム」「レーダー作戦ゲーム」
「レーダーサーチ」「手探りゲーム」「人生ゲーム」「ゴルフゲーム」
「野球盤」「サッカーゲーム」「バックギャモン」「ダイヤモンド」
「ルーレット」「オセロゲーム」などは、自分で持っていた記憶があります。

これらは小学生時代に、親や祖父母にねだって買ってもらったはずなので、
昔の家庭ではアナログゲーム代が馬鹿にならなかった感じですね。

「モノポリ」「ペトロポリス」「億万長者ゲーム」「ポンジャンなども、
友人の家で何度もやりました。他にも名前が思い出せず、ネットで調べても
見当たらないゲームがいくつもあります。

トランプや花札でも日常的に遊んでいましたし、麻雀も私が小学4年の頃から
家族でやっていました。

中学生になってからは、友人に頼まれて「トントン紙相撲」という
切り抜き型の本(誠文堂新光社)を買い、自分の力士をつくって
紙相撲大会に参加しました。

私を含めて4人が集まったのですが、ひとり当たり5人の力士をつくると、
大相撲と同じ15日間の取り組みが成立します。

私はこの遊びに乗り気ではなく、頼まれてしぶしぶ参加したのですが、
私がつくった「金星(きんせい)」という力士が、たまたまバランスが
良かったのか、とてつもなく強く、2大会連続で優勝しました。

すると、残りの3人から疎まれて、何だかよく分からない「寸法の規制」などが
できてしまい、私は仕方なく金星の身体にハサミを入れて寸法を変えました。

案の定というか予定どおりというか、それで金星は弱くなったのですが、
私がつくった「地獄氷(じごくひょう)」という力士がまた強く、なんとも
困ってしまったことを覚えています。

 

中学3年生も燃えた手作りの「鼻クソ野球」

 

「トントン紙相撲」は半分手作りのようなものですが、完全に手作りのゲームが
クラスで大流行したこともありました。といっても、私が考案者ではないのですが。

小学3年の夏に、父親の転勤にともなって、埼玉県から大阪府高槻市の小学校に
転校したのですが、そこで手作りの野球盤を教えられたのです。

これは大きめの画用紙に野球場の形を再現したもので、まずホームベースから
1塁を経てライトのポールに伸びるファウルラインと、3塁を経てレフトの
ポールに伸びるファウルラインを描き、ダイヤモンドやピッチャープレート、
バッターボックスも描きます。

あとは外野のフェンスとバックスクリーン、外野スタンドなどを描けば、
いわゆる「フェアゾーン」の形が完成します。

そのフェアゾーンを細かく線や曲線で区切って、「アウト」「ヒット」「2塁打」
「エラー」「ダブルプレー」など、打撃の結果を書き込んでいくのです。

外野スタンドは基本的に「ホームラン」のゾーンですが、一部に「アウト」や
「チェンジ」などの結果を紛れ込ませておきます。

そのような文字で埋まったフェアゾーンに向かって、攻撃側の人間がホームベースに
置いた小さな球を、自分の人差し指や中指でポーンと弾きます。つまりはそれが、
ひとりの打者の攻撃に相当するわけです。

球が鼻クソのようだったことから、私たちは「鼻クソ野球」と呼んでいました。

球がファウルゾーンに出てしまった場合は、もちろんファウル。

球が「チェンジ」に止まった場合は、ひとりの打者でいきなりスリーアウトとなり、
3人が凡退した扱いになります。

また、球が外野スタンドを越えて場外、つまりは画用紙の外へ出てしまった場合は
アウトです。

指で弾く球は、高槻市の小学校で友人に教えられたときには、ノートの切れ端を
丸めたものを使っていました。

しかし、それだとすぐに崩れてしまうので、私が父親からタバコの箱についている
銀紙をもらって、それを丸めて使うように改良しました。これは非常に長持ちします。


高槻市には半年いただけで、小学4年からは吹田市の小学校へ転校になりました。

5年になったとき、この手作り野球盤をクラスで披露したら大いに受けて、
みんながこぞって自分の野球場をつくるようになりました。

それで終わりと思っていたのですが、中学3年のとき、小学5年で同じクラスだった
友人と同級生になり、どちらからともなく「あの野球盤を再現しようか」という
話が出たので、みんなに披露してみたところ、またまた大流行です。

まさか中学の詰襟制服を着て、あの手作り野球盤をやることになるとは思いも
しませんでしたが、それほどインパクトのある遊びだったのだと思います。

このとき、阪神ファンの友人Kが甲子園球場をつくったのですが、なんと外野の
得点掲示板のところが立体になっている、とてつもなくリアルな球場でした。

私はもちろんナゴヤ球場で、他に後楽園、神宮、横浜の各球場があり、
広島ファンの替わりに南海ファンがいたため、大阪球場もありました。

みんなで自分のチームの選手について、打率や防御率まで細かく計算して、
記録をつけて…。あの情熱はいったい何だったのでしょう。

 

数値にまつわる意外な話

アキレスと亀」は時間限定の話だった⁉


まずは子どもの頃、よく耳にした話を2つ。

ひとつはアキレスと亀です。

アキレスの100m前方に亀がいます。

極端なたとえですが、アキレスは1秒間に10m進み、亀は1秒間に
1m進むとしましょう。

アキレスが10秒間に100m進んだとき、亀は10m先にいることになります。

そこからアキレスが1秒間に10m進むと、亀は1m先にいることになります。

さらにアキレスが0.1秒間に1m進むと、亀は10㎝(0.1m)先にいることになります。

この関係がずっと繰り返されるため、アキレスは亀に永遠に追いつけない、
という内容です。

最近になって知ったことですが、この理屈は意外にも、数学的には正しいそうです。

要するに、アキレスの進む距離を0.01秒間に10㎝、0.001秒間に1㎝と、
だんだん小さくしてみても、それにともなって亀もアキレスより1㎝先、
1㎜先にいることになります。

こうした時間と距離の「縮小」は無限に続けられるので、アキレスと亀の間の
距離がゼロになることはなく、いつまでたっても追いつけないというわけです。

ただし現実には、このようなことは起こりません。

アキレスはあっという間に亀に追いつき、追い抜いて行ってしまいます。

数学的に正しいけれど、現実とは矛盾する。

その理由は、この話が3つの時間のうち1つの時間内に限定されたものだから、
という説明になっています。

3つの時間というのは、以下のとおりです。

①アキレスが亀に追いつくまでの時間
②アキレスが亀に追いついた瞬間
③アキレスが亀を追い抜いてからの時間

アキレスと亀」の話は、このうち①だけを取り上げて考えているため、
アキレスが亀に永遠に追いつけない、ということらしいです。

そう言われてみれば、そリゃそうでしょう。

アキレスが亀に「追いつくまでの時間」と、わざわざ断っているのだから、
そこで追いついてしまったら、それこそ話が矛盾します。

現実の世界では、上記の①②③が連続した時間として成立し、そのなかで
アキレスと亀の位置関係を考えるため、アキレスが当然のように亀を
追い抜いて行くわけです。

解ったような、解らないような、ちょっとモヤモヤする話ですね。

2つ目は、「クラスで誕生日が同じ人のいる確率」です。

たとえば40人のクラスで、誕生日が同じ人のいる確率は、地道に計算すれば
求められます。

クラスに自分を含めて2人しかいない場合、自分からみて、もう一人の
誕生日が同じ確率は「1/365」です。

1年が365日あるのだから、これは当然でしょう。

逆に考えると、もう一人の誕生日が異なる確率は「1-1/365=364/365」
となります。

クラスが3人に増えた場合は、3人目が最初の2人のどちらかと誕生日が同じ
確率は「2/365」なので、逆に最初の2人のどちらとも誕生日が異なる確率は
「1-2/365=363/365」となります。

結果として、3人の誕生日がすべて異なる確率は「364/365×363/365」です。

これを40人の場合まで掛け合わせていきます。

つまり、「364/365×363/365×……×326/365」を計算すると、
40人のクラスで全員の誕生日が異なる確率が求められます。

それを1から引いたものが、40人のクラスで誕生日が同じ人のいる
確率となります。


なんと、意外にも89%という高確率です。

この確率はクラスの人数が多いほど高くなり、50人クラスでは97%となります。

23人まで人数が少なくなって、ようやく50%です。

感覚的にはこれでも高い確率のように思えますが、まあ現実というのは、
案外そんなものなんでしょうね。

 

宇宙空間では数値のぶっ飛び方がひと味ちがう

 

子どもの頃に読んだ宇宙関連の本のなかで、いちばん衝撃を受けたのは、
「地球上にいる私たちは永遠に月の裏側を見ることができない」という事実でした。

その理由は、月がいつも片面だけを地球に向けているから。

これは月の公転周期(地球のまわりを一周する時間)と、
月の自転周期(月自身が1回転する時間)が、ともに27.3日と
同じだからです。

たとえば、私たちがある場所に立っていて、360度の全方位を見渡せるとしましょう。

自分のまわりを、友人が「必ず同じ方角を向きながら1周する」場合を考えます。

このとき、自分から見える友人の姿は、「前身」「側面(右側)」「後ろ姿」
「側面(左側)」の大きく4種類に分かれます。

ところが、友人が必ずこちらに対して「前身」の決まった部分だけを見せるように、
少しずつ身体を回転させながら動いたとしたら、自分のまわりを1周する間に見える
友人の姿はずっと同じになります。

こんなややこしいことが、地球と月の間では実際に起きているのです。

なぜ、そんなことになるのかという説明を読んでも、私にはいまいち
ピンときませんでした。

説明を要約すると、こんな感じです。

●地球の引力や、月が地球のまわりを公転する際に生じる遠心力によって、
  月の形は地球に向かって微妙に伸びている(楕円形になっている)。

●月の自転速度が速くなって、伸びている方向が地球からずれると、
  地球の引力がそれを引き戻すように働いて、月の自転速度が遅くなる。

●月の自転速度が遅くなった場合には、これと反対のことが起きて、
  月の自転速度が速くなる。

●そのようにして月の自転速度が調整され、伸びている方向が常に
  地球を向くようにコントロールされている。


ということは、もともと月の公転周期は27.3日と決まっていて、
自転周期はそれに近い、異なる数値だったのだと思われます。

それが、地球の引力によって、27.3日に固定されるようになっていった。

だから、結果として月の公転周期と自転周期が同じになったのだと。

理屈としては解ったようにも思うのですが、本当にそんな「数値の偶然の一致」の
ようなことが起こるのか、なんだか狐につままれたような気分になります。

宇宙関連でもうひとつ、太陽の内部構造についてです。

太陽の内部は、内側から順に「中心核」「放射層」「対流層」「光球」に
分かれていて、中心核の温度は1500万Kもあるそうです。

K(ケルビン)は温度の単位で、大まかにいうと「0℃=273K」の関係にあります。

なので、太陽の中心核は1500万℃あると考えればいいでしょう。

中心核では水素の核融合反応によって莫大なエネルギーが生み出されており、
そのエネルギーを放射によって外側へと運ぶのが、いわば放射層の役割です。

放射層は厚さが約40万㎞あり、非常に密度が高いため、中心核からやってきた
エネルギーが放射層を抜け出して対流層へ到達するのに、十数万年もかかるそうです。

まったく、狂ったような数値ばかり出てきます。

いちばん外側の光球で、ようやく温度は6000K程度となり、
これが太陽の表面温度とされています。

光球の上空には厚さが約2000㎞の低密度層があり、「彩層」と呼ばれています。

彩層は太陽の大気にあたるもので、温度はおおむね5000K程度。

さらに彩層の外側には、「コロナ」という希薄なガス層が高度数万㎞まで
広がっています。

不思議なのは、コロナの温度が100万K以上もあること。

光球よりもはるか上空にあって、宇宙空間に近いコロナが
どうしてこんなに熱くなるのか。

そのメカニズムは現代の最新科学をもってしても、いまだはっきりとは
解明されていないそうです。

さすがに宇宙空間では、数値のぶっ飛び方が、ひと味ちがうようですね。

 

地味だけれど隠れた名曲

おもに昭和時代の邦楽について、アーティストごとに私がいちばん
好きな曲をピックアップしてみました。

ちょっと地味で目立たないけれど、隠れた名曲が多いのではないかと
自分では思っています。

●アリス 《もう二度と…》

アルバム『アリスⅤ』に収録され、シングル《遠くで汽笛を聞きながら》の
B面にも収録されました。キーボードの音が哀愁を誘い、谷村新司による
歌詞はどこまでも切なく心に響きます。

♪ 約束はしていても しょせん男と女 好きというそれだけで暮らせない

♪ もう もう 引き止めないさ 飛び込んでゆくんだ彼の手に
   もう もう 引き止めないさ さよなら もう二度と会いたくない

甲斐バンド 《ブラッディ・マリー》

アルバム『この夜にさよなら』に収録。誰が何と言おうと、私はこういう
フォーク・ロック調の楽曲こそが、甲斐バンドの真骨頂だと思います。
《シネマクラブ》しかり、《東京の一夜》しかり。

別れた彼女との想い出がサラリと歌われる分、余計に哀しさが増してきます。

♪ ひとつのコートで寄り添った霧のような雨の日

♪ 揺れて消えていってしまった あの日の虹

●チューリップ 《Someday Somewhere》

アルバム『Someday Somewhere』に収録されたタイトル曲。今は亡き
安部俊幸のギターが美しい。財津和夫による歌詞は多少、説教くささも
あるけれど、クリスマスが近づくと必ず聴きたくなるラブソングです。

♪ 誰かに聞いたよ 別れてしまったと せっかくのクリスマスなのに
   僕の家へおいでよ 幼なじみの話をしよう

♪ キャンドルライトが揺れるたびに 僕の心が激しく揺れて
   抱きしめたいけど いまはただメリー・クリスマス


浜田省吾 《ラストダンス》

アルバム『LOVE TRAIN』に収録。後にアルバム『Wasted Tears』で
セルフカバーされますが、私は元のバージョンの方が100倍好きです。
浜田省吾はやたらとセルフカバーやリアレンジをしたがりますが、
アルバム『Sand Castle』以外は必要なかったのではないでしょうか。

2番の歌詞は救いようがないけれど、人間の核心をついています。

♪ もう一度やり直せたら バカだぜ そんな話はもうやめよう
   僕が僕であるかぎり 何度やっても同じことの繰り返し

浜田省吾は初期の方が断然、心に刺さる歌詞が多いように思います。


●風 《夜汽車は南へ》

とにかく出だしから、伊勢正三の歌詞がすごい。

♪ 愁いを残して夜汽車は南へ走る 時の流れと すれ違うように走る
   静けさがいま友だちなら 黙って窓にもたれよう

そして、別れた「君」への想いがこんな風につづられます。

♪ ああ 人生が繰り返すものなら またいつか君に出逢うだろう

♪ ああ 遠ざかるほど君は近づく 僕の心のレールを走って

夜汽車に乗って走りながら、まるで人生の真理が明らかになって
いくような哲学性を感じます。

中島みゆき 《時は流れて》

アルバム『あ・り・が・と・う』に収録。このアルバムは他にも
《遍路》《まつりばやし》《ホームにて》《勝手にしやがれ》など
名曲ぞろいで、私のなかでは中島みゆきの最高傑作です。

ラストに収録されたこの曲の歌詞は、最初から最後まですさまじい。

♪ あたし一人が変わってしまって あんたが何ひとつ変わらずにいたら
   時はなんにも理由のない さびしい月日になりそうな気がして

♪ 時は流れて 時は流れて そしてあたしは変わってしまった
   流れのなかで いまはただ祈るほかはない あんたがあたしを
   こんなに変わったあたしを 二度と見つけやしないように

バックでは坂本龍一のジャージーなピアノが自由奔放に暴れまくります。

オフコース 《でももう花はいらない》

デビューアルバム『僕の贈りもの』に収録。作詞・作曲・歌は鈴木康博
ドラムスはアリスの矢沢透だそうです。イントロのギターが気持ち良く、
最後はサイモン&ガーファンクルの《ボクサー》を意識したかのように、
「♪ 花なんて大人に似合いはしない」という歌詞が連呼されます。

●グレープ 《追伸》

グレープで人気があるのは《精霊流し》や《無縁坂》《縁切寺》など、
マイナーコードの楽曲が中心ですが、私はこの曲のようにメジャーで
可愛くて、ちょっと切なくなるメロディが好きです。さだまさし
バイオリンと吉田正美のギターが、良い感じに溶け合っています。

井上陽水 《能古島の片想い》

アルバム『センチメンタル』に収録。1997年に能古島へ行ったとき、
この曲がシングルCDとして売られていました。小高い山の上に
自然公園があるのですが、港からバスを使わずに徒歩で行ったら
2時間ぐらいかかって、ヘロヘロになったことを覚えています。

ジッタリンジン 《一人きりのクリスマス》

アルバム『Moonlit Lane』に収録。1993年のリリースなので、この曲のみ
平成時代の作品です。ジッタリンジンのほとんどの曲を作詞・作曲している
破矢ジンタは、昭和の懐かしさにあふれた、心の琴線に触れる曲づくりの
名人だと思います。とくに間奏のギターが絶品。同じクリスマス・ソングでは、
《プリーズ キス ミー マイ サンタクロース》も昭和っぽくて好きです。

 

かぐや姫・名曲選

2000年12月。

かぐや姫にとって2度目となる本格的な再結成コンサートを渋谷公会堂
観ることができて、私は極端にいえば、「もう思い残すことはない」という
心境にいたりました。

それから紆余曲折があり、結局は今日まで生き長らえてきたわけですが、
そんななかで、私のかぐや姫・フェイバリットソングにも若干の変化が生じました。

ここに挙げた10曲は、かぐや姫・名曲選であると同時に、現在の私にとっての
かぐや姫ベスト10」でもあります。

①置手紙(詞・曲/伊勢正三

若いころ、私がギターでいちばん練習した曲です。ミュージシャンをめざしていた
年下の友人に「他の曲はダメだけど、置手紙だけは歌もギターも上手い」と言われて
嬉しかったのを覚えています。いまはまともに弾けませんが。

私見ですが、松山千春の《恋》は、この曲へのアンサーソングだと思います。
松山千春がデビュー前から正ヤンを尊敬していたことを知って、そう確信しました。
「部屋の灯りをつけて出ていく」という設定が共通だし、なんといっても
《恋》の2番では、机に置かれた洗濯物に「短い置手紙」が添えられるのですから。

②春の陽だまりのなかで(詞/喜多條忠、曲/南こうせつ

なぜか不思議なグルーブを感じる曲。まるで、どこかから風が吹いてくるような…。

私が春の曲に感じるイメージには、そこに吹く風が「まだ冷たい」ものと
「暖かい」ものの2種類があります。この曲は後者の方で、たとえば
吉田拓郎の《春だったね》や、尾崎亜美の《春の予感》なども同類です。
桜が散って学校の始業式も済んだ、4月中旬ごろの風でしょうか。その点、
キャンディーズは《春一番》も《微笑がえし》も《あなたのイエスタデイ》も、
まだ風を冷たく感じる春の曲が多いですね。

③夏この頃(詞/伊勢正三、曲/山田つぐと)

友人が山で死に、母親が子犬を飼い、兄貴に子どもが生まれる。通り雨が過ぎて
夏の香りが残る--。歌詞のテーマはズバリ、「時の流れ」でしょう。

1970年代の前半には、若者が山で命を落とすニュースをしょっちゅう耳にしました。
私の叔父も大学4年の夏、ロッククライミング中に前穂高で滑落し、亡くなりました。
この曲を聴くたびに、最後の登山に出かける直前の叔父と、ある約束をしたことを
思い出します。「今度、本を買ってやるからな」。あれから50年。幽霊でもいいから、
もういちど叔父に会いたいという願いは、いまだに叶っていません。

④そんな人ちがい(詞/伊勢正三、曲/南こうせつ

詞も曲も可愛くて切なくて大好きなのですが、録音時のこうせつはノドの調子が
悪かったのか、声がイマイチなのが残念です。

カラオケでこの曲を歌ったら、前の職場の同僚から「3拍子なんて、
さすがは昔の曲」と言われました。確かにいま30代ぐらいまでの人たちは、
3拍子の曲には馴染みがないのかもしれません。でも、かぐや姫には他に
《遠い街》や《おまえのサンダル》もあるし、吉田拓郎の《シンシア》や
中島みゆきの《勝手にしやがれ》《時は流れて》も3拍子なのですが。

⑤好きだった人(詞/伊勢正三、曲/南こうせつ

詞の内容はコミックソング的な要素さえ感じますが、彼の外見の話から、
だんだん内面へ移っていくという、正ヤンの緻密な計算が効いています。
1番は彼の服装について、2番は一緒に出かけたときの彼の様子について、
3番は自分にだけ見せてくれた(であろう)彼の内面をあらわす言動について、
それぞれ書かれています。

全部で3つのバージョンがありますが、私はアルバム『かぐや姫フォーエバー』に
収録された、メルヘンチックなバージョンが好きです。

⑥そんなとき(詞/山田つぐと、曲/南こうせつ

大学時代、最初に住んだアパートは戦後すぐに建てられた、築40年の木造でした。
玄関でクツを脱いで下駄箱に入れる、いわゆる下宿屋タイプ。もちろん風呂なし、
トイレも共同です。まさに、この曲を地で行くようなレトロ空間でした。

ありそうで意外とない、どこかへ転がっていくようなリズムが爽快です。
ライブアルバム『かぐや姫おんすてーじ』のみの収録で埋もれてしまったのか、
この曲がちまたでほとんど紹介されないのは残念でなりません。

⑦眼をとじて(詞・曲/山田つぐと)

東京ではありきたりですが、この曲を聴くと明治神宮外苑の絵画館へと続く
銀杏並木や、私が一時住んでいた阿佐ヶ谷の中杉通り(こちらはケヤキ)などが
思い浮かんできます。

山田パンダが詞と曲を書いた作品のなかでは、《僕の胸でおやすみ》と並ぶ
名曲だと思います。ライブアルバム『かぐや姫LIVE』の収録だけでは満足できず、
わざわざ録り直して『かぐや姫フォーエバー』に収録した気持ちも分かります。

なごり雪(詞・曲/伊勢正三

1975年の「拓郎・かぐや姫 つま恋オールナイトコンサート」で、正ヤンが
ギターをかなぐり捨て、マイクを握って身体を震わせながら歌ったシーンが
印象的です。DVDで観ただけですが。

⑨雨に消えたほほえみ(詞/喜多條忠、曲/南こうせつ

喜多條忠がポピーの花に思い入れがあることは明らかです。この曲にも出てくるし、
本ブログの「いま聴きたい拓郎の曲」で紹介した《春になれば》にも出てきます。
30年以上前に富良野で見たポピー畑とラベンダー畑の、赤と薄紫のコントラストは
圧巻でした。

⑩きらいなはずだった冬に(詞・曲/伊勢正三

かぐや姫の楽曲のなかに、伊勢正三大久保一久のデュオ「風」の楽曲が
紛れ込んだかのようです。ここ数年は私がカラオケで最初に歌う曲として、
選ぶことが多くなりました。